細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●『おとなの恋の測り方』は男性の身長コンプレックスを解消してくれるのだ。

2017年05月30日 | Weblog

5月24日(水)13-00 築地<松竹本社3F試写室>

M-061『おとなの恋の測り方』" Un Homme a la Hauteur ( 2016) VVZ Production / Goumont / M6 Films / Canal+L` Insense Films

監督・脚本・ローラン・ティラール 主演・ジャン・デュジャルダン ヴィルジニー・エフィラ <98分・ビスタサイズ> 配給・松竹株式会社

久しぶりに、フランス映画らしい、とてもウィットとエスプリに富んだ、おとなの上質傑作コメディだが、この邦題は、まったく意味が判らなくて試写へ行く気を損ねたのだ。

どう考えても、この邦題の意味がワカラナイのだが、どうやら極端に身長の低いおとなの男性と、その男よりも背の高い女性との恋を、こういうややこしい難解なタイトルにしたのだろう。

 ま、それは配給会社の苦肉の策なのだろうが、要するにチビな男性と、その彼よりも極端に背の高い女性との恋というのは、あの画家のロートレックの恋を描いた「赤い風車」が印象的。

それとパトリス・ルコント監督のミステリアスな傑作「仕立て屋の恋」が思い出されるが、ここまで思い切って描いた身長差の恋は、いまのスクリーン・エフェクトの技術があるからこその発想だろう。

主演のジャン・デュジャルダンはご存知のように、つい2011年のアカデミー賞で、フランス映画「アーティスト」の演技で主演男優賞を受賞したばかりの長身のハンサム・ガイ。

パリの街に行くと、意外に背の低い男性が、長身の女性とカップルでデイトしているのを見かけるが、古来、ハリウッド映画ではゲイリー・クーパーやジョン・ウェインのような長身が人気者だった。

そのせいか背の高い男性と、それよりは低めの女性のカップルが<絵>になっていたのだが、そのバランスを極端に反転させようとしたアイデアがこの映画の秀逸な発想で、いまだからこそ可能なこと。

というのも、最近の映像技術の革命的な進化で、グリーン・バックスクリーンの使用で、大抵の特殊撮影は可能になったからこそ、「スターウォーズ」だって宇宙飛行が簡単に出来る。

そこでこの映画は長身のジャンの身長を20センチほど縮める、というアイデアが可能になったワケで、ホセ・ファーラーは画家のロートレックを演じるために「赤い風車」では膝に靴をはかせて苦労した。

相手役のヴィルジニーは、この極端に背の低いジャンの容姿に違和感をもって、その交際には奥手だったのだが、建築家のジャンは背は低いが、非常に実行力とユーモアに溢れた男性なので惹かれて行く。

という、まさに恋愛関係の古典的な神話の図式を、ここで根底からひっくり返してしまうというラブ・コメディが、さすがオスカー俳優の名演で可能になり、革新的な男女関係を逆転させて見せるのだ。

昔の「縮み行く人間」などのような稚拙なトリック撮影の時代は悪夢だった、と思わせる、この斬新なアイデアと撮影技術で、また映画は新しい表現方法を可能にしたことに、思わず感銘したのだ。

身長の低いコンプレックスで悩んでいる男性は、この映画を長身のカノジョと見るべしで、もし笑わなかったら,そのカノジョはアプローチをやめたほうがいい。

 

■浅いライトフライだと思っていたら、意外にフェンス直撃のスリーベース。★★★☆☆☆

●6月17日より、新宿ピカデリー他でロードショー 


●『ローラ』の夫は、あの「楽園に帰る」のクーパーだった・・とは。

2017年05月27日 | Weblog

5月22日(月)15-30 渋谷<映画美学校B1試写室>

M-60『ローラ』" Lola" (1961) A Jacques Demy Film / Mathieu Demy 2000 仏

監督・脚本・ジャック・ドゥミ 主演・アヌーク・エーメ、マルク・ミシェル <88分 B&W・シネマスコープ> 配給・ザジフィルムズ

あの「シェルブールの雨傘」のヒットで、ジャック・ドゥミ監督の名声は一気にブレイクしたが、その後の「ロシュフォールの恋人たち」などでカトリーヌ・ドヌーブをスターにした。

同時に妻であり女性監督のアニエス・ヴァルダの活躍と尽力で、主に70年代を中心にヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画の人気を支えたものだ。

