ずいぶん前ですが、タヒチを旅行したことがあります。さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びながら、白い砂浜を通って、美しいエメラルドグリーンの海で好きなだけ泳ぐ。ときどき浜辺へ戻り、ヤシの木陰で横になり、潮騒で耳を遊ばせる。まさに、この世の天国のようなところでした。私がタヒチに行った100年前にタヒチを訪れたのが、フランスの画家ポール・ゴーギャン(1848~1903)で、彼はそのときの体験を『ノア・ノア タヒチ紀行』に記しています。
彼は、著作のなかで絶えずヨーロッパ文明への批判を口にし、当時のタヒチの原始的な生活に溶け込もうとします。私と同じように、といっても、彼の方がよほどアクティブですが、タヒチでの生活を楽しみます。でも、彼らと同じように暮らしていても、彼らと同じにはなれない。すでにヨーロッパ文明での生活に慣れていたゴーギャンにとって、価値観があまりにも違いすぎたのでしょう。ゲームのリセットボタンを押したかのように、物語は第6章で突如終わりを迎えます。
読んでいる中で、なんとなくディドロの『ブーガンヴィル航海記捕遺』を思い出させるなあと感じて、執筆年を調べたら、『ブーガン…』は1772年、『ノア・ノア』は1900年頃と100年近い差が有りました。でも、『ノア・ノア』が書かれた頃、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』(1888年)、スティーブンスンの『宝島』(1881~82年)などが発表されており、世間では未知の島への関心、それは実在にしろ、架空にしろ、高まっていた時期であったのかもしれません。ゴーギャンは小説家ではないから欲は言えないのだけれど、もっと長く執筆して、タヒチからの視点を通してヨーロッパ文明を批判するような文章が書ければ、もっと面白い小説になったのではないかなあと素人の私が思うのでした。
『ノア・ノア タヒチ紀行』ポール・ゴーギャン著、前川堅市訳、岩波文庫、1932年
彼は、著作のなかで絶えずヨーロッパ文明への批判を口にし、当時のタヒチの原始的な生活に溶け込もうとします。私と同じように、といっても、彼の方がよほどアクティブですが、タヒチでの生活を楽しみます。でも、彼らと同じように暮らしていても、彼らと同じにはなれない。すでにヨーロッパ文明での生活に慣れていたゴーギャンにとって、価値観があまりにも違いすぎたのでしょう。ゲームのリセットボタンを押したかのように、物語は第6章で突如終わりを迎えます。
読んでいる中で、なんとなくディドロの『ブーガンヴィル航海記捕遺』を思い出させるなあと感じて、執筆年を調べたら、『ブーガン…』は1772年、『ノア・ノア』は1900年頃と100年近い差が有りました。でも、『ノア・ノア』が書かれた頃、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』(1888年)、スティーブンスンの『宝島』(1881~82年)などが発表されており、世間では未知の島への関心、それは実在にしろ、架空にしろ、高まっていた時期であったのかもしれません。ゴーギャンは小説家ではないから欲は言えないのだけれど、もっと長く執筆して、タヒチからの視点を通してヨーロッパ文明を批判するような文章が書ければ、もっと面白い小説になったのではないかなあと素人の私が思うのでした。
『ノア・ノア タヒチ紀行』ポール・ゴーギャン著、前川堅市訳、岩波文庫、1932年
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