『メトロに乗って』その114。中野駅のつづきである。再開発ビルの一つ、中野セントラル・パークサウスの周りを歩く。通り過ぎると見慣れた紫紺の旗、明治大学の校舎がある。
道を隔てた向かい側にある小さな広場は『囲町ひろば』という懐かしい名前がつけられている。
横から見ると薄っぺらいがL字の大きな校舎である。お茶の水にある校舎に比べるとその進化ぶりにびっくり。こんな校舎で勉強できる学生が羨ましい。校舎の前には明治大学の功労者3人のレリーフがある。
その隣も平成帝京大学の校舎、まわりは災害公園である『中野四季の森公園』と名付けられている。
早稲田通りに向かって歩くと左側に警察病院、玄関脇にはコロナウィルス対策用の検査設備なのか、テントが建てられている。ちゃんと警察専用ではなく、一般の人も利用できますと明記されている。
警察病院の構内を歩く。早稲田通り沿いの一番端、お隣の早稲田大学の施設との境あたりに『陸軍中野学校跡』の石碑がひっそり立っていた。隣には大正12年に建てられた『摂政宮行啓記念碑』、つまり昭和天皇が皇太子の頃に訪れた石碑である。
早稲田通りに出ると反対側は昔ながらの建物が並び、看板作りの魚屋や酒屋もある。
少し中野駅に向かい歩くと小さな稲荷、珍しいことに金属の門もついている。
『妻戀神社』という古い扁額があり、また、神狐が一対あるが、盗まれたり悪戯されたりしない様にだろうか、金属の囲いがされている。調べると矢島源右衛門という人によって祀られた神社だが、亡くなった妻を偲んで祀ったというのは俗説で湯島にある妻恋神社の分霊を祀ったものというのが真実らしい。