みなさん、こんにちは。
娘が通っているバレエ教室の近くで、コーヒーとドーナツを楽しんでいます。
少し花粉が飛んでいるんでしょうか、暖かい日和ですが、目が痒いです。
さて、鴻上尚史作の不死身の特攻兵という本を読みました。
私の祖父が軍艦武蔵に乗艦し、戦死していることもあり、太平洋戦争中に何があったのか、とても興味があります。
話の内容は割愛しますが、特攻を命令した側と命令された側のそれぞれの立場から分析した内容は、とても心に残るものでした。
以前、鹿児島県にある知覧基地跡を訪ねたことがあります。特攻を命令された兵士の遺書や家族への手紙を見たかったからです。
展示館には、出撃した多くの兵士の写真があり、遺書や手紙が紹介されていました。
当時は漠然とした知識…ただの興味本意だった部分が多く、泣いていらっしゃるご老人の中で、達筆すぎて読めない書面を前に、思ったほど感動なく帰ってきた、そんな感じでした。
今回この本を読み、あの知覧にあった手紙は、全てが本音ではないのかもしれない、そう思うようになりました。
生きて、家族や大切な人を守りたい…
生き残った「命令した側」は、特攻兵は自ら志願して勇敢に死んでいった、と語り、生き残った「命令された側」は、真実を語ることなく静かに過ごしてきた、そんな背景が見えてきます。
私の祖父は、記録ではフィリピンのガバリオ島で戦死、とありました。
激戦のあったコレヒドール島の南東に、 caballo島という島があるので、おそらくこの場所だと思います。
船が沈んでも国に帰れることなく、そのまま戦地に残った祖父の気持ちは如何ほどだったのでしょう。
軍艦武蔵の最後の出撃命令、捷一号作戦は、死を覚悟した出撃ではあったが、死んでくる作戦ではなかった、と理解しています。
その意味で特攻作戦とは大きな違いがあると思います。しかし、不沈艦武蔵沈没を知る兵士は、秘密保護のため、国に帰れなかったのかな…そう勘ぐってしまいます。
当時、海軍と陸軍の連携が、現場でどのくらいできていたのか分かりませんが、軍艦の乗員を陸戦隊として配置する…場当たり的に思えてなりません。
祖父は、家族にとても優しい方だったそうです。
私は、祖父には、生きて帰って家族を守りたかったと考えていたと願っています。
過酷な環境と絶対服従の命令、そう心に思うことすらできない状況だったのかもしれませんが、どんな思いで死んでいったのか…
テロのように死んだわけではないことを、この本は教えてくれたような気がします。