わたしは幸運にも、1978年4月8日に、「ベルサイユのばら」の製作打ち合わせに来日していたドゥミ監督とは会う事が出来、彼の映画論を聞いたことがある。

とにかく、フランス人にしては、50年代のハリウッド・ミュージカル映画やコメディがお好きで、自分の映画のことよりもMGM映画に対しての憧れが強いひとだったことを思い出す。

残念ながら90年に亡くなられたが、17本ほどの彼の残した作品には、フランス映画にしては甘いハリウッド・テイストがあって、独特のフレイバーがあったものだ。

その彼の初期の「ローラ」が、ヴァルダの作品と共に今回ニュープリントで公開されるが、この「ローラ」はシネマスコープのニュープリントで、見られるのはファンの至福だろう。

この作品はミュージカルではないが、ストーリーとしては「シェルブールの雨傘」のプロローグにあたる作品で、この作品のストーリーのあとにマルクはシェルブールの自動車修理工事人になる。

という意味では、彼がシェルブールに行くまでの心の行程が描かれていて、もちろん、主演のアヌーク・エーメが夫の帰りを待つ心情は「かくも長き不在」のアリダ・ヴァリの原型になっている。

この試写で見て気がついたのは、マルクが劇中で映画館で映画を見るのは、マーク・ロブソン監督でゲイリー・クーパーが主演した「楽園に帰る」(53)だったが、そのストーリーが「ローラ」のベースなのだ。

もちろん、ローラの日常が映画のベースになっているが、戦後長く帰って来なかった夫の謎めいた帰還は、じつはクーパーの「楽園」と「故郷」の間で悩んだ結果だったのが、この試写で判明。

そして、ローラを演じたアヌーク・エーメも、この作品のあとにクロード・ルルーシュ監督の「男と女」でブレイクしたが、役柄的には<ローラ>を引きずっていた印象が面白い。

ジャック・ドゥミ監督の、あのシェルブール以前の映画魂が初々しいような作品が、こうして<シネマスコープ・サイズ>で見られる・・・というのも、映画ファンの幸福なのだ、と実感。

 

■サードの頭上を越えるポテンヒットだが、フェンスを転々のツーベース。★★★☆☆+

●7月上旬、渋谷シアターイメージフォーラムで、5作連続ロードショー 


●『オラファー・エリアソン視覚と知覚』の不思議な都市アート感覚の妙。

2017年05月24日 | Weblog

5月22日(月)13-00 渋谷<映画美学校B1試写室>

M-059『オラファー・エリアソン視覚と知覚』" Olafur Eliasson =Space is Process " (2009) Jacob Jorgensen JJ Films / Ficka Denmark

監督・ヘンリク・ルンデ、ヤコブ・イェルゲンセン 出演・オラファー・エリアソン <77分・ビスタサイズ> 配給・フィッカ

あなたはオラファー・エリアソンをご存知ですか?

おそらくアート関連の画商や美術出版関連のお仕事や、美術大学の講師や学校関係者と、その熱心な美術大学生なら、このデンマーク出身のアーティストの存在と有名をご存知だろう。

わたしも、かつては和田誠さんの後輩として多摩美術大学の図案科に通学して、そのまま銀座でグラフィック・デザイナーとして、停年まで勤務したというキャリアがある。

映画やジャズは趣味だったが、御託を並べて評論を書いたり、しゃべったりしたので、こうして映画に関するブログを書いているが、自分ではアーティストだと自覚したことはない。

ただし、そうしたアートワークの周辺で仕事をして、多くの有能な作家諸氏との交際もあったので、普通のひとよりは、少しは<アート>に近い位置にいたのは事実だ。

かといって画商のような才覚もカネもないので、こうして見た事もない外人アーティストのアートワークには、懲りもせず興味はあるが、あまり有名芸術家には接触がない。

だから、このオラファーというアーティストのことも、試写状が来る迄は知らなかったし、従ってモダンアートやら、有名美術家の展覧会にも、ご無礼ながら興味はないのだった。 

つまり、何も知らないで展覧会を見た人間の気分なのだが、この北欧の作家が何をしようとしているのか・・・?という疑問が、映画のミステリーとして興味はあった。

ま、マンハッタンは大好きなので、あそこのイーストリバーに、<滝>を作るという発想には呆れてしまったが、まるで壮大な都市開発事業計画のように、多くの人材が動くのには呆然。

