hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

中野区役所

2020-07-21 05:00:00 | 区役所


『区役所に行こう』その9。今回は中野区役所に行ってみた。この区役所も中野駅前にあり交通至便、9階建の建物は駅のペデストリアンデッキからも一望できる。


区役所の前には5匹の犬の銅像、うち1匹は母犬でお腹の上に子犬が載っている。案内板にはかつて徳川綱吉によって作られた犬屋敷があったとある。

中に入ると1階エントランスが住民票などの事務を行なう窓口の待合室も兼ねていて人が多くごちゃごちゃとしている。右手には売店もありちょうど刑務作業で作られた物品の即売会が開催中である。

エレベーターで9階まで上がり、観光課でパンフレットをもらう。その隣には区役所と中野サンプラザの一帯開発を行なう事務所もあった。しかし、展望台などはなく、昔ながらの区役所で2階の満点食堂は人気があるが、ほかに見るべきものはない。



これだけではつまらないので中野サンプラザにも足を伸ばす。遠くから見れば目立たないが、作られたのが1973年と50年近くなるため汚れも目立つ。

入口を入るとすぐにホールに向かう大きな階段があるが、この日は使われていなかった。コロナウィルスの関係もあり使われていないのだろう。地上20階、地下3階の建物は上層部はホテル・レストラン・宴会場(10ー20階)、ほかにテニスコートや結婚式場などがあり、下層部は2222席もあるコンサートホールである。



しかし、あまり知られていない地下の部分だが、地下1階にはプールやボーリング場、ネットカフェが現在も営業中。一旦20階まで登ったが残念ながら外を見ることは出来なかった。







ふうれんでエスカロップを食す〜人形町ランチグルメ

2020-07-20 05:00:00 | グルメ


『エスカロップ』というメニューを知っていますか?唐突な質問ではあるが、もう30年以上前になるが、エスカロップを釧路だったか、根室だったかの喫茶店で食べたことがある。あまり記憶は定かではないが、当時はケチャップライスの上にトンカツを乗せ、上にドミグラスソースを掛けたランチだったように覚えている。

エスカロップがなんと人形町で食べられるとす知り、早速お邪魔した。店の名前は『ふうれん』、根室近くの風連沼から取った名前だろう。店は根室料理の居酒屋でランチメニューはザンギ、鮮魚のミックスフライ、焼き魚などと共に『エスカロップ』(980円、税込)もあるのだ。

11時45分頃だったが先客はおらず、カウンターの端に陣取る。短髪のおじさんが『今日の焼き魚は鯖だよ』と教えてくれたが、すぐに『エスカロップ』というと厨房にそれを伝える。

すぐに揚げ油の音が聞こえ、5分ほどでエスカロップ登場。ほかに味噌汁、漬物、ドミソースが付いてくる。ドミソースを揚げたてのトンカツにかけて食べ始める。カリッと揚がったカツに本格的なドミソースがよく合う。

ライスは竹の子入りのバターライス。ケチャップライスではないが、さっぱりした味に濃い目のカツがよく合う。サラダも千切りキャベツ、トマト、きゅうりがたっぷり。



ボリュームは十分、私の次のお客さんもエスカロップにビールを注文、なるほどビールにもよく合う味である。

日本の最東端にある根室発祥のエスカロップ、フランス語で『薄切り肉』の意味らしい。同じように日本の最西端・長崎には『トルコライス』、これもよく似た食べ物のように感じる。こんな事を言うと地元の人には叱られるかな?ご馳走さまでした。(因みにトルコライスはチャーハン、パスタ、トンカツ、つまり中国、イタリア、日本の名物を同居させたため、欧州とアジアを繋ぐとの意味でトルコライスとなったようですが。まあ、ワンプレートという意味では私には同じように感じます。)

ふうれん
中央区日本橋人形町2ー30ー5
0356416667


閘門橋を訪ねて〜明治の建築物を訪ねて(番外編)

