みなさん、こんばんは。
日曜日の現地販売会は、暖かい日和と涼しい風の中、花粉の影響も少なく、気持ちよく開催することができました。
現場のご近所の方と話をしていると、いろいろな話が聞けて面白いですね。
そうそう不動産が売れる時代ではありませんが、探している人はいらっしゃいます。
これから新築を建てるのは大変ですが、みなさんがご希望に沿った住まいが見つかることを願うばかりです。
あの震災があった3月11日、新宿で一夜を過ごしたのをお話したかと思います。
少ない情報の中、鉄道の運行情報を何とか集めようとしましたが、なかなか難しかったのを憶えています。
私は永らく東横線沿線に住んでいますが、子供のころから言われていたのが、東横線は雪でも台風でも止まらず、ストライキもない、ということ。
子供ながら、東横線の”頼もしさ”に誇らしく思ったこともあります。
地震が起こった2時46分、鉄道全線が止まった、と聞いたとき、東横線はすぐに動く・・・と思っていました。
ところがご存知の通り、電車はぜんぜん動かなくて・・・
あの東横線が・・・なんて思いました。
先日、当時のことを記事に読んだんですが、JRが終日運休を決め、すぐさま京急が追従したとき、東横線は、
「もう都内から横浜に移動できる手段はうちしか残っていない」
との判断から、なんとか電車を動かそう、としたそうです。
線路、架線に問題がないかの点検が進められる中、銀座線、副都心線などが動き、渋谷に乗客が殺到し、東横線の改札はまさに危険な状態。
当時の駅長は、電車が動くまで何とか持ちこたえてくれ・・・と祈るばかりの時間を過ごし、22時半ごろ、各駅停車が復旧してぎゅうぎゅう詰めの電車を送り出し、それは4時半ごろまで続いたとのこと。
東横線は夜通しの運転を決めていましたから、朝方、渋谷駅を出た電車がガラガラになったのを見て、職員はみんな安堵した、と言う話を読んで、とても感動しちゃいました。
今になるとあの夜のことが信じられない、と思うときもありましたが、もう帰れないのでは・・・と本気で思いました。
M8.0クラスの余震の可能性がありますから、少なくともあの夜のことを教訓に、準備はしておきたいですね。
さて、予算委員会の質疑で、首相や東電の社長が発言していましたが・・・
”想定外の津波”と言いますが、そんなこと言い訳になるんですかね?
第一にスマトラ島の大津波でM9.5の地震があったこと、第二に津波の大小と予備電源の準備は別でしょう、ということ。
明らかに災害対策を後手に回した”怠慢”が原因の人災、と言われても仕方ないと思いますよ。
ロボットによる原子炉棟の内部調査では、入り口付近ですらとんでもない放射線量を測定する状態ですから、とても核心には近づけないでしょう。
チェルノブイリみたく、コンクリートか水で封印しちゃうんでしょうか?
そうなったら、永久に住めなくなってしまいますね。
原発事故に関して、信じられる人は誰なんでしょうか・・・
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