意表をついた発想ではあるものの、これだけ多くの建設作業人やブレーンを駆使して、まるで新しい建築物を作るようなエネルギーとマネーゲームには、ただ呆れてしまった。

オラファー自身の自信過剰な発言や行動力が、現在のモダン・アート界を刺激して引導するのだろうが、あのスノーデンのような雄弁過剰な行動力には、ちょっとロック・アーティストのような軽さがウザかった。

 

■バスター・ヒット狙いで強打したが、ファースト正面。 ★★☆☆

●8月5日より、渋谷アップリンク他でロードショー 


●『キング・アーサー』は王国の御家騒動よりも巨大毒蛇との戦いに奮闘だ!

2017年05月22日 | Weblog

5月19日(金)10-00 内幸町<ワーナー・ブラザース映画試写室>

M-058『キング・アーサー』" King Arthur / Legend of the Sword " (2017) Warner Brothers / Village Road Pictures / Safe House Pictures

製作・監督・脚本・ガイ・リッチー 主演・チャーリー・ハナム、ジュード・ロウ <126分・シネマスコープ> 配給・ワーナー・ブラザース映画

最近でこそ聞かなくなった名将にして国王であり、多くの史劇のヒーローだったキング・アーサーだが、50年代のMGM映画の最初のシネマスコープ大作「円卓の騎士」の主役だった。

たしかロビン・フッドの時のイングランドの英雄で、将軍で、彼の多くの栄誉を讃えたり、あの「エクスカリバー」で、岩に刺さった大きな宝刀を抜いたのも、その後の名将となったキング・アーサーだった。

という具合に、大昔には映画のヒーローだった男が、こうして今ごろになって突然甦ってきたのも奇妙だが、見て判ったのは、これはまさにヴィジュアルゲームによるソードアクションの原点。

いまやカンヌ映画祭でも、わが「無限の住人」が拍手されるように、「武曲」ならば、いざ、キング・アーサーの宝刀を受けてみよ!!!という具合に、颯爽の大先輩が登場・・・という勢い。

だからイングランドの中世史とか、王国の御家騒動などは気にしないで、この古典の大剣士の豪快な刀剣裁きを見よ、と「シャーロック・ホームズ」を甦らせたガイ・リッチー監督がフル操業で作った力作。

王国をめぐる陰謀で両親を殺されて、スラムで育ったというアーサーは、運命のいたずらで宝刀エクスカリバーを岩から抜く力を備えて、悪徳の暴君ジュード・ロウと戦う運命になっていく。

ま、大昔の大河ストーリーを、ここでガイ・リッチーは史実には拘らずに、武将に成長していくアーサーの青春を描き、野獣や大蛇やらグロテスクなバケモノたちとの決死の闘争を繰り返して行くのだ。

この呆れるばかりに襲いかかる大蛇や怪獣の驚異は、さすがに爬虫類の嫌いなわたしなどには、とても正視に耐えられないような、野蛮な闘争シーンの連続で、さすがに閉口してしまった。

もちろん、あのキング・アーサーが大蛇や巨大トカゲと刀剣のみで戦う、という想定は、ユニヴァーサル社の「グレート・ウォール」の凶暴な怪獣の大群に対抗しての発想ではないだろうが、困ったもの。

せっかくの悪代官のジュード・ロウが、いかつい強面で凄んで見せても、グロテスクな大蛇のドアップの刃には、とても適わない。

まさに、ビデオ・ゲームのソードアクションがエスカレートして、「ロビン・フッド」がラストで接見したショーン・コネリー演じたキング・アーサーが見たら・・・さぞや、複雑な苦笑をするだろう。

 

■当たりは大きいが、ライトがバックしてワン・ハンド。 ★★★

●6月17日より、全国ロードショー 


●『歓びのトスカーナ』で自分らしくクレイジーに生きることの素晴らしさを歓ぶ。

2017年05月20日 | Weblog

5月12日(金)13-00 六本木<アスミック・エース試写室>

M-057『歓びのトスカーナ』" La Pazza Gioia " ( 2016) Lotus Film / Leone Film Group / Rui Cinema Italia イタリア

監督・パオロ・ヴィルズイ 主演・ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ミカエラ・ラマッツォティ <116分・ビスタサイズ> 配給・ミッドシップ