2020-07-19 05:00:00 | 川と橋


『大正、昭和の建築物を訪ねて』の番外編。今回は大正、昭和ではなく、明治に造られた橋を訪ねてみた。



常磐線金町駅で降りてバスで20分ほど揺られ、水元5丁目で下車する。まっすぐ行くと三叉路があるのでこれを右折すると左側に芦が茂り、殆ど流れていない川が現れた。



これは大場川の一部が二又に分かれ、写メに赤く丸を付けたのはこの中洲部分である。

そのまま少し歩き、道を反対側に渡ると水元公園の入口がある。その先に橋が見えて来るがこれが本日の目的である『閘門橋(こうもんばし)』である。



この橋は1909年(明治42年)に造られた上路式レンガアーチ橋でこの形の橋は東京に唯一である。橋長30m、幅員3m、高さ5.5mで径間は上流側に3つ、下流側に5つあり、水害による中川からの水の逆流を防ぐために造られたものである。

その形状は初めて見るもので、上流の径間の上にはブロンズ像が2体、いずれも荒れ狂う風雨と戦いながら閘門の堰板を巻き込んでいる姿である。





橋の上には上流方向にも下流方向にもテラスが造られていてその姿を見ているだけで時間を忘れさせてくれる。



下流側には水元公園が広がり、また、現在は人道橋となっているため、ゆっくり渡ることができる。



車道の方は『葛三橋』と名前が違うが、並行しているため、上流側からの写真は撮りにくい。橋の袖には石でテーブルやベンチも置かれていて不思議な空間を演出していた。



因みに橋の先、次の信号あたりが都県境となり、八潮市、さらに三郷市に入る。先人の苦労が詰まったレンガ橋、一度見る価値はある。


つるや〜上野駅ランチグルメ

2020-07-18 05:00:00 | グルメ


梅雨の雨が続き、気も滅入る。このところ空ら梅雨気味の年が続いたからだろうか、余計に長い気がしてしまうのかもしれない。気温は昨年よりはかなり低くて助かっているが、傘を差して外回りをするとテレワークはいいなぁなどとつい思う。

昼時に上野駅近くに行ったのでじゅらくでオムライスでもと店の前まで。しかし、まだ開いていない。時間もないので隣の立食い蕎麦屋にお邪魔する。店の名前は『つるや』、入口にはそばのディスプレイ、箸が蕎麦を上げ下ろしするのは単純だが面白い。

店に入ると左側に大きな券売機、種類も多い。冷やしたぬきが460円、かき揚げ天ザルが490円を比較して後者にする。カウンターでおばさんに食券を渡すとすぐに作ってくれるのである。

店内はハイカウンターが囲むようにあり、中央部には椅子がない机も配置されている。ガラガラなのに座らず蕎麦を啜る人も結構いるのが私流では不思議。



椅子に座り、そば猪口ではなく、天つゆの小鉢に山葵とネギを入れて蕎麦から。ちゃんと冷水で締めてあり、茹で蕎麦の割にはコシもちゃんとある。ビシャビシャしないのは底に竹製のスノコがあるためと後で気づいた。

かき揚げは殆ど玉ねぎ天だが、まだ温かく、カリッと歯応えがいい。4分の1に箸で割り、天つゆに漬けて頂く。食べると僅かに干し海老の香りもする。



周りにはインバウンドを意識した英語を取り混ぜた絵がたくさん貼ってあり、これを見ているだけでも楽しい。



ただ、コロナ禍の中、外国人はカウンターの中のおばさんだけだが。意外に奥まで長い店、2階も以前はやっていたが縮小したみたい。頑張ってもらいたいものだ。ご馳走さまでした。

つるや
台東区上野6ー11ー12
0338310878


中野駅②

2020-07-17 05:00:00 | 鉄道


『メトロに乗って』その114。中野駅のつづきである。再開発ビルの一つ、中野セントラル・パークサウスの周りを歩く。通り過ぎると見慣れた紫紺の旗、明治大学の校舎がある。

