hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

久我山散歩⑤〜路傍の花たちを観察する

2021-04-20 05:00:00 | 日記
桜の季節も葉桜になって、新緑が眩しい季節に変わりつつある。相変わらずの久我山散歩だが、足元に力強く咲く、路傍の花たちに注目してみた。というのは毎年、見覚えのある花が咲いているにも関わらず、名前を知らないことが多いからである。

まずはポピュラーな花から。この花は保育園児でも知っているタンポポである。冬は放射状に葉を目一杯広げ、太陽の光を集め、早春に黄色い花を咲かせる。英語名ダンディライオン。しかし、外来種のセイヨウタンボポの勢力が強く、在来種が減っているという。

(ニホンタンポポ)

その違いをどこで確認するのか。これは花の裏に当たるガク(総苞片)が反りかえっているのがセイヨウタンポポで、閉じているのがニホンタンポポなのである。タンポポを見かけたら試してみるといい。


次もよく似た2つの植物、はじめの方がムラサキケマン(紫華鬘)である。ケシ科の植物で別名がネコイラズ、プロトミンという毒性を持つ。



後の方がホトケノザ、シソ科の植物で下部に円形の葉、上部には唇状の紫色の花を咲かせ、春の七草の1つである。この二つ、花の色や形がよく似ている。



外来種、近年増加しているケシの仲間でオレンジ色の花を咲かせるため抜かれず蔓延っているが、名前はナガミヒナゲシ(長実ひなげし)。元は輸入穀物に紛れて渡来したものと推察され、1961年世田谷区で始めて確認された。あっという間にセイタカアワダチソウのように広がったのだが、その理由は一つの芥子の実に種が1600粒入っていて、これが散らばる、しかも繁殖力が強い。まだ、有害植物には指定されていないが、その拡散力は強い。



路傍の僅かな土の上でも覆い尽くす可愛らしい金平糖状の花を咲かせるのがヒメツルソバ。ロックガーデン用に明治時代に輸入された多年草。花の咲きはじめはピンクだが、徐々に白くなっていく。とにかく根が強い植物で一度生えると簡単には枯れない。この時期から秋まで花が咲く。路傍だけでなく、川に流れ込む排水管の出口や玄関の小さな窪み、どこにでも育つ。



最後に可愛らしいマメ科のカラスノエンドウです。富士見ヶ丘検車区にも多く咲いているが、これには近似種で花が少し小さい『スズメノエンドウ』がある。さらにこの二つの中間の近似種が発見されたが、何と付けたと思いますか?カラスとスズメの間だから私は『ハト』くらいかなあと思ったのだが、正解は『カスマグサ』、カラスとスズメの間というそのもののネーミングとなった。

(タチツボスミレ)
庭に植えられた植物もいいが、路傍に健気に咲く花を見てみるのも楽しいものである。

鉢形城址を巡る②

2021-04-19 05:00:00 | 城と城址
『関東の城址めぐり』その4。鉢形城の続き。鉢形城歴史館に戻り、館内を巡る。鉢形城は日本百名城の一つ、元々築城したのは関東管領山内上杉氏家臣である長尾景春と言われ、これを文明8年に後北条氏北条氏直の四男である北条氏邦である。後北条氏にとっては上野国支配や信濃・甲斐などからの侵攻を抑える役目を果たした。

歴史館の一階にはそうした歴史上の出来事と鉢形城の位置、周りにあった他の城の話などをパネルにして展示してある。

また、鉢形城のジオラマもあり、スクリーンでは鉢形城の歴史、バーチャルで作った鉢形城の中を探検できるビデオも備えられている。先程歩いた場所の位置付けなどがよくわかる。戦国時代のしかも平城のため、実感するのが難しいが荒川側の崖を上手く使い、大手門側には幾重もの畝や土塁を作って城を守っていた状態が理解できた。

さらに別館にはこの地区の埋蔵物を展示するコーナーもあり、呼んだタクシーが来るまで丁寧に見て回った。




TaiKouRou Tokyo〜八重洲ランチグルメ

2021-04-18 05:00:00 | グルメ
久々に坦々麺が食べたくなって日本橋界隈をウロウロ。いわゆる『まんぼう』体制下とはいうものの、新入社員も入り、レストランはそれなりに混みはじめている。