むかしソフィア・ローレンが主演した「ふたりの女」というイタリア映画のリアルな傑作があったが、あれとは別の、これもまた時代を越えたイタリアの<ふたりの女>が主演の新作。

トスカーナ地方というのは、長靴の形をしたイタリアの根っこに近い、西海岸に位置した実にのどかでエリアで、ピサの斜塔にも近いが、あまり観光色のない、のどかな田園地帯。

イタリアという国には、いわゆる<精神病院>というのは実はないそうで、精神異常な患者は、おそらく凶暴な殺人鬼は別にして、この映画の舞台になったような医療施設で保養しているという。

つまり軽度のメンタルな疾患者というのは、ほとんどが受動的に、まさに自分の精神を本能的に保護しようとして、自己閉鎖な内向思考になった患者が多くて、それらの患者には牢は必要としない、らしい。

どうしてもわたしなどは「羊たちの沈黙」のドクター・ハンニバルのように、本能的に他人を殺害したり、「コレクター」のように誘拐隔離してしまう犯罪者の映画ばかり見て来たせいか、信じられない世界。

傑作「グランド・フィナーレ」の老人のように、自分の人生を自分なりに終息させようというひとのための擁護施設と違って、この保護区域は、一種の精神修正のための開放的な環境エリアらしいのだ。

で、この映画ではその施設にいたヴァレリオが、もともと奔放な性格で、周囲の自由な世界に憧れて脱出してしまい、新入患者のミカエラと共に珍道中するというヒューマン・コメディ。

おそらく世間も病院施設のほうでも、それほど必死になって彼女らを追跡する様子もなく、この珍道中を通じて、ふたりの女性が精神的な強さを共有するようになるプロセスを明るく描いて行く。

実はふたりにはそれぞれ家族の問題があって、姉タイプのヴァレリアには死期の近い母がいて、ミカエラには別れてしまった息子がいて、それぞれに目的のあった脱走旅行でもあった。

しかし、あの「テルマ&ルイーズ」のような悲惨な旅に向かうのではなく、この映画のふたりは、それぞれの問題を抱えつつも、この道中を通じて、より強い友情を育てて行く。

主演のヴァレリアは「ぼくを葬る」や「アスファルト」にも出ていた、あのブスで馬面な女優だが、ここではその個性を活かして、すばらしい奔放な存在感を見せていて、お見事。

試写が終って、あまりステキな映画なので、この邦題タイトルの原題を尋ねたら・・やはり「ライク・クレイジー」なのだという・・・。どうしてこのステキな原題を捨てたのだろう???

 

■レフト・オーバーのフライがフェンスを転々の間にスリーベース。 ★★★☆☆☆

●7月上旬、シネスイッチ銀座などでロードショー 


●『追憶』に、あの時代の残り香を追っても無駄なのだろうか。

2017年05月18日 | Weblog

5月11日(木)10-50 二子玉川<109シネマズ・6スクリーン>

M-056『追憶』(2017) 東宝映画・「追憶」製作委員会

監督・降旗康男 撮影・木村大作 主演・岡田准一、小栗旬 <99分・ビスタサイズ>配給・東宝映画

高倉健がいなくなってから、その動向が注目されていた「ホタル」「鉄道員」などの監督、撮影の名コンビが、こうして久しぶりに復活したとあって、期待の一作。

たしかに個人的なレベルで、健さんの大ファンだった当方としては、正直、とにかく早く見たい・・・という映画が見当たらなくなって消沈していたタイミングでの公開だ。

北陸の寒い海辺の家で、身よりもなく育てられた3人の少年が、それぞれに成人してから離散した人生を送っていたが、25年の後に起こった事件で、偶然に再会するという運命的なストーリー。

似たような話は、96年に公開されたブラッド・ピットやロバート・デ・ニーロが共演した「スリーパーズ」という、バリー・レビンソン監督の映画で、あれは4人の少年のドラマだった。

ま、ブルックリンの不良少年グループの後日談と、ここでこの新作を比較するには、まったく異質なのだが、同じメシを少年期に食った仲間が、犯罪の反対側にいて宿命的に対峙するという話は泣けるのだ。

降旗監督は、健さんの「あなたへ」以来のメガホンというわけで、あの飄々と風の冷たい風景での人間達の葛藤ドラマというのは、とくに劇的な衝突はないが、独特の風景画としての佇まいはある。