道を隔てた向かい側にある小さな広場は『囲町ひろば』という懐かしい名前がつけられている。



横から見ると薄っぺらいがL字の大きな校舎である。お茶の水にある校舎に比べるとその進化ぶりにびっくり。こんな校舎で勉強できる学生が羨ましい。校舎の前には明治大学の功労者3人のレリーフがある。



その隣も平成帝京大学の校舎、まわりは災害公園である『中野四季の森公園』と名付けられている。

早稲田通りに向かって歩くと左側に警察病院、玄関脇にはコロナウィルス対策用の検査設備なのか、テントが建てられている。ちゃんと警察専用ではなく、一般の人も利用できますと明記されている。






警察病院の構内を歩く。早稲田通り沿いの一番端、お隣の早稲田大学の施設との境あたりに『陸軍中野学校跡』の石碑がひっそり立っていた。隣には大正12年に建てられた『摂政宮行啓記念碑』、つまり昭和天皇が皇太子の頃に訪れた石碑である。



早稲田通りに出ると反対側は昔ながらの建物が並び、看板作りの魚屋や酒屋もある。
少し中野駅に向かい歩くと小さな稲荷、珍しいことに金属の門もついている。



『妻戀神社』という古い扁額があり、また、神狐が一対あるが、盗まれたり悪戯されたりしない様にだろうか、金属の囲いがされている。調べると矢島源右衛門という人によって祀られた神社だが、亡くなった妻を偲んで祀ったというのは俗説で湯島にある妻恋神社の分霊を祀ったものというのが真実らしい。






堀留庵〜人形町ランチグルメ

2020-07-16 05:00:00 | グルメ


梅雨末期、雨が降るのだか、止むのだかわからない天気となると事務所から遠く離れるのもリスクがあり、どうしても昼は近くで済ませてしまう。今日は近間にあるお蕎麦屋さんでランチにした。

『堀留庵』は日本橋堀留町に由来しているが、つい1年前までは『堀留屋』という別の蕎麦屋もそばにあったからややこしい。堀留屋は十割蕎麦を大盛で食べさせるので有名だったが、1人で切り盛りしていたおじさんが急逝、閉店してしまったので堀留のつく蕎麦屋はここしかない。

堀留庵に入るとコロナ対策で今は1階は営業しておらず、2階へ行く。テーブルが6つ、適度に離してあり、ちゃんとソーシャルディスタンスも考えている。メニューを見てクーラーがよく効いていることから『たぬきそば』(630円)を注文。というのも冷やしたぬきや冷やしキツネもあるが、何故か1000円とカツ丼と同じ値段がするのである。お得なのはそばセット、この日は肉南蛮そばにサラダ、ご飯、漬物付きで850円。

席について周りを見渡すとお爺さんばかり、4人連れも2人連れも、1人の客も見た目は私より年上ばかり。

厨房は1階にあり、オドメーターど2階に上がってくる。到着したたぬきそばは丼に蕎麦もたっぷり。さらに揚げ玉、三つ葉、蒲鉾が乗っている。つゆを一口、江戸らしく辛口のつゆが多いこの辺りでは薄め、やや甘めで香りもいい。蕎麦は細い更科風、コシがあって思っていたより本格派。量もたっぷり、中々の隠れた名店である。因みに夜はおでんや肉じゃがなどのつまみもあり、呑むこともできる。

あとから来るお客さんもやはり爺さんばかり。そばセットが人気だが、鴨汁そばを頼む人も多い。店の人は感じの良いおばさんが2人、常連に人気があるようである。ご馳走さまでした。

堀留庵
中央区日本橋堀留町1ー8ー1
0336636003


東京駅で新たなスタンプを押す〜私と駅スタンプ⑤

2020-07-15 05:00:00 | 鉄道


『鉄道シリーズ』その255。私とスタンプの5回目は急にやることにした。実はスタンプノート発見から4回にかけて色々と駅のスタンプを扱ってきたが、意外に東京都区内のスタンプは集めていない。

