河童アオミドロの断捨離世界図鑑

河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

25:日常生活

2009年01月24日 | 東南アジア
今回の旅行のテーマは
「海外で暮らせるか?」
というのもあるのだが

結論は
「海外であることを気にしなければどこでも暮らせる」

ただ旅行を日常生活にしてしまうと
旅行という意味が無くなるかも

部屋とスーパーマーケットの往復で夜中インターネット接続していれば
どこに居てもほとんど同じで
これぞモバイル生活か

うーむ
テーマは「海外で暮らせるか?」ではなくて
「貧乏人は老後どうやって暮らすか?」であろう
その選択肢の一つが海外生活か

22:夕焼け

2009年01月24日 | 東南アジア
1月のバリ島は雨季らしい
夕方や夜中にザーッとスコールが来ることが多い
外を歩くのは早朝が良いのだろうが
基本夜型人間なのでしんどい
ちゅうか日中は暑いし
といって寝てるだけでは日本と同じやが
めずらしく?夕焼けが見れた

21:ウォルター・シュピースその5

2009年01月23日 | 東南アジア
1930年代にバリ島は西洋文化の刺激による文化復興を迎えた。その中心人物はウォルター・スピース(Walter Spies)である。国籍はドイツ人であるが、外交官の子としてロシア生まれ、第一次世界大戦中にロシアを放浪の経歴の主である。コスモポリタン的性格から異文化にあこがれ、1925年、バリ島ウブドに移住してきた。

動機はタヒチ島にあこがれたゴーギャンと同様であろう。彼は幻想的な風景画をかく画家である。親しかったルソーの影響のような牧歌的風景である。バリに埋没し、バリの精神世界に入り込んだ。バリの風物に刺激されたスピースは熱帯風景の中のバリ農民の生活を幻想的に描いた。怪しげな雰囲気は熱帯絵画といわれ、オランダの『熱帯博物館』やウブドの美術館に収集されている。

ウブド村に構えたスピースのアトリエにバリの青年芸術家が集まった。彼らはヨーロッパ人に真似て絵の具、筆、キャンパスなどによって油絵を始めた。そして油絵という様式がバリ人に表現しうる芸術の可能性を拡大した。

(文章無断転用)

20:ウォルター・シュピースその4

2009年01月23日 | 東南アジア
ウォルター・シュピースが最初に?住んだ家というのが
チャンプアンというホテルにあるらしい
今居る所から歩いて10分くらいではないか!
宿泊せずに部屋だけ見るにはどうしたものかと考えた

ホテルのレストランで食事をしてそのまま部屋を見に行って
またレストランに戻ればええがなと考えた
しかしホテルのレストランの値段はへたすると宿泊料くらいになるがな

たぶんこの建物で合ってると思うのだが

この時代に海外に行けて
こんな家に住めるということは
お金持ちのぼんぼんやったのだろうなあ

19:メディアレスキュー

2009年01月23日 | 東南アジア
VECTORで探したら
SDカードのデータを復元するツールで
「メディアレスキュー」というのがあった
試用版をダウンロードして使ってみたらほぼデータが表示される

オンラインでキーを購入
データは復活できそうだが
どうやら、画像と音楽データ重視らしく、それ以外は表示されないようだが
今後のためにインストールしておく

結局16GBのSDは再フォーマットしようと思って
フォーマットすると
こんどはOSがブルースクリーンに!

SDカードが電気的に壊れたのかもしれん

アジア地方は220Vのせいか
金属部分をさわるとけっこうビリビリくるし

18:ウォルター・シュピースその3

2009年01月23日 | 東南アジア
で、バリ島に来てついにこんな絵を描いてしもたと

「チャロナラン」

左上に妖怪が居て人がびっくりしてるという絵

生きてるうちにどうしようもなくひきつけられる事がらに出会った人はとても幸福なのかもしれない。理由は不要でそれにしたがって生きればいいわけで。それがどういう意味かとか役に立つのかとかは考えるだけ無駄だろうし・・・

17:ウォルター・シュピース2

2009年01月23日 | 東南アジア
制作年から見ると、バリに来る前の作品のようである

シャガール風アンリ・ルソー風マグリット風ボシュ風水木しげる風(ちょっと違うか)のような
もともと幻想的な絵を描く人やったのが
バリに来てアート魂が化学反応を起こしたのだろう

たしかに夜中にザーッと雨が降って風が吹いて真っ暗な森の中でカエルや虫や正体不明の鳥やヤモリが鳴いているのを聞くと精霊とか妖怪とかを妄想してもしかたない

16:ウォルター・シュピースその1

2009年01月23日 | 東南アジア
そろそろアートぽいことも書かねば

ウォルター・シュピース(1895~1942)

ロシア生まれのドイツ人画家・音楽家。

ケチャダンスも彼の創作とのこと。

ウブドが芸術村になったのもウォルター・シュピースの影響だろう

ちょうどアルマ美術館でシュピースの展示をやっていた

もっと古い時代の感覚の人物だと思っていたが

本人の写真や過去の作品を見て納得

100年前の人にしては先進的というか

イナガキタルホみたいな人物か

なるほど、今までの疑問がみごとに氷解

今回バリ島に来たのはシュピースの研究のためなのである