ソメイヨシノも葉桜になっているさくら通りに新たにできた『TaiKoRou Tokyo』、中通りの泰興楼が移ったものだが、入れそうなので入店。

2階の2人用の席に座る。名物はジャンボ餃子だが、麺類では坦々麺が一番人気らしい。店は八重洲中通から移転したばかり、随分とポップな店になっているが、中で働いているのはベテランの中国人女性ばかり。注文をして周りを見渡すと左側は上司と新人2人、新人は恐縮はしているが、食べるのが遅く、上司はイライラ気味。右側の4人組は部長、課長、新人2人の組み合わせ、オーダーが中々決まらず、部長氏が店員を呼びつけ、ようやくオーダーが完了するというありがちな風景に遭遇。因みに彼はイカが苦手で固焼きそばにイカが入っていないことを確認してから注文した。

こんなことをしているうちに私の坦々麺(税込850円)が到着。見た目は胡麻たっぷり、野菜はもやし、玉ねぎ、ニラ、あとはひき肉のみ。スープを一口、まずは熱さ、次に辛さ、最後に胡麻の効いたスープの旨さがやってくる。

たっぷりのもやしを食べつつ、スープを飲もうとするが、かなり熱い。シンプルな具材だが、野菜の甘さも感じられ、これに細麺の縮れ麺が良くあっている。
右側の集団は新人研修について新人に質問しているが、食べながら、考えて、話すことが不得意そうでついに箸が止まってしまう。私どもの世代なら何とかついて行こうとするが、彼らにそんな気があるのかも気になる。

たっぷりのスープとシャキシャキのもやし、さらに具入りラー油のような辛味でC八醬(シーバージャン)をスプーンで4杯ほど入れると程よく辛くなる。外は結構暑いにも関わらず熱い坦々麺を頂き、背中から汗が垂れるのに気づく。ワイルドな店内の壁も面白い老舗の店、ご馳走さまでした。

TiKoRou Tokyo
中央区八重洲1ー5ー15
0332719351

鉢形城址を巡る①

2021-04-17 05:00:00 | 城と城址



『関東の城址めぐり』その3。今回は鉢形城址に行くことにした。秩父鉄道寄居駅で下車、南口に降りてはじめは歩いて城址を目指そうとした。しかし、これがかなりの距離と見て引き返し、駅前からタクシー乗車。

鉢形城歴史館と告げるとすぐ車は発車、荒川を越えて上り坂を軽快に走る。運転手さんに聞くととても歩いては行けそうもない。



歴史館の駐車場にはソメイヨシノがたくさん植えられていて満開。しかし、歴史館の開館にはまだ時間があるため、建物の裏にある城址から見て回る。歴史館には地図があるが、かなり分かりにくい。小さな川を越えようと階段を歩き始めるとここがカタクリの群生地。



もう少し時期が遅いかと思ったが、一輪だけ綺麗に紫の花を咲かせていた。鉢植えは見たことがあるが、自生しているのは初めて、美しさにしばし時間を忘れる。



川を越えて広場に出ると氏邦桜と命名された町指定の天然記念物であるエドヒガンザクラの大木の前に出る。盛りは過ぎているが、立派な枝ぶりである。



左右に土塁が築かれていてスミレが群生しており、紫に染まっていて、また、土塁や畝が作られ、道が狭くなっていて平城の址とよくわかる。



まず、左に向かうと城山稲荷神社の鳥居、これを潜ると小さな祠があるが、この辺りが二の曲輪になる。もう少し先に行くと馬出(うまだし)や復元された、四脚門などがあるが、戻る時間も考え、本曲輪に向かう。



今度は少し戻り、シルバー人材センターの前を左に向かうと伝御殿曲輪、さらに階段を上がると本曲輪となる。

かなり高くなっていて先を見ると眼下に荒川の流れを見ることができる。多分、荒川の流れとその崖を使い、城を守ろうとしたことが良くわかる。



戦国時代にこれほどの規模の城や堀、畝、土塁などを築いた先人の力に驚く。そして再び歴史館に戻った。(以下、次回)







月肴〜四谷グルメ

2021-04-16 05:00:00 | グルメ
ようやく非常事態宣言も解消され、12月以来久しぶりに居酒屋に行く。それでもラストオーダーが早いため、スタートは6時。これもやむを得ない。今日伺ったのは四谷三丁目駅からほど近い『月肴』というお店。

店内に入ると大きなカウンター、ボックスは3つ、早い時間なのにもう始めている人たちもいる。他の人たちも2〜3人の小グループばかりである。本日はこの店を見つけたTくんがお決まりを頼んでくれている。

