今日は休日出勤。明日以降は久しぶりに何もない週末でゆっくりと過ごす予定。
普通にあるものというのは意外にその発祥や意味について気付かないものですが住居、建築というのはその際たる物かもしれません。衣食住といわれるように生活には必要不可欠なものですがその発祥や歴史背景(特に日本特有の文化)などはあまり考えたことはないのではないでしょうか。そもそも建築の発祥とは?建築の定義とは?そんな建築に関わる哲学的疑問に答えてくれるのがこの本。
◆建築と住まいの違い…
回りの環境との統一感を保っており「視覚的秩序があること」
人間が統一感のある自然環境に美しさを覚え、安心するのと同じように住まいに自然的な安心感を人工物に求めたのものが建築になった。
建物と模型を分けるのは地面との関係性も存在感を生む重要な要素になる。
◆住まいの原型は…
洞窟?洞窟内で灯された火に照らされた自分たちの姿を見て表皮性(インターフェイス)の存在を知りInteriorの原型になったのかもしれない。
◆和洋の建築スタイルの違い…
日本は不思議な国で静養スタイルが入ってきた時、和風の御殿の隣に洋館を建てた。日本は歴史で建築様式を分けられないというか、一度確立されたスタイルが進化しながら時代をまたがって生き続けるというのが特徴。書院造⇒数奇屋造 唯一神明造などあるか鎌倉様式、室町様式というように時代で様式が区切られないのが不思議なところ。 行ってしまえば日本人は時代でなく用途でスタイルを決めるという使い方の出来る民族だったようだ。前述した和風御殿の隣の洋館もそういった背景があってのことと筆者は予測する。
◆教会のカタチ・・・
西洋の教会の様式には縦長で一番奥に祭壇ある「バシリカ方式」と円形、正方形、八角形の「集中方式」の2つに分けられる。さかのぼると礼拝堂のバシリカと洗礼堂の集中方式になっていてキリスト教の初期で最も重要とされた儀式は洗礼であったことから丸い集中方式の洗礼堂がルーツだったといえる。
◆お寺のタテヨコ問題
タイのお寺は仏教ながら縦長である。この教会はベトナムとカンボジア辺りにあってインド側では縦長、中国側では横長になる。
これは中国元来の道教、儒教などの宗教が絶対的神でなく実在人物を祭るために住宅形式にしていたということの影響が大きいらしい。仏教も中国に入った時点で入れ物はその形式に従ってしまったわけである。日本も新道が建築様式を持っていれば影響は無かったのかもしれないがその頃は神社建築は成立していなかった。
◆モクゾウの国
日本は世界でも珍しく木造建築が廃れていない国である。しかしながら木造の建築に不燃材を貼り付けるという「準防火」という手法で木造の風景はすっかり廃れてしまった。
◆屋根の国
日本は檜皮、杮からチタン鉛、ステンレス、瓦、鉄板と世界でも有数の屋根の材料を持った国、中でも檜皮は50万/坪かかるらしい。瓦を含め鉄系の材料は大陸伝来のもので日本古来というとやはり植物系が主流になる。
◆自然素材の迷信
実はもっとも体に良いのは鉄、ガラス、コンクリという人口素材ををつかった家である。(もちろん合板、クロス、合成樹脂、溶剤、接着剤は体に良くない)自然素材を使うのはエコのため健康のためではなくて材質や風合いが好きだから使うのである。
◆イエボメ
昔は落成祝いに呼ばれた際には家をほめるというならわしがあった。昔は造り自体は大きな差が無いので褒めるのは素材を褒めることになる。落語だと鶉杢=ケヤキの木目。床の間では紫檀、黒檀、鉄砲木(タガヤサン)、白檀などなど。
石造建築文化では銘石、木造建築文化では銘木。
◆間取り界の横綱=居間
昔の日本には居間という概念は無く江戸時代以降の茶の間がルーツ。しかしながら今の居間中心の家は欧米からもたらされたもの。
◆鉄筋コンクリート
鉄筋コンクリートの起源は植木鉢から。圧縮にはコンクリートで引張りには鉄で耐えるというハイブリッド構造の最たるもの。技術と表現の一致という観点から打ちっぱなしコンクリート技法が主流になってきた。安藤忠雄さんが有名になったのはこの技法を柱と梁構造でなく壁構造に取り入れていった点が大きい。
建築というのは自分の思ったものが造れるということで少しなりとも憧れた分野でした。今は結婚しているわけでもなく住居のこだわりはまったく無いのですが周りを見回すと気付けば旧式の日本家屋というのがまったく無くなってしまい、逆にそういう家に憧れを感じてしまいます。
日本なのにわざわざコレでもかというセンスのなく回りの自然と調和の取れてない住宅、店舗、マンションを見るとますます複雑な気分です。特に観光地に多いのですが…
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普通にあるものというのは意外にその発祥や意味について気付かないものですが住居、建築というのはその際たる物かもしれません。衣食住といわれるように生活には必要不可欠なものですがその発祥や歴史背景(特に日本特有の文化)などはあまり考えたことはないのではないでしょうか。そもそも建築の発祥とは?建築の定義とは?そんな建築に関わる哲学的疑問に答えてくれるのがこの本。
◆建築と住まいの違い…
回りの環境との統一感を保っており「視覚的秩序があること」
