ウオール・ストリート・ジャーナルより転載
マイケル・オースリン
2010年 6月 2日
鳩山由紀夫首相が辞意を表明した。半世紀続いた自民党の支配と決別した昨年夏の地滑り的勝利から、まだ10カ月と経っていない。鳩山氏までの4人の首相が就任から1年、あるいはそれより短期間で退陣に追い込まれた。ただ、鳩山氏退陣の影響は、この数年間に辞めた首相に比べてはるかに大きい。民主党の権力者、小沢一郎幹事長の辞任を首相が求めたためだ。安定からほど遠い日本の政治は、戦後において最も不安定かつ危険な局面の1つにある。
鳩山氏は辞任の理由を2つ挙げている。1つは沖縄の普天間飛行場の移設をめぐる2006年の米国との合意を覆す非現実的な試みが失敗したことによる、社民党の連立政権離脱に対する責任、もう1つは鳩山氏と小沢氏双方の元秘書の逮捕につながった「政治とカネ」の問題だ。鳩山氏は涙ぐみながら、日本の将来に関する同氏のビジョンがどのようなものであったかは、10~20年後に理解されるだろうと話し、しばしば「宇宙人」と言われることについては、将来の日本の姿を話しているためだと解釈している、と述べた。
しかし、鳩山氏の失墜は極めて「地球的な」理由によるもので、後の首相にとっては教訓となる。鳩山氏の失敗は、民主党が国政を担える政治家を擁しているかどうかという深刻な疑問を提起する。覚えておくべきは、鳩山氏は思いがけずひょっこり現れた首相であるということだ。小沢氏が自身のスキャンダルで民主党党首を辞任したことで、鳩山氏が党首に収まった経緯がある。さらには、民主党はかつての自民党議員から社会党議員までが集まる寄り合い所帯であり、異なるイデオロギーを持つ派閥で構成されている。個人レベルで見れば、鳩山氏の経験不足と統治能力の欠落が、厳しい政治環境の下で致命傷になった。
鳩山氏の政策のぶれや、マニフェスト(政権公約)に掲げた施策からの逸脱、指導者が下さねばならない困難な選択からの逃避は、有権者の不満の波にうまく乗ったのに、政治的重力の法則には縛られないと感じている政治家像を照らし出す。長らく変化を待ち望んでいた日本の投資家は、希望が打ち砕かれるのを感じた。政権を取る準備ができた時に、真価が試されておらず、指導者としての資質が疑問視される人物を首相に選ぶとは、民主党はいかに未熟な政党であることか。
鳩山内閣の戦略的思考の欠落に、アジアや米国のオブザーバーは懸念を強めていた。8カ月続いた普天間飛行場の移設をめぐる米政府とのいざこざが国内での好感度はおろか、米国での交渉パートナーとしての信頼性にも負の影響を与えたのは、鳩山氏の最悪の計算違いだった。
鳩山氏のアジアでのあいまいで理想主義的な「友愛」の呼びかけ、温室効果ガスを25%削減するとの非現実的な公約、日本に対してより強引な態度を取るようになった中国への傾倒は、世間知らずで無邪気な人物との印象を与える。日本の国際的な役割を維持・拡大するためのソマリア沖での海賊対策の強化やアフガニスタン再建のための50億ドルの支出といった決定は、批判の嵐のなかで目立たない。
問題はもちろん、日本の進路だ。鳩山氏の辞任のタイミングは、7月に予定されている参院選が関わっている。わずか数カ月前までは、民主党が単独過半数を獲得し、連立を解消して独自の公約の実現を追及するものとみられていた。政権支持率が20%の現在、連立を組んでも過半数議席を確保できないような事態を回避しようと民主党は躍起になっている。
民主党にとって今必要なのは新たな指導者を見つけることだ。現在残っている指導者では、菅直人財務相が最年長であり、首相候補の筆頭だ。ただ、菅氏は特段、刺激的な指導者とは言えず、はっきりとした政策を持っていない。前原誠司国土交通相は人気があるが、首相候補としては若年であるとみなされている。岡田克也外相は中国の核政策をめぐる同国外相との論争で酷評された。岡田氏は05年の総選挙で民主党最大の敗北をもたらした。
誰が首相になったとしても、日本の有権者は過去数年間に分派によって設立された政党に投票し、民主党を罰するだろう。これらの政党の多くは、かつて強力だった自民党から枝分かれしたものだ。選挙でこうした政党が勢いを増せば、日本の政治の不安定さや政策のまひ状態が一層強まる見通しだ。
日本で過去5年間に見られたような政治花火ショーは、いかなる民主国家にとっても憂慮すべきものだ。アジアで最も古い民主主義国家で、かつ世界2位の経済大国である日本では一層懸念される。中国が政治的・軍事的影響力を強め、タイで民主主義が包囲され、北朝鮮が韓国を襲い、世界の景気回復が停滞する危険性があるなか、日本が強くあるべきと唱えるのはメロドラマ的であるかもしれない。日本はアジアと世界で主導的な役割を担う人的・物的資本を持つが、政治システムが常に混乱した状態でそうした役回りを演じるのは不可能だ。
ほぼ20年に及ぶ経済・政治的スタグネーションに耐えてきた日本国民は、信頼と夢を託した政治家からもっと多くを得てもいいはずだ。