という次第で、勝手にメランコリックな気分で見ていたのだが、さっぱり面白くならないのは、やはりそこに健さんや、笠さんのような懐かしい姿を探してしまう身勝手のせいか、どうもイカンのだ。

結局は岡田の刑事にしても、小栗のキャラにしても、どこか圧倒的な個性がなくて、昨年に見た「64」のような混然とした人間達の感情的盛り上がりも矛盾も衝突もなく、淡々としてドラマは終息してしまった。

こちらが勝手に、あの健さんがいた映画の時代の、あのドラマの虚しい残香や感触の渇きを期待したのがいけなかったのだろうが、気持ちが落ち着かないままに呆気なく映画は終ってしまった。

 

■いきなり初球を叩いてのセカンドゴロ。 ★★★

●全国東宝系で公開中 


●『しあわせな人生の選択』だが、老犬には選択肢はないのだ。

2017年05月16日 | Weblog

5月9日(火)13-00 京橋<テアトル試写室>

M-055『しあわせな人生の選択』" Truman " (2015) Impossible Films, BD Cine, K&S Films / Canal+ / Filmax International スペイン

監督+脚本・セスク・ゲイ 主演・リカルド・ダリン、ハビエル・カマラ <108分・ビスタサイズ> 配給・ファインフィルムズ

前記の作品「怪物はささやく」が、プレスによると2016年度スペイン映画祭のゴヤ賞を9部門も受賞した、とあったが、この作品もゴヤ賞を前年に受賞とある。

何故か受賞作が連続したというのは不思議なことだが、どちらにしても作品の質はいずれも素晴らしく、この邦題は甘くて曖昧だが、原題は<トルーマン>という名前の老犬のはなし。

ブスなブルドッグの老犬なのだが、実は飼い主のリカルドが離婚した壮年男で、彼は今や末期のガンに冒されていて、すでに入院治療は拒否して、このマドリッドで死期を待っていた。

その噂を聞いた旧友のハビエルは赴任先のカナダから空路見舞いに駆けつけたが、このドラマはその友情の終焉を描いているのではなくて、引き取り手のいなくなる老犬の行方がテーマ。

「おみおくりの作法」とか「ハッピーエンドの選び方」、「さようなら」「岸辺の旅」などなど・・死に行くひとをテーマにした映画も多いが、これは人間の<死>がテーマじゃない。

はじめはその親友の死期を見舞う友情と涙のヒューマン・ドラマかと思って見ていたが、どうやらそうではなくて、同じく行き先の見えない老犬ブルドッグの引き取り手を探す・・・という話。

愛犬の飼い主にとっては、この苦汁の選択こそが、実はこの作品の奥深いところで、ただ旧友の死期を慰める・・という友情美談なら、もう新鮮味もないし聞き飽きたストーリー。

ところがこの作品は、それは不覚の現実なのだが、テーマは残される愛犬の行方、という、あああ・・こうゆう展開にはびっくりで、犬大好きな人間にとっては、嬉しいテーマだ。

末期ガン男を演じているリカルドはアルゼンチンの男優だが、つい最近の「人生スイッチ」でも顔を見せたが、あのハードボイルドなミステリー「瞳の奥の秘密」ではアカデミー外国語映画賞受賞作のベテラン。

たった4日間だけの休暇でカナダからやってきた親友のハビエルはスペインの俳優で、アルモドバルの作品などに出ているが、ここではクールで善良な友人役で、ラストでは老犬と共に去って行く。

この友情こそが、この作品の美点であってユニークな視点で、たしかに人の死で残されるのは遺族だけではない、確かに、もっとも意味深いテーマであり、財産や遺品の処分などよりも、遥かに重く美しいテーマなのだ。

 

■センター・オーバーのフライだが、意外に伸びてフェンス直撃のツーベース。 ★★★☆☆+

●7月1日より、ヒューマントラストシネマ有楽町などでロードショー 


●『怪物はささやく』の大木は、ジャックと豆の木のモンスターなのか?