しかし、JR東日本が東京支社78駅に設置しているスタンプを7月8日からリニューアルするというニュースを知り、公式スタンプ帳発売を前に取り敢えず幾つかの駅を待ちきれず訪れることにした。

実は元々のスタンプ設置駅は77駅であったが、高輪ゲートウェイ駅開業に伴い78駅になったのである。新たなスタンプはそれぞれの駅の漢字を図案化してその駅の特徴を表すという大胆なものである。まずは向かったのは東京駅、しかし駅に到着して気がついた。田舎の駅は改札口は1つしかないし、降りた所にスタンプはある。しかし、東京駅は八重洲に3つ(北口、中央口、南口)、丸の内側にも3つ、さらに日本橋口、地下改札口が3つ(八重洲、丸の内、京葉)と計10個もあるのだ。しかもスタンプは改札口外にあるため、やり直しは効かないのである。私は以前スタンプのあった丸の内南口を降りてポストの隣辺りを探すとやはりあった。

ここのスタンプは『東京駅の東の字とドーム型屋根、さらに銀の鈴を図案にしたものである。私がスタンプを押印する前にJRの職員の方だろうか、感慨深げにスタンプを押す姿も見た。
私が初めて東京駅のスタンプを押したのが1972年3月、当時はDJ印であった。

さらにJR東日本が17年前にリニューアルした『二重橋が描かれた』スタンプ、これは3年前に押印したものである。

つまり、昭和・平成・令和と3つの年号を跨ったスタンプを押すことができたのである。(以下、次回)


舟町一期(再訪)〜四谷三丁目グルメ

2020-07-14 05:00:00 | グルメ


コロナウィルスの蔓延で居酒屋探訪は長く見合わせていたが、7月に入り2か月半ぶりに四谷三丁目にやってきた。とはいえちゃんと対策を打っていそうな店とお邪魔したのは『舟町一期』、杉大門通りをしばらく歩いた左側3階にあるお店である。

6時に予約したが、私がこの日一番乗り。この店はちゃんと通風もはかり、手を消毒させてくれ、席につく。

まずはビールで乾杯、お通しは魚の南蛮漬。酸っぱい味が爽やかでビールをつい飲み干してしまう。



続いて酒肴3品、万願寺唐辛子の煮浸し、鯖の燻製、焼き枝豆。焼き枝豆の豆の甘さ、この一手間が嬉しい。お酒はまず小左衛門(岐阜県)から、特別純米の口開け。直汲みならではの旨みを楽しむ。やっぱり居酒屋で飲む日本酒は最高である。

刺身は4品、カツオ、アジ、梅雨イサキ、鯛の昆布締めと並ぶ。あー、季節感を刺身から感じられる喜び、イサキが特に美味かった。酒は早くも2合目、日高見(宮城県)、キリッと辛口はさすがに石巻の酒だけあって魚にはベストマッチ。

焼き物は鮎、焼いた半身に中骨を頭から揚げたものがついてくる。やや濃い目の味付けが酒を進める。酒は李白(島根県)純米。

揚げ物は海老パンと玉蜀黍、海老のすり身を挟んで油で揚げた海老パンは意外にあっさり、玉蜀黍の甘みが光る。酒は大七(福島県)、生酛らしい強さがしっかり受け止めてくれる。



メインの肴はじっくり茹でた名物の牛タン。厚く切った牛タンがほろっと崩れ、じわっとくる旨みをマスタードが締めてくれる。最後の酒は醸し人九平次(愛知県)大吟醸、2015年の古酒だがひね感が全くなく、よく熟成されている。



締めは烏賊と桜海老の釜飯、行く春を惜しむ様な桜海老の味、口直しの青紫蘇のジェラートで大団円。相変わらずよく纏まったコースでした。久しぶりの居酒屋、十分堪能できました。

