・ 皆さん長い間お待たせしました。20日に女房のお母さんが亡くなり葬式に行っていたためこちらを休んでいましたが、帰ってきたので再開いたします。
・ この間、色々ありましたが何を書いたらいいか分からないので日別に気についたことを書きます。
・ 19日、義母の状態が思わしくないので女房が宮古病院へ駆けつける。夜10時頃、今夜が山であると連絡が入ったが、峠の路が凍っているので次の日行くことにしたところ20日の午前2時50分に亡くなったという連絡が入る。色々準備して出発。盛岡から区界を通って宮古を回って小本へ、路面は雪もなく凍っていなくて快適に走り女房の実家到着、義母はフトンの上にいたので顔をのぞいたら黄色くなっていました。死因はすい臓ガンでした。
夜は、ニツカンといい棺桶にいれる儀式を行い、祭壇を飾り、線香・ローソクの火を絶やさないよう祭壇の前に布団を敷いて交代でやりましたが、往復いびきをする人がいて仮眠できず寝不足でした。
・ 21日、朝・昼・夕方と精進料理をごちそうになる。何時もおいしいものを食べているので何か盛り足りない。夕飯をご馳走になってから小本温泉(糖尿病に効く)で入浴を済ませ、私の実家へ、誰も住んでいないことから、家の中に入ったら2度、ストーブで暖をとっても10度くらい、時間がかかるため持って行った湯たんぽにお湯を入れてフトンに入るが、頭が寒くて夜中に目が覚める(室温氷点下7度)。フトンにくるまって小さくなって眠る。
・ 22日、今日は22年2月22日と2が五つ並ぶ日のため5時起床して小本へ、朝飯を食べて10時に火葬場へ出発、火葬が昼時になるためおにぎりとお稲荷さんを火葬場の待合室で今まで始めての経験であるが、腹が減っては戦が出来ないというたとえもあることから頂く。火葬が終わり家に帰る。お念仏が3時から始まり5時終了。この地方のやり方で通夜はないということです。焼香に次々と来るので8時頃まで続き、寒い外で香典返しの受け付けて3時間みんな寒がっていた。また、晩飯を食べるところがないので8時すぎに交代で食べる。今日も小本温泉に入って岩泉へ、ローソンによって朝飯を買って家に兄貴が来ていて部屋を暖めていたので昨日より暖かく眠れた。
・ 23日、今日は葬式、5時に起床してパンを食べて小本へ、9時から家でお経を上げて、行列の準備、遺骨を持つ役になりびっくりしました。10時から小本のお寺で葬式・ご法事が行なわれ終了しました。
遠方の岐阜県や・長野県白馬から駆けつけてくれた人たちが帰ることから盛岡までクルマに乗せて着ました。
腰が痛くて動くのが大変な4日間でした。
・ 不幸の話ばかりですいません。これしか浮かんできませんでしたのであしからず。今日は、腰が痛いので会社休んでいます。
◆ 盛岡南リトルシニアのホームページ