2017年05月14日 | Weblog

5月9日(火)10-00 外苑前<GAGA試写室>

M-054『怪物はささやく』" A Monster Calls " (2016) Apaches Entertainment / River Road / Participant Media / Summit Entertainment

監督・J・A・バヨナ 主演・ルイス・マクドゥガル、シガニー・ウィーバー <109分・シネマスコープ> 配給・ギャガGAGA

怪獣映画のような、ちょっとおぞましいタイトルだが、実はピュアな少年の心理を描いた、あの「ET」、「ベイマックス」から古くは「オズの魔法使い」のような、少年期の心理的成長を描いた新作。

13歳になる孤独な一人っ子少年ルイスは、病気の母とともに、墓地のすぐ横にある家で暮らしているが、夜中の12時7分になると、決まって現れる大木のようなモンスターに悩まされている。

父親不在で病弱な母の入院に代わって、祖母のシガニーが何かと口煩く面倒を見にやってくるが、眠れない夜にやってくる巨大な樹木型のモンスターは、少年に3つの物語を話して聞かせるのだ。

イギリスの女性児童文学作家シヴォーン・ダウドの未完のストーリーを、パトリック・ネスが追記して完成されたこの原作は、カーネギー賞とケイト・グリーナウェイ賞をダブル受賞。

あの「パンズ・ラビリンス」のプロデューサーが物語のユニークさに惚れ込んで、スペインの「永遠のこどもたち」の人気監督バヨナに監督を依頼して、イングランドで撮影された、という異色作品。 

という背景で、この作品は監督のホームであるスペインで先行公開されて、ご当地のアカデミー賞にあたるゴヤ賞で、最多9部門受賞して、興行でも昨年の興行ナンバーワンの大ヒットだという。

裏庭の先にある墓地には、大きな1本の樹があって、それが孤独な少年の話し相手として現れるが、その大木が繊細な表情をするCG処理が、あのドン・キ・ホーテの風車のような味がある。

そのナゾの大木を、「沈黙」にも出ていたリーアム・ニースンが声だけの出演をしていて、遠い昔話を3夜にわたって話して聞かせて、「黒の王妃と王子」「薬師の秘薬」「透明人間」と三話構成。

これが小心の少年の心を強くするのだが、ちょっと樹のアクションやその表情の不気味さに気をとられて、その話の内容の重要さの方は深く残らないのが、どうもこの作品の印象・・・となったのが残念。

何かと少年の気遣いをするシガニーが、いかにも「エイリアン」シリーズの怪奇な表情をするが、どうにも高齢化のせいで、まるで怪奇映画のような印象になりがちなのも、困りものだった。

つまりこれは、孤独で家庭の問題が多い少年のための、モンスター教育のような、深い内容がありそうだが、つい、老木の表情に気を取られてしまう・・という不思議な作品。

 

■ショートゴロをもたつく間に二盗塁を試みるが、タッチアウト。 ★★★☆

●6月9日より、全国ロードショー 


●『世界にひとつの金メダル』を獲得するまでの、人馬一体の強い情熱と呼吸。

2017年05月12日 | Weblog

5月4日(木)13-00 二子玉川<サンセット傑作座・自宅>・サンプルDVD

M-053『世界にひとつの金メダル』" Jappeloup "( 2013) ACAJOU Films / Pathe Production, Orange Studio, TF1 Films

監督・クリスチャン・デュゲイ 主演・脚本・台詞・ギヨーム・カネ、ダニエル・オートゥイユ <130分・ビスタサイズ> 配給・レスペ

1988年9月の韓国ソウル・オリンピックの馬術による障害飛越競技で、実際に金メダルを受賞した、フランス代表の馬術ピエール・デュラン選手の、その苦節の栄光までを描いた作品。

というと、何やらNHKの教育チャンネルによるドキュメンタリー映画のような感じで、ちょっと引いていたら、その新作サンプルDVDが郵送されてきたので、さっそくGW中に見た次第だ。

たしかに苦節と栄光までの、人馬一体となった作品だが、実はよく脚色されたヒューマン・ドラマであって、ただ、人間のチームワークだけでは成立できないシンプルな感動があった。

ここで主演の乗馬騎手に扮しているギヨームは、ご自身が乗馬一家の家族に生まれたために、幼少のときから乗馬に親しんでいた、というキャリアがあってこその実現映画化。

普通にこの感動ドラマを映画化するのなら、オリンピック直後の1990年代でも出来たはずだが、ほぼ30年も後になっての、この映画化というのは、当然、ギヨームならではの企画なのだ。

フランスのドルドーニュ地方に住む、久々の、名優ダニエル・オートゥイユの演じる農園家族は、庭には乗馬障害のフェンスがあって、幼少のころからギヨームは熱心な父親の特訓を受けて上達していた。