人間が統一感のある自然環境に美しさを覚え、安心するのと同じように住まいに自然的な安心感を人工物に求めたのものが建築になった。
建物と模型を分けるのは地面との関係性も存在感を生む重要な要素になる。
◆住まいの原型は…
洞窟?洞窟内で灯された火に照らされた自分たちの姿を見て表皮性(インターフェイス)の存在を知りInteriorの原型になったのかもしれない。
◆和洋の建築スタイルの違い…
日本は不思議な国で静養スタイルが入ってきた時、和風の御殿の隣に洋館を建てた。日本は歴史で建築様式を分けられないというか、一度確立されたスタイルが進化しながら時代をまたがって生き続けるというのが特徴。書院造⇒数奇屋造 唯一神明造などあるか鎌倉様式、室町様式というように時代で様式が区切られないのが不思議なところ。 行ってしまえば日本人は時代でなく用途でスタイルを決めるという使い方の出来る民族だったようだ。前述した和風御殿の隣の洋館もそういった背景があってのことと筆者は予測する。
◆教会のカタチ・・・
西洋の教会の様式には縦長で一番奥に祭壇ある「バシリカ方式」と円形、正方形、八角形の「集中方式」の2つに分けられる。さかのぼると礼拝堂のバシリカと洗礼堂の集中方式になっていてキリスト教の初期で最も重要とされた儀式は洗礼であったことから丸い集中方式の洗礼堂がルーツだったといえる。
◆お寺のタテヨコ問題
タイのお寺は仏教ながら縦長である。この教会はベトナムとカンボジア辺りにあってインド側では縦長、中国側では横長になる。
これは中国元来の道教、儒教などの宗教が絶対的神でなく実在人物を祭るために住宅形式にしていたということの影響が大きいらしい。仏教も中国に入った時点で入れ物はその形式に従ってしまったわけである。日本も新道が建築様式を持っていれば影響は無かったのかもしれないがその頃は神社建築は成立していなかった。
◆モクゾウの国
日本は世界でも珍しく木造建築が廃れていない国である。しかしながら木造の建築に不燃材を貼り付けるという「準防火」という手法で木造の風景はすっかり廃れてしまった。
◆屋根の国
日本は檜皮、杮からチタン鉛、ステンレス、瓦、鉄板と世界でも有数の屋根の材料を持った国、中でも檜皮は50万/坪かかるらしい。瓦を含め鉄系の材料は大陸伝来のもので日本古来というとやはり植物系が主流になる。
◆自然素材の迷信
実はもっとも体に良いのは鉄、ガラス、コンクリという人口素材ををつかった家である。(もちろん合板、クロス、合成樹脂、溶剤、接着剤は体に良くない)自然素材を使うのはエコのため健康のためではなくて材質や風合いが好きだから使うのである。
◆イエボメ
昔は落成祝いに呼ばれた際には家をほめるというならわしがあった。昔は造り自体は大きな差が無いので褒めるのは素材を褒めることになる。落語だと鶉杢=ケヤキの木目。床の間では紫檀、黒檀、鉄砲木(タガヤサン)、白檀などなど。
石造建築文化では銘石、木造建築文化では銘木。
◆間取り界の横綱=居間
昔の日本には居間という概念は無く江戸時代以降の茶の間がルーツ。しかしながら今の居間中心の家は欧米からもたらされたもの。
◆鉄筋コンクリート
鉄筋コンクリートの起源は植木鉢から。圧縮にはコンクリートで引張りには鉄で耐えるというハイブリッド構造の最たるもの。技術と表現の一致という観点から打ちっぱなしコンクリート技法が主流になってきた。安藤忠雄さんが有名になったのはこの技法を柱と梁構造でなく壁構造に取り入れていった点が大きい。
建築というのは自分の思ったものが造れるということで少しなりとも憧れた分野でした。今は結婚しているわけでもなく住居のこだわりはまったく無いのですが周りを見回すと気付けば旧式の日本家屋というのがまったく無くなってしまい、逆にそういう家に憧れを感じてしまいます。
日本なのにわざわざコレでもかというセンスのなく回りの自然と調和の取れてない住宅、店舗、マンションを見るとますます複雑な気分です。特に観光地に多いのですが…
自然素材の迷信という事を聞いて、それを思い出しました。
ただ、木造建築に関して言えば、日本の景観とはよくフィットしますから、機能性を差し引いても余りある気はしますね。
それでも、マンションに住んでたりするので複雑な気分です。
筆者も書いているのですが理想としては
内面は科学技術を駆使した最新の設計、素材を使って
外面は調和を保つために自然素材を使うというのが
これからの一つの方向性なのかなと思います。
「科学技術は裏に、自然は表に」というスタイルです。
マンションも外国の真似でなく日本らしいオリジナルスタイルが欲しいですよね。
陽の当たる縁側のある家で暮らすのが理想です。
に行ったんですが、
(味集中ブースがありましたが、
味は優等生的で、確かにおいしいのですが、
尖った個性が全く感じられない、もので
残念でした。天下一品の方がまだマシでした。)
そのあでやかなラーメン屋の『隣家』が
昭和を思わせるなんとも言えない趣ある家屋でした。
幼少時に訪ねた祖母の家、というより線香の香り
に郷愁を感じるのは自分だけではないはずです。
駄文失礼しました。
段々と歳をとってきたせいかますます古いものに価値を感じてしまいます。
時が経っても色あせず普遍的な価値を持つような家に住みたいと感じてます。