「チーム盛岡南」のレベルアップトレーニングは、午後からまだまだ雪がある八幡平市のいこいの村岩手の人工芝が敷いてあり、内野ノックが出来るくらいの広さの屋内スポーツセンターにおいて、ウォーミングアップの後、今シーズンから練習前のダッシュの変わりに、実践を想定して、全力疾走でベースランを行うことにした。
①本塁から一塁へ駆け抜け
②一塁でセーフティリードでの盗塁
③一塁でライト前ヒットの走塁
④二塁から盗塁とヒットでホームまで返るときのリード
⑤三塁で内野ゴロや外野フライの時の判断でのスタート
⑥二塁打
続いて、足を使って動きながらのキャッチボール、ミニダイヤモンドのボール回しで、身体が充分に温まってきたところで
★ 投手のモーションに合わせて2・3歩、歩いて軽くジャンプして打球に備えるタイミングの取り方での内野ノック
◇ サインによる投手のけん制&キャッチャーのウエストけん制、
☆ ティバッティング
◆ 投手は、捕手を座らせて50球を放らせた。今週から何でもいいから変化球を一つ覚えるようアドバイスして投げさせた。
今日はかなり充実した練習でした。これらを覚えれば、上位間違いなしです。そして分からない時は、うやむやにしてやるのでなくて質問して聞くように話し、対話しながら、気がついたところはその場で集めてアドバイスを行い、練習を盛り上げさせた。
今日は天気も回復し、暖かくなってきたが、西根は岩手山のふもとのためまだまだ雪があり、寒向かったですよ。
午前中は、花巻市で行われた高校時代の恩師高橋多喜男先生(岩手県野球協会前副会長)の葬儀に参列、先生は、花巻商業(現花巻東高)が初めて甲子園に出場(昭和39年)した時の野球部長で、ニックネームがガニっ子と言われ、生徒から親しまれ、時には厳しく、時にはやさしいいい先生でした。合掌
先生は、25日は、花巻東高校の甲子園出場報告会兼激例会出席。26日は県野球協会総会に出席と元気な顔を見せていたといいますが、27日に午前中病院に行く道路に倒れていたといいいます。黙祷
当時の赤川宏監督の弔辞で、自分が大学を卒業して監督になった年に甲子園に一緒に出場して、優勝した高知高校に2-3で敗れて、次は全国制覇という盛り上がった時期の翌年に選手の不祥事で野球部を解散せよという危機に高野連と折衝して、1年間の対外試合禁止にした尽力には頭がありませんという話もなされた。その時の1年間出場停止になったのが私たちの学年で、青春時代の思い出となる高校野球をやっていないのです。
葬儀の後、野球部の先輩・後輩や同級生に合って、昔の思い出話に弾んで、先生を偲びました。
2月に「声の欄」に投稿したが、ボツになった「岩手に日本一を花巻東」を紹介します。
センバツ甲子園に出場する花巻東の佐々木洋監督は「我々は日本一を目指していますが、取り組み方も日本一を目指す」という目標を掲げ、2月中旬に日本一になるため「日本一の富士山」が見える静岡市草薙球場で合宿を行った。
▼ 花巻から約8時間かけてバス移動、仮眠だけで忍耐力、精神力を養い、いざグランドへ飛び出し、しっかりと土の感触を確かめ熱の入った元気な声で活き活きと精力的に動き回ったといいます。
◆ 故障明けの大谷翔平投手(水沢南中出)も全力投球が出来るまで復調。左腕小原大樹投手(滝沢二中出)、佐々木毅投手(大槌中出)と持ち味の違う「三本の矢」が揃い、大舞台で日本一の花を咲かせることを楽しみにしている。
☆ 守りでは一瞬の迷いが得点なることが多く記録に残らない小さなミスを少なくするため内外野のコンバートで守備を固め、ミスのたびに円陣を組んで原因を突き詰め、場面に応じてベンチや周りからの声一つで次のプレーを予測する「意識」の確認を徹底。
★ 攻撃では、1球に執着して、打てなくても「四球」などで塁に出る「しぶとさ」のお家芸である全力疾走で1点をもぎ取るなどいい練習をして、岩手のファンに「日本一」を届けてもらいたい。
