細越麟太郎 MOVIE DIARY

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●『野いちご』50年ぶりの香ばしい風味。

2013年06月29日 | Weblog

●6月27日(木)12−45 京橋<テアトル試写室>
M−077『野いちご』Smultronstallet  ( Wild Strawberries ) (1957) AB Svensk Filmindustri スエーデン
監督/イングマール・ベルイマン 主演/ヴィクトル・シェーストレム <92分> 配給/マジック・アワー ★★★★
1961年に本邦公開されたときに見たが、老境の人生観や家族を描いて、渋い作品だと感じていた。
その後、ベルイマンの作品はどれも好評で、すべて見たものの、やはり「野いちご」が一番好きだった。
テレビ放映は別にして、52年ぶりにデジタルリマスター版でスクリーン公開されるので、おっかなびっくりで試写を見た。
当然のように、まだ大学生のときに見た印象と、今回の印象は当然のように違う。
とくに、主人公の老人と、ほぼ同じ歳になって見るのだから、これは「クラス会」の再会のような残酷な感慨がある。
大きく印象の違いはないが、大学の名誉博士号を受賞するという人生の頂点にいて、その心境の寂しさが、とくに深く感じられた。
前夜に見た夢のなかで、針のない時計や、棺の馬車が車輪を街灯にぶつけてしまう部分が、実はかなりリアルな印象なのが怖い。
つまり、この老人は偉大な成功者ではなく、時間のなさや死というものが、かなり身近に感じていたのが、強いインパクトで迫るのだ。
人生の成功なんて、それまでの失敗や不始末に比べたら、とるに足らないものだ、という実感。
そして、ラストで、美しい湖畔で釣りをしている亡き父母の姿には、今頃になって痛く感動したのだ。
まさに小津安二郎の映画が最近になって身にしみるように、それは後期高齢者の実感がつよいなーーーと感じるのだ。
ベルイマン自身は、まだ40歳の頃に、この作品を作っていたというのも、いまになって恐れ入ってしまう。
今回は、この他にも「第七の封印」(56)と「処女の泉」(59)が同時期に公開される。

■渋い当たりだが、レフトポールにギリギリ入る。
●7月20日より、渋谷ユーロスペースで、3作品4週間ロードショー


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