マイケル・オースリン
2010年 6月 2日
鳩山由紀夫首相が辞意を表明した。半世紀続いた自民党の支配と決別した昨年夏の地滑り的勝利から、まだ10カ月と経っていない。鳩山氏までの4人の首相が就任から1年、あるいはそれより短期間で退陣に追い込まれた。ただ、鳩山氏退陣の影響は、この数年間に辞めた首相に比べてはるかに大きい。民主党の権力者、小沢一郎幹事長の辞任を首相が求めたためだ。安定からほど遠い日本の政治は、戦後において最も不安定かつ危険な局面の1つにある。
鳩山氏は辞任の理由を2つ挙げている。1つは沖縄の普天間飛行場の移設をめぐる2006年の米国との合意を覆す非現実的な試みが失敗したことによる、社民党の連立政権離脱に対する責任、もう1つは鳩山氏と小沢氏双方の元秘書の逮捕につながった「政治とカネ」の問題だ。鳩山氏は涙ぐみながら、日本の将来に関する同氏のビジョンがどのようなものであったかは、10~20年後に理解されるだろうと話し、しばしば「宇宙人」と言われることについては、将来の日本の姿を話しているためだと解釈している、と述べた。
しかし、鳩山氏の失墜は極めて「地球的な」理由によるもので、後の首相にとっては教訓となる。鳩山氏の失敗は、民主党が国政を担える政治家を擁しているかどうかという深刻な疑問を提起する。覚えておくべきは、鳩山氏は思いがけずひょっこり現れた首相であるということだ。小沢氏が自身のスキャンダルで民主党党首を辞任したことで、鳩山氏が党首に収まった経緯がある。さらには、民主党はかつての自民党議員から社会党議員までが集まる寄り合い所帯であり、異なるイデオロギーを持つ派閥で構成されている。個人レベルで見れば、鳩山氏の経験不足と統治能力の欠落が、厳しい政治環境の下で致命傷になった。
鳩山氏の政策のぶれや、マニフェスト(政権公約)に掲げた施策からの逸脱、指導者が下さねばならない困難な選択からの逃避は、有権者の不満の波にうまく乗ったのに、政治的重力の法則には縛られないと感じている政治家像を照らし出す。長らく変化を待ち望んでいた日本の投資家は、希望が打ち砕かれるのを感じた。政権を取る準備ができた時に、真価が試されておらず、指導者としての資質が疑問視される人物を首相に選ぶとは、民主党はいかに未熟な政党であることか。
鳩山内閣の戦略的思考の欠落に、アジアや米国のオブザーバーは懸念を強めていた。8カ月続いた普天間飛行場の移設をめぐる米政府とのいざこざが国内での好感度はおろか、米国での交渉パートナーとしての信頼性にも負の影響を与えたのは、鳩山氏の最悪の計算違いだった。
鳩山氏のアジアでのあいまいで理想主義的な「友愛」の呼びかけ、温室効果ガスを25%削減するとの非現実的な公約、日本に対してより強引な態度を取るようになった中国への傾倒は、世間知らずで無邪気な人物との印象を与える。日本の国際的な役割を維持・拡大するためのソマリア沖での海賊対策の強化やアフガニスタン再建のための50億ドルの支出といった決定は、批判の嵐のなかで目立たない。
問題はもちろん、日本の進路だ。鳩山氏の辞任のタイミングは、7月に予定されている参院選が関わっている。わずか数カ月前までは、民主党が単独過半数を獲得し、連立を解消して独自の公約の実現を追及するものとみられていた。政権支持率が20%の現在、連立を組んでも過半数議席を確保できないような事態を回避しようと民主党は躍起になっている。
民主党にとって今必要なのは新たな指導者を見つけることだ。現在残っている指導者では、菅直人財務相が最年長であり、首相候補の筆頭だ。ただ、菅氏は特段、刺激的な指導者とは言えず、はっきりとした政策を持っていない。前原誠司国土交通相は人気があるが、首相候補としては若年であるとみなされている。岡田克也外相は中国の核政策をめぐる同国外相との論争で酷評された。岡田氏は05年の総選挙で民主党最大の敗北をもたらした。
誰が首相になったとしても、日本の有権者は過去数年間に分派によって設立された政党に投票し、民主党を罰するだろう。これらの政党の多くは、かつて強力だった自民党から枝分かれしたものだ。選挙でこうした政党が勢いを増せば、日本の政治の不安定さや政策のまひ状態が一層強まる見通しだ。
日本で過去5年間に見られたような政治花火ショーは、いかなる民主国家にとっても憂慮すべきものだ。アジアで最も古い民主主義国家で、かつ世界2位の経済大国である日本では一層懸念される。中国が政治的・軍事的影響力を強め、タイで民主主義が包囲され、北朝鮮が韓国を襲い、世界の景気回復が停滞する危険性があるなか、日本が強くあるべきと唱えるのはメロドラマ的であるかもしれない。日本はアジアと世界で主導的な役割を担う人的・物的資本を持つが、政治システムが常に混乱した状態でそうした役回りを演じるのは不可能だ。
ほぼ20年に及ぶ経済・政治的スタグネーションに耐えてきた日本国民は、信頼と夢を託した政治家からもっと多くを得てもいいはずだ。