学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

河井寬次郎『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』を読む

2022-02-09 18:49:35 | 読書感想
10数年前、陶芸家河井寬次郎の展覧会を観たとき、どの器の底にも永遠の広がり、いうなれば、宇宙が広がっているかのような感覚を受けました。こういう作品を作る作家の精神性とはどういうものかを知りたいと思ったものです。

『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』(講談社文芸文庫、2006年)は、彼が残した文章をオムニバス形式で載せた本です。読んでいくと、すぐにわかることは、彼は手仕事だけでなく、機械による工業製品も「機械と手とが一つだ」と評価していること。今でも民藝のイメージは、手仕事による工藝であることが前提のような捉え方をなされがちですね。どうも彼の発想の源には「美」があって、手仕事による工藝でも、機械による工業製品でも、そこに「美」であれば、評価していいのではないかと考えていたようです。

もうひとつは「宗教的情緒」を持っていたということ。愛読書は仏書で「子供の頃には、家の中に神様も仏様も共におられるように感じました」といい、そういう宗教的情緒はずっと彼の心のなかに存在していたようです。私は2年前に亡くなられた曹洞宗の板橋興宗さんの著書をよく読むのですが、何事もからだが全てわかっている、という言い方をします。実は河井の『いのちの窓それ以後』や『手考足思』にも、それと似たようなことが書いてあり、もしかすると、ふたりは仏書を学ぶことで、からだを基準にして生きる精神性を有したと言えるのかもしれません。それが河井の器のなかに宇宙的なものを感じる理由なのでしょうか。

『蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ』は、河井の独特の言い回しや、陶芸の専門的な話がなかなかわかりにくいところもありますが、河井の精神性に多少なりともふれることができるような本です。また、参考資料として柳宗悦の「河井に送る」が掲載されているところもありがたい。いずれ日本民藝館にでも、河井の作品を観に出かけたいものです。


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