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国難打破から、いざ、未来創造へ

対北方針「拉致実行犯引き渡し」削除判明

2009年12月15日 | 民主党政権
読売新聞 12月15日

 北朝鮮による拉致問題を巡って、日本政府が掲げてきた6項目の対応方針のうち、「拉致実行犯の引き渡し」を求めるとする項目が政権交代後、閣議決定文書から削除されていたことがわかった。

 拉致問題担当の中井国家公安委員長は「実行犯の引き渡しを求めることに変わりはない」としているが、今後の交渉で北朝鮮に妥協する姿勢を示したとも受け取れる対応に、拉致被害者家族の間には「鳩山内閣の姿勢が見えない」などと不安が広がっている。

 拉致問題を巡っては、2006年10月の政府の拉致問題対策本部の会合で、「万景峰(マンギョンボン)号の入港禁止など制裁の実施」「国連や関係国との連携」など6項目を対応方針として決定。

 このうち「実行犯の引き渡し」と、「被害者の安全確保と帰国」「拉致事件の真相究明」の3要件は08年6月、当時の町村信孝官房長官が衆院拉致問題特別委で「絶対必要な要件」と表明するなど、北朝鮮との交渉にあたって妥協できない基本線という位置づけだった。

 ところが、鳩山政権が新たな拉致問題対策本部の設置を決めた10月13日の閣議決定文書では、3要件のうち「実行犯の引き渡し」だけが削除されていた。

 先月26日の衆院拉致問題特別委では、自民党の古屋圭司議員がこの点を追及すると、中井委員長は「(姿勢が)後退したということではない。とにかく(被害者の帰国と真相究明の)二つに絞ってフル稼働していきたい」と答弁。古屋議員が「弱腰のそしりは免れない」と迫っても、「とにかく、これから頑張る」と繰り返すだけだった。

 鳩山内閣の北朝鮮政策を巡っては、小沢幹事長が先月、来日した韓国民主党代表に「拉致問題解決に束縛を受けず、日朝関係改善に結論を出さなければならない」と発言。国交正常化を優先させるのではないかと懸念する声が、政府や国会内でも出ている。 

 拉致被害者家族会の増元照明事務局長(54)も「政権交代から2か月以上がたった今も、北朝鮮との交渉が始まるような動きもない。何より拉致問題に対する政府の方針が定まっていないように見え、不安を感じる」と話している。


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1 コメント

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出陣!!いざ、幸福維新!! (二十一回猛士)
2009-12-15 18:31:48
オーパの幸福実現党応援宣言!さんから、ちょいと拝借致しました(ごめんね)。どんどん抗議しよう!でないと手遅れになる!昨今の鳩山政権の動きは、誰がどう見ても植民地になる準備です。まずは、幸福維新の志士達の根性を示そうじゃないか!いざ!出陣!
首相官邸と民主党に抗議のファックスを!
首相官邸 TEL:03-3581-0101 FAX:03-3581-3883
メールフォーム:http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
民主党   TEL:03-3595-9988 FAX:03-3595-9961
メールフォーム:http://www.dpj.or.jp/header/form/index.html

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも
留置まし大和魂
これは「留魂録」の冒頭に書かれている、吉田松陰の辞世の句です。留魂録は、松陰が牢獄の中から、死ぬ間際に弟子達に向けて書いた遺書です。松陰の獄中での出来事から、死と向き合っていく過程、これからの国事について、弟子達へ十分な配慮をしながら述べられています。
死は好むべきものでもなく、また憎むべきものでもありません。世の中には生きながら心の死んでいる者もいれば、その身は滅んでも魂の生き続ける者もいます。死んで己の志が永遠になるのなら、いつ死んだって構わないし、生きて果たせる大事があるのなら、いつまでも生きたらいいのです。人間というのは、生死にこだわらず、為すべきことを為すという心構えが大切なのです。私は今回のことにおいて、もとより初めから生き延びようとも考えず、また死ぬことを決心しているわけでもありません。ただ私の誠が通じるか通じないか、天命に委ねるだけなのです。今日、私が死を目前にして落ち着いていられるのは、四季の循環というものを考えたからです。おそらくあの穀物の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。私は享年三十歳。一つも事を成せずに死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。されども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょう。何故なら人の寿命には定まりがなく、穀物のように決まった四季を経ていくようなものではないからです。十歳にして死ぬ者は、その十歳の中に自らの四季があります。二十歳には二十歳の中に自らの四季があり、三十歳には三十歳の中に自らの四季があり、五十歳や百歳にも、その中に自らの四季があります。十歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿にしようとするようなものです。百歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。それはどちらも、寿命に達することにはなりません。私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていない籾なのか、成熟した粟なのか、私には分かりません。もし、同志のあなた方の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。


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