コースの内容は通常が4000円、さらに肉を入れると5000円、締めのご飯まで入れると6000円と分かりやすい。〆が筍ご飯と聞いて通常コース+筍ご飯にした。



まずはビールで乾杯。先付けは5品、ホタルイカの木の芽酢味噌、メカブ、白魚と大根おろし、菜の花と空豆のお浸し、穴子と牛蒡の炊き合わせ。白魚や菜の花、木の芽など、春を感じさせる食材が配されていて目も喜ばしてくれる。

特に穴子と牛蒡の炊き合わせはしっかりした味付けで酒によく合う。

酒に移るが、種類が多く悩む。まずは辻善兵衛(栃木県)。名前が『世は満続』というネーミングが面白いが、一口飲むと純米吟醸だけあって吟醸香が楽しめる優しい味。

これに刺身3種、初鰹、鯛、ボタンエビ。鯛はやや冷え過ぎていて旨味まで行かなかったが、カツオは爽やか、ボタンエビは新鮮で身はもちろん、味噌まで美味い。



続いて蛤のお椀、普通に美味い。酒は山形正宗(山形県)、これは次に出る山形牛に合わせたのだが、すっきりしていてつるつると入る。



そのコロッケ、山形牛とふきのとうが入っている。ゴロッとした肉の食感とふきのとうのかおり、ほんの少しの苦味、これを玉ねぎのやや甘めのソースに合わせた逸品である。



コース最後は桜鱒の塩焼き、見た目より脂が乗り、特に皮目は味がいい。これには隆(神奈川県)を合わせる。切れがあり、しっかりと濃いめの酒だが何故か飲みだすとするっと入ってしまう不思議な酒。やはり神奈川県に残る蔵の酒は外れない。



最後に大きな土鍋で炊いた筍ご飯、おこげもしっかりあり、季節感を味わう。さらにしじみの味噌汁、漬物も美味い。



全体に季節がふんだんに盛り込まれ、わざわざ飲みにくる人をもてなしてくれるお店でした。アクリル板や換気などにも気を遣ってくれているのもありがたい。ご馳走さまでした。
月肴
新宿区舟町5ー25
0359196697

秩父鉄道に乗って 熊谷〜寄居

2021-04-15 05:00:00 | 鉄道

『鉄道シリーズ』その299。関東の中小私鉄も殆ど乗り終えた中で再び行きたいと強く思ったのが、秩父鉄道と銚子電鉄。今回は思い切って秩父鉄道から乗ることに。
秩父鉄道は北関東を走るローカル私鉄で羽生〜三峰口の71.2kmに38駅を有する。



今回はそのうち熊谷〜秩父に乗車した。JR熊谷駅に8時過ぎに到着、熊谷まで来ると少し気温が下がる。当然、自動改札機を使い下車するが、秩父鉄道ではSuicaも自動改札機も関係ない。

構内を左の方に向かうと秩父鉄道の窓口と券売機が並んでいて切符を購入。いつもSuicaを使っているため、券売機での購入も久しぶりである。



改札口には駅員がいるが、入鋏はさすがに省略。ホームはJR線と並行して作られているが、ベンチ一つ取っても懐かしい。もちろん色々な表示板も。ホームの隣の線路には懐かしい小豆色の車両が留置されている。

三峰口行普通電車は0824に定刻通り到着、ハイキングに向かう人達も乗車する。車体は旧東急7000系である。30%の乗車率でトコトコと2両編成の電車は動き始める。最初は北陸新幹線と並行して走る。上熊谷駅にはすぐに到着、古い駅である。




石原駅は『いしわら』と書いてある。ただ、地名は『いしはら』らしいが。次のひろせ野鳥の森駅は2003年にできた新しい駅で駅名表示板は駅舎に大きく描かれている。


この駅は熊谷商業高校の最寄駅でたくさんの女子校生が降り、駅の周りは住宅団地が整備されている。



ただ、この辺りから畑が増えてきて、大麻生、明戸駅は乗降も少ない。次の武川駅からは貨物線の三ケ尻線が分岐、終点には石灰工場がある。そのため、電気機関車が多数留置されているが、これがカラフルに塗色されていて見るだけで楽しい。



この辺りからは車窓に満開の桜や花桃などが鮮やかに咲き、また、耕作前の農地が広がり始める。永田、ふかや花園、小前田、桜沢と停車後、このあたりの中心駅寄居に到着する。