しかし、どこの家族にも問題はあり、息子は都会に出て、弁護士になる資格を得て、かなりのエリート・ロイヤーに成長していたが、その途上で、やはり父の夢の乗馬を引き継ぐことにした。

気性の強い若い飼い馬を調教して、しだいにギヨームとその馬も呼吸が合うようになったが、そう簡単にはオリンピックの舞台に出られるほど、この馬術競技の世界も甘くない。

という次第で、あのエリザベス・テイラー主演「緑園の天使」や「シービスケット」のように、多くのトラブルを乗り越えて、緒戦を人馬一体で勝ち抜いて、とうとう84年のロサンゼルス・オリンピックに出場。

もちろん、主演のギヨームはすべての乗馬シーンを自分でこなして、多くの障害物を飛び越えて行くシーンは、さすがに<本物>なので、これまでに見た事のないリアルな爽快感があって、美しい。

ドラマの中では、おおお、あの名優ジャン・ロシュフォールや、ドナルド・サザーランドまでが特別出演していて嬉しいが、とくにオリンピック障害レースのシーンは、かなり迫力あり見応え充分だ。  

とくにスケールの大きなオリンピック・スタジアムでの乗馬シーンは、やはり劇場のビッグ・スクリーンで、もういちど見てみたい。

 

■センターをオーバーしてフェンスまでのツーベース。 ★★★☆☆+

●6月17日より、シネマート新宿他でロードショー 


●『光』があるから、愛も見える・・のか。

2017年05月10日 | Weblog

5月1日(月)13-00 六本木<キノ・フィルム試写室>

M-052『光<ひかり>』(2017)「光」製作委員会、"RADIANCE" Film Partners / 木下プロダクション・組曲,カズモ

監督・脚本・河瀬直美 主演・永瀬正敏、水崎綾女 <118分・ビスタサイズ>配給・キノフィルムズ

盲人ではなくて、目の不自由な弱視な状態のひとの視力が、日々とともに次第に薄れて行く・・・というのは、まるで、あのローソクの最後の灯が消えて行くような切迫感がある。

普通のひとが年齢とともに、少しずつ視力が低下していくのは、わたしもそうだが、<白内障手術>によって、すぐに回復して、以前使用していたメガネは必要なくなったほど目覚める・・・が。

あきらかに視力の感度が改善されるのはいいが、その代わり、こうしたパソコンの発光スクリーンや、市街地の電光掲示板やネオンサインには感じすぎて、特殊な斜光サングラスが必要になった。

しかし、この映画のカメラマンの視力は感度を失って行き、まだ中年期の人生の半ばなのに、失明の危機にあるというから、スポーツマンの運動神経などよりも深刻に困った問題なのだ。

永瀬が演じるカメラマンは、夕陽の美しさを捉えた多くのフォトグラフィーで名を成していたが、ここにきて急激に視力が落ちて来て、手のなかのものでも凝視しないと見分けられない。

つまりプロとしては致命的な状況で、独身で家族のいない身上としては、これからの人生はまさに<お先真っ暗>な深刻な状況なのだが、かろうじて自活能力は残っていた。

一方、視覚障碍者たちのための<映画の音声>ガイドという仕事は、まさに昔のサイレント映画時代の弁士のような仕事で、映画で展開しているドラマを代弁して状況説明するというヤッカイな仕事。

なぜかその前世紀のお仕事をしているのが水崎の役目で、これはストーリーを代弁するよりも、もっとドラマの人間関係の感情的な機微を他人に知らせる・・・という至難な役目。

そこは子供に絵本のストーリーを聞かせる・・などという初歩レベルとは違って、かつては視力のあった大人に、そのドラマ背景を説明するというのは、たしかに<弁士>よりも大変だ。

あのアン・バンクロフトの主演名作「奇跡の人」や、ジャン・ギャバンの「夜はわがもの」などと違って、進行型の失明症状のカメラマンとの感情交換は、かなりやっかいなテーマなのだが、そこを河瀬監督は注視していく。

わたし自身も、じつはかつてサンセットに魅せられて、世界中の夕陽の写真を撮って、写真集も出版した経験はあるが、わたしの場合は、単なる副業<センチメンタル・ジャーニー>であって深みなどない。

だからなのか、この作品のテーマには、どうも照れくささもあって、マジな感情移入はできないままな・・・不思議な映画時間だった。

 

■選球フォアボール。 ★★★☆

●5月27日より、新宿バルト9他でロードショー