です。2月は4つボツでした。
◆ 盛岡南リトルシニアのホームページ
①本塁から一塁へ駆け抜け
②一塁でセーフティリードでの盗塁
③一塁でライト前ヒットの走塁
④二塁から盗塁とヒットでホームまで返るときのリード
⑤三塁で内野ゴロや外野フライの時の判断でのスタート
⑥二塁打
続いて、足を使って動きながらのキャッチボール、ミニダイヤモンドのボール回しで、身体が充分に温まってきたところで
★ 投手のモーションに合わせて2・3歩、歩いて軽くジャンプして打球に備えるタイミングの取り方での内野ノック
◇ サインによる投手のけん制&キャッチャーのウエストけん制、
☆ ティバッティング
◆ 投手は、捕手を座らせて50球を放らせた。今週から何でもいいから変化球を一つ覚えるようアドバイスして投げさせた。
今日はかなり充実した練習でした。これらを覚えれば、上位間違いなしです。そして分からない時は、うやむやにしてやるのでなくて質問して聞くように話し、対話しながら、気がついたところはその場で集めてアドバイスを行い、練習を盛り上げさせた。
今日は天気も回復し、暖かくなってきたが、西根は岩手山のふもとのためまだまだ雪があり、寒向かったですよ。
午前中は、花巻市で行われた高校時代の恩師高橋多喜男先生(岩手県野球協会前副会長)の葬儀に参列、先生は、花巻商業(現花巻東高)が初めて甲子園に出場(昭和39年)した時の野球部長で、ニックネームがガニっ子と言われ、生徒から親しまれ、時には厳しく、時にはやさしいいい先生でした。合掌
先生は、25日は、花巻東高校の甲子園出場報告会兼激例会出席。26日は県野球協会総会に出席と元気な顔を見せていたといいますが、27日に午前中病院に行く道路に倒れていたといいいます。黙祷
当時の赤川宏監督の弔辞で、自分が大学を卒業して監督になった年に甲子園に一緒に出場して、優勝した高知高校に2-3で敗れて、次は全国制覇という盛り上がった時期の翌年に選手の不祥事で野球部を解散せよという危機に高野連と折衝して、1年間の対外試合禁止にした尽力には頭がありませんという話もなされた。その時の1年間出場停止になったのが私たちの学年で、青春時代の思い出となる高校野球をやっていないのです。
葬儀の後、野球部の先輩・後輩や同級生に合って、昔の思い出話に弾んで、先生を偲びました。
2月に「声の欄」に投稿したが、ボツになった「岩手に日本一を花巻東」を紹介します。
センバツ甲子園に出場する花巻東の佐々木洋監督は「我々は日本一を目指していますが、取り組み方も日本一を目指す」という目標を掲げ、2月中旬に日本一になるため「日本一の富士山」が見える静岡市草薙球場で合宿を行った。
▼ 花巻から約8時間かけてバス移動、仮眠だけで忍耐力、精神力を養い、いざグランドへ飛び出し、しっかりと土の感触を確かめ熱の入った元気な声で活き活きと精力的に動き回ったといいます。
◆ 故障明けの大谷翔平投手(水沢南中出)も全力投球が出来るまで復調。左腕小原大樹投手(滝沢二中出)、佐々木毅投手(大槌中出)と持ち味の違う「三本の矢」が揃い、大舞台で日本一の花を咲かせることを楽しみにしている。
☆ 守りでは一瞬の迷いが得点なることが多く記録に残らない小さなミスを少なくするため内外野のコンバートで守備を固め、ミスのたびに円陣を組んで原因を突き詰め、場面に応じてベンチや周りからの声一つで次のプレーを予測する「意識」の確認を徹底。
★ 攻撃では、1球に執着して、打てなくても「四球」などで塁に出る「しぶとさ」のお家芸である全力疾走で1点をもぎ取るなどいい練習をして、岩手のファンに「日本一」を届けてもらいたい。
です。2月は4つボツでした。
◆ 盛岡南リトルシニアのホームページ
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