寄居駅で一旦下車、この駅は先ほどの熊谷よりさらにレトロ。駅名表示板と名所案内、長い木製の椅子や水道などは記念物級でしばしホームを歩く。



階段を登ると改札口、寄居駅は秩父鉄道の駅で東武東上線、JR八高線も同居している。そのため、Suicaのタッチする機械はあるが、秩父鉄道は関係がない。私はここで降りて鉢形城址に向かうことにする。(以下次回)

長崎飯園にてチャーハンを頂く〜神田ランチグルメ

2021-04-14 05:00:00 | グルメ
バタバタしていて遅いランチに。神田駅近くにいたものだから、そう言えばこの間行けなかった洋食屋『ビーバー』があったはずと店の前まで行くと張り紙。店主の体調不良もあり、閉店しました、とある。また職人気質のコックと元気なマダムがやめてしまったとがっかりする。

それならばとすぐ近くにある『長崎飯園』で12時半以降なら注文可のチャーハンを食べるべく歩く。店は先客が3組ほど、食券を買っておばさんに渡す。



店内を見ると長崎県のポスターや凧(はた)が飾られていてムードがある。その後2組がやってきたが、いずれも固麺皿うどんのため、追い抜かされる。まあ、これも計算内、10分足らずでチャーハンが到着。全体的に色白の綺麗な仕上がり、中身には細かく切られたチャーシュー、卵、長ネギのシンプルなもの。さらにスープと沢庵がそえてある。

まずは一口、見た目通り大人しめのあっさりした味。しかし、パラパラに炒められていて一口食べるとさらに一口食べたくなる。



胡椒、酢を掛けて味変するが、これもいい。あえてエビチャーハンは回避したが、私にはこのシンプルな味の方がいい。

ただ、ほかに卵とエビの炒め物を掛けた『エビ玉子飯』と同様に卵と牛肉の炒め物を掛けた『牛肉玉子飯』はぜひ食べて見たい。



最後は皿うどん用のソースを少し掛けてみたが、これも美味い。まあ、私が金蝶ソースが好きだからかもしれないが。ようやくこの店のチャーハンが食べられて満足。ご馳走さまでした。






長崎飯園
千代田区神田富山町24
0332530026

地下鉄路線図を比較して見て見えるもの

2021-04-12 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その298。通勤電車の中で地下鉄の路線図を見てふと気が付いた。東京には東京メトロが9路線、都営が4路線、計13路線が走っていて都営浅草線①、日比谷線②、銀座線③、丸の内線④〜半蔵門線⑪、都営大江戸線⑫、副都心線⑬とナンバーリングされている。路線名に注目すると地名を使った路線が9路線、方角が南北・東西の2路線、あとは大江戸線・千代田線と圧倒的に地名を使うものが多い。


地名も千代田区が日比谷線、丸の内線、有楽町線、半蔵門線の4路線、中央区が銀座線、港区が三田線といずれも都心に集まっている。特に日比谷・銀座・有楽町・丸の内などすぐそばにあり、東京に初めてきた人にとっては名前だけではどこを走る路線かはたぶん分からない。

また、丸の内線、銀座線、日比谷線など比較的建設の古い路線を見ると迂回するように折れ曲がるルートである。例えば池袋〜新宿も山手線ならば9分だが、丸の内線ならば39分もかかる、これも東京の中央部に立地する皇居の下に地下鉄が通せないことが原因である。

では大阪を見るとどうだろう。大阪には8路線あり、うち御堂筋、谷町(筋)、四ツ橋(筋)、千日前(筋)、堺筋、今里筋と6路線までが通りの名前になっている。地図を見ると千日前線と中央線は東西に走るが、残りの路線は東西と皇居あたりを中心に放射状に走る東京とは全く違う。

これは推察だが、ネーミングは『梅田線』と仮に付けても御堂筋線も、四ツ橋線も、堺筋線も梅田を通る(そのため、四ツ橋線は西梅田駅、堺筋線は東梅田駅にしている)ため、混乱するからと思われるが。実際に四ツ橋線にも御堂筋線にも本町駅があってわかりにくい。

名古屋にも6路線あるが、真ん中に名城線という環状線(実は金山→大曽根が2号線、大曽根→金山が4号線と2路線あり、これが相互乗り入れをしている)が走り、東西に鶴舞線と東山線、始めは東西に走り、途中から南北に走る桜通線、金山から港に向かう名港線、名城線と名鉄小牧線を結ぶ上飯田線となっている。路線の数は少ないが、形態的には東京に似た路線網となっている。