ご馳走さま、ちゃんと2時間に纏めました。新しい居酒屋ライフ?なのかな。

舟町一期
新宿区舟町5ー25TSIFUNAMACHI3F
05055939777


『大正・昭和の建築物を訪ねて』千住編②

2020-07-13 05:00:00 | 日記


『大正・昭和の建築物を訪ねて』その13。北千住の続き、勝専寺を後にして元の道まで戻り、国道4号線にむかう。信号を渡ると『旧千住郵便局電話事務室』のビルが見えてくる。

1929年山田守の設計のもと建築された、いわゆる逓信建築の一つであり、2階建で前面道路に沿う形で造られたコの字型の建物である。角の部分を曲面にしてタイルを水平に並べたデザインとなっていて今見ても美しい。特にアーチ型の門は優美である。

日光街道沿いに北に向かう。この辺りは下町風情が残されていて安い八百屋や街の自動車修理工場など『三丁目の夕日』に出てきそうな風景である。

右に曲がると大きな銭湯、しかし、銭湯という規模ではなく、お寺のような大伽藍である。『大黒湯』は第一回キングオブ銭湯にも選ばれており、正面の唐破風、その規模など王者の風格がある。



建築は1929年、もうすぐ100年は迎えるが当然現役である。これは時間が合えばぜひ入ってみたい。

日光街道に戻り、右に曲がる。あまりに広く、交通量も多いため、圧倒される。北千住駅に向かう駅前通りを左に、アーケードとなっているが、アーケードが切れるところに西洋建築がある。この『大橋眼科』だが、実は建築は1982年と意外にも新しい。

調べてみると建て替え前には1915年築の洋館の医院があったが、そのイメージを引き継ぐように造られた。



建築にあたり街燈は昭和通りにあったもの、バルコニーは東大前にあった煙草屋のものなど取り壊されようとしている西洋館の資材を集めて建設したとのこと。なるほど仔細にわたりよく工夫された建物である。



他にも市場通り(旧、日光街道)を歩けばまだまだレトロ建築物もあるが、今回はここまでにしておく。


中野駅①

2020-07-12 05:00:00 | 鉄道


『メトロに乗って』その113。この企画も前回書いたのが2019年10月だから9ヶ月ぶりである。今回は東京メトロ東西線中野駅を降りて北口側を歩いてみた。

中野駅の歴史は古く、開業は1889年中央線の前身となる甲武鉄道の駅であった。新宿〜立川が開業したのだが、新宿〜大久保〜柏木〜中野〜荻窪〜吉祥寺〜境〜国分寺〜立川であった。今に比べ、駅数はかなり少ない。

中野駅はホームが1〜8番線まであるが、悩ましいのは東京メトロ東西線と総武線、中野で東西線に乗換える際に先発が東行きの場合、4番線か5番線のいずれかとなる。しかし、同じホームではないため、慌てて階段を駆け下り、駆け上らなくてはならないのである。

私の入学した小学校は中野区にあったため、馴染みの多い区ではあるが、特に北口側は当時とは風景は一変している。

北口改札を出るとアーケードが中野サンモール商店街まで続いていて濡れずに行けるのである。この先、中野ブロードウェイに続くがここまで行くと立体的になっているが、こちらは昔から全く変わっていない。

ラーメン屋、鰻屋、甘味屋、私の好きな立食いそばの梅もとも健在でほっとする。

入口まで戻り、右手にあるエスカレーターに乗る。するとペデストリアンデッキとなるが、中野サンプラザや中野区役所が一望、線路沿いはまだ工事中。どうなるのであろう。中央線に沿って高円寺方向に歩く。

このあたりは元禄年間には犬公方徳川綱吉の作った犬屋敷跡だが、その後は陸軍中野学校、警察学校などと変遷、大きな区画が残された場所である。平成に入り、再開発が進み綺麗に区画整理され、緑が増えて住みやすい環境となっている。(以下、次回)