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国難打破から、いざ、未来創造へ

菅首相会見「政治の役割は最小不幸の社会作ること」

2010年06月09日 | 民主党政権
 菅直人首相は8日夕、就任後初の記者会見を行い、「政治の役割は国民が不幸になる要素、世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくのか。最小不幸の社会を作ることにあると考えている」と述べた。人類の不幸を最小化する社会システムは、すなわち社会民主主義が目指す社会でもある。


民主党マニフェスト2003より

<最小不幸社会>

私は、政治の目標は「最小不幸社会の実現」と考えています。国民の中には、「不幸」に遭遇している人がいます。そして、人々の「不幸」になる原因は様々です。その原因を政治の力、つまり「権力」で取り除けるものはできるだけ取り除き、不幸を最小化すること、それが政治の目標だと思います。

なぜ「最大幸福」と言わないで「最小不幸」というかと言えば、病気や貧困といった不幸の原因は、相当程度政治の力で取り除くことができますが、「幸福」のかなりの部分は、恋愛や美意識といった政治という「権力」が関与すべきでない分野の問題と考えるからです。一部の人が無理に「幸福」を押し付けようとして権力を使うと、そこには一種の強制や独裁が生まれます。政治権力は、人の生死をも左右する強制力を伴うものだけに、その行使は人々の「不幸」の原因を最小化することを目標とすべきであり、美意識のような個人的選好に属する「価値」の実現を目標とすべきでないというのが、私の政治に対する基本的哲学です。



 鳩山前首相は「友愛」を説いたが、菅首相の持論は「幸福を実現するよりも、不幸を減らすのが政治の責任」「政治家が出来ることはユートピアを語ることではなく、出来る限り『不幸の最小化』に努めることだ」という「最小不幸社会」である。菅首相がこの言葉を使い始めたのは20代の学生時代。オルダス・ハックスリーの未来小説『すばらしい新世界』(※注1)を読み、菅首相は、「政治はあまりにも幸福というものをつくろうとして過剰にコミットすべきではない」と感じたそうである。それが彼の言う「最小不幸社会」という考えにつながってゆく。

 貧しさや戦争などの不幸を減らすことは、たしかに政治の一つの目的であることは間違いない。しかし、政治家が夢やユートピアを語れないことが、未来に希望の持てない社会をつくり、経済の停滞や貧困を生み、不幸の再生産につながっているのではないだろうか。
 
 不幸を最小限に減らす国家ということは、菅首相はおそらく北欧型福祉社会を理想としているのだろう。しかし、スウェーデンなどの北欧諸国は福祉国家であると同時に、自殺率が突出している国であることをご存知なのだろうか。働かなくても福祉や社会保障が安心して受けられる反面、生きる意欲や希望が持てずに、老人が次々に命を絶ってしまうのだという。

 不幸を最小限に減らすには、「幸福の実現から政治は手を引く」のではなく、国民の幸福を具現化するための政策を政治が打ち出してゆくべきである。「政治家は夢や理想を語るな」という菅政権の下では、日本の発展繁栄は望めそうにない。(千)

※注1:科学技術の進歩が人間の精神と肉体を完全に支配する未来社会を描いた、オルダス・ハックスリーの反ユートピア小説。人工授精や条件反射的教育によりバラ色の陶酔を与えられ、「愚者の楽園」と化した未来管理社会が描かれている。




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1 コメント

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貧乏神が言いそうなことだ…!! (繁栄の神の弟子)
2010-06-09 15:54:40
…『最小不幸』か。
さすが、貧乏神が考えただけのことはある。菅直人貧乏神は、『不幸』の文字がよほど好きなのだろう。
「反貧困」とか「最小不幸」とかの言葉を使いたがる人は、深層心理では繁栄や幸福を望んでないのだ。
こんなのを日本のトップにすると、日本が汚れる!
一日も早い菅直人貧乏神政権の退陣を希望する。

貧乏神、退散!
疫病神、撃退!!
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