もちろん、それぞれの都市のJRの路線の形状で都市計画が決まり、地下鉄の路線も決まる要因も大きい。ただ、地下鉄は基本的に公道や川の下を走ることから、都市の発展形態を表しているようにも見受けられる。こんなことを考えながら路線図を見るのも面白いのではないか。

はせがわ酒店で博多うどん〜日本橋ランチグルメ

2021-04-11 05:00:00 | グルメ
COREDO室町の裏にある福徳神社を歩いていたら、はせがわ酒店の見慣れたロゴ。酒を見に入店。山本、醸し人九平次、伯楽星、澤屋まつもと、鍋島、磯自慢など10台の大型冷蔵庫が並び700種類の酒が並んでいる。これを見始めるといくらでも時間が経過してしまうのである。

店を出ようと反対側を見るとイートインとなっていてランチは博多うどんが頂ける。メニューを見ると、丸天、コボ天、肉うどん、かしわうどん。さらにかしわめしがつく週替わりメニューも。



ランチセットは月曜が丸天、火曜がごぼ天、水曜が牛肉、木曜がかしわ、金曜がちくわ天と言ったラインナップ。偶然に火曜はごぼ天なので迷いなくランチA(800円、税込)を選ぶ。

店はガラガラのため、中央の席に座る。ところが12時10分前あたりから急に混み始め、うどんが到着した時にはほぼ満員。

うどんは透明な出汁に太い薄切りの牛蒡を天ぷらにしたものが6つ、麺は細身で柔らかい博多仕様。コボ天は牛蒡に薄味が付いていて柔らかく、さらに揚げたてでかなり熱いが美味い。ツルツル柔らかいうどんも懐かしい。



小鉢は出汁巻が2切れ、大根おろしとネギが掛けてある。こちらも薄甘い味でいい。
特筆すべきは小振りの茶碗に盛られたかしわ飯。

鶏肉もたっぷり入っていて久しぶりに食べた博多風の味、これは丼でも食べられそうである。うどん+かしわ飯のバランスの良さ、感動した。酒は飲まなくても次回はぜかちくわ天の日にくることにしたい。

ご馳走さまでした。因みにはせがわ酒店でランチができるのは日本橋店のみです。

はせがわ酒店日本橋店
中央区日本橋本町2ー1ー1武田グローバル本社ビル1階
0362623111

青物横丁〜鮫洲周辺の坂道②

2021-04-10 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その130。レモン哀歌の碑からゼームス坂に戻り、坂の上まで登る。ゼームス坂上の交差点を左に行くと池上通りと交差するあたりに左側に『仙台味噌』と書かれた木造の工房がある。

元は仙台藩江戸屋敷のなかにあった味噌醸造所で八木家が引き継ぎ、現在は3代目の方が味噌を作っている。大きな味噌桶を見ることができる。 

その先、歩道は坂道、車道は隧道になり、坂の下で合流するが、ここが『旧仙台坂』(別名、くらやみ坂)と呼ばれている。以前は仙台坂と呼ばれていたが、青物横丁に向かう道が拡幅されたため、こちらが旧仙台坂と呼ばれるようになった。



坂の下まで降り、第一京浜を右に曲がる。少し歩くともう鮫洲駅となる。その先、大井消防署を右に曲がると『木の芽坂』となる。



標識によると『江戸時代は間部下総守の下屋敷の横の通りで、南側は崖となっていて下には泉があった。若葉の頃が美しかったのでこの名前がついたという』とある。今は立会小学校に面した坂道だが、交通量は多い。

第一京浜に戻り、蒲田方面に少し行くと美しい緑青が目立つ銅板貼りの民家がある。



その先の細い道を右の方に行く。次の角を右に曲がるとグネグネと曲がる坂道になるが、これが『犬坂』、以前に訪れた際は静かな坂道だったが左側に大きなマンションが建設中で雰囲気が変わっていた。



別名が『へびだんだん』、今にも蛇が出てきそうな薮は右側に残っている。犬坂の由来はよくわからない。坂の最後は石段になっていて手前側に元芝公園という児童遊園がある。



ここに腰をかけて少し休んだが、周囲には民家が多く、子供達が駆けまわっていた。帰りは再び鮫洲駅まで戻り、品川駅に出た。