hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『馬』のつく駅

2013-11-20 06:44:59 | 日記

鉄道シリーズその21。今年もあと1ヶ月半、そろそろ年賀状のデザインが気になる季節である。今年の正月は辰年から巳年に変わるタイミングであったこともあり、辰巳駅(地下鉄有楽町線)の駅名表示板を年賀状のデザインにしたものもあった。さらに昨年末から辰と巳の両方をデザインした記念撮影ボードと記念スタンプも用意された。(2012.12.26~2013.1.6)


来年は干支は午、馬の名前の付い駅、た駅について調べてみた。関東地方は多くある、というのは『練馬』『群馬』『競馬場』という名が付いた駅が多いからである。『練馬』は西武池袋線の練馬駅を始め、練馬春日町、練馬高野台、東武練馬の4駅、『群馬』は群馬八幡、群馬総社、群馬原町、群馬大津、群馬藤岡の5駅、『競馬場』は船橋競馬場、大井競馬場前、府中競馬正門前、中京競馬場前(愛知県)、競馬場前(福岡県)の5駅である。


東京にはあと高田馬場、小伝馬町、馬喰町、馬喰横山、新馬場、西馬込、馬込と7駅ある。都道府県別では東京が13、群馬が6などとなっており、全国で56駅(同じ場所の駅は線が異なっても1駅とする。)ある。因みに十二支の中で馬が一番多く駅名にある。(再来年の羊・未は十二支で唯一、一つもない。また、午の付いた駅もない。)まあ、よくも暇に任せて調べたものである。

他にも馬を表す『駒』は駒込、駒場東大前、駒澤大学なども東京に点在、これは江戸の頃より東京には馬が多かったことの名残かもしれない。


きしめん寿々木屋 人形町グルメ

2013-11-19 00:05:32 | グルメ

久しぶりだが、人形町の立食いそばシリーズ第4弾。店の名前は『きしめん 寿々木屋人形町店』、人形町交差点から久松警察署に向い数分、目の前に店が見えてくる。有名な店だと洋食キラクの向かいあたりに位置する。

店に入るなり、自販機を探すがそんなものは無縁のようでガラスケースの中には天ぷらが数種類。おばさんに注文すると、もう一人が麺を茹でるシステム。食べようと思ったかき揚げは1時半だったこともあり、売切れで、揚げてくれる?と聞いてもあるだけとの話。因みに後で常連には時間が掛かりますと言っていたが、人によっては揚げてくれるみたい。(ただ、時間がかかるみたいでこのおじさんもマイタケ天ぷらにした。)まあ、こちらも初見参だから細かい所にあまりこだわらず、イカ天ぷらに変更、きしめん(350円)+イカ天(110円)で460円。蕎麦のようにすぐとはいかないが、5分も経たないうちに到着。立食いだから、丸いすが5つある以外は立食い。先客は2名のため、ゆっくり座って食べる。

きしめんは出汁が関西風の薄口しょうゆでカツオ出汁がよく効いている。知らなかったが、きしめんには薬味ネギはない。冷たいのにはわさびとネギは付くみたいだが。その後に3人来店したが、みんな温かいきしめんを注文、同じ値段の蕎麦を頼む人はいない。味は合格の部類、麺があっさりなので天ぷらの油をあまり感じない。量は少なくないはずだが、あっという間に食べてしまう。その他の天ぷらはエビ、マイタケ、ピーマン、サツマイモなど。それ以外のトッピングは卵だけのようだ。珍しいきしめんの立食い、味は○、量は△といったところか。
きしめん寿々木屋人形町店
中央区日本橋人形町3ー13ー12
0336611642
10時半~19時

井の頭公園界隈

2013-11-18 06:48:28 | 日記

昨日に続きよい天気、午後は家から井の頭公園まで秋の風景を探しながら歩く。

まず、家からすぐのところにある夏みかんの木。種類はよく分からないが、とにかく一本の木にこれだけの実がなっている。その黄色の鮮やかなこと。
三鷹台駅を超えると神田川沿いに道があらわれる。暫く行くと地元の人々が整備しているのか、花や木が植えられており、 春には見事な源平の梅が咲く。いまの季節はムラサキシキブが紫色の実をつけている。ポリアンサスの黄色の実や柿の赤い実など実りの秋らしい光景。



すぐに井の頭公園入口になり、駅も左手にみえる。この辺りでは数少ない柳やケヤキの葉も黄色く色づきハラハラと風に流され、ちりはじめている。


井の頭線の昭和8年の開業時から変わらない低い立体交差の下を歩くとすぐに井の頭池に到着。昔といっても2002年頃までは池の水を引いたプールもこの辺りにあったらしい。周りを見上げるとそろそろ紅葉も見頃になり、青い空に映える。日曜日には小さな店が所狭しと並んでそれを冷やかす人々ものんびり歩いている。まるでヒロヤマガタの絵のようである。赤や黄色のグラデーションが見事、セコイヤかと思われる針葉樹は黄色くなり始め、よく見ると小さな実が付いている。山のような落ち葉で子供達は遊び始めている。


その先が七井橋で、ボート乗り場にも人々の列。今年最後のピークかもしれない。わずか15分程度の散歩だが、今日のような日は本当に心落ち着く。

登美の丘ワイナリー

2013-11-17 00:09:00 | 旅行

週末は久々によい天気という天気予報を信じて7年ぶりにサントリーのワイナリー登美の丘に行ってワインのテイスティングセミナーに参加することにした。
朝7時に起きるとついていないことに三鷹駅で人身事故が発生し、中央線が止まっているという情報。やむなく少し早目にスタート。吉祥寺に到着し、各停に乗ると三鷹駅でファミリー快速あきかわに接続、これがガラガラで立川まですんなり。すぐに臨時特急かいじが来たので甲府には10時半過ぎに到着。

しかし、信玄像の前で写真を撮ったり、城址公園に行っているうち、時間が経過、慌てて昼食をとったが、気がつけば、バスは長蛇の列。何とか乗りこんだまのの、立ったまま、40分揺られワイナリー到着。段取りの悪さから奥様に怒られる。


ワイナリーツアーは1人1000円かかるが、ブドウ畑の見学やワイン蔵の説明などあり、天気も良く楽しめる。


いよいよお待ちかねのテイスティング。5種類のワイン(ジャパンプレミアム甲州2011、登美の丘甲州白2011、登美の丘シャルドネ2010、登美の丘ビジュノワール2011、登美の丘赤2010)がテーブルに並べられ比較するもの。それぞれに特色があり、タンク熟成と樽熟成の違いやぶの種類によるアロマの違いなどをじっくり体験。個人的にはやはり『登美の丘赤2010』バランスが良さ、華やかさが好み。


さらに景色の良いワインガーデンにバスで移動。そこでリースリング・フォルテ、シャルドネ、メルロー3種の醸造したての新酒を味わうが、それぞれに香りが良く、特にメルローは味わいもいい。今年のブドウは期待できそう。さらに2人で分けたが、有料試飲で3種、無料試飲で3種を頂く。最後に『登美2008』を1200円出して飲んだが、これはうますぎ。外に出ると目の前に甲府盆地と富士山、風も無く、実に楽しい休日となった。帰りはまたバスで50分乗り、甲府駅に行ったが、バスに早く乗り、熟睡後に到着。うまいタイミングで上りのあずさに乗り込み6時過ぎには吉祥寺まで辿りついた。

レールバス

2013-11-16 00:08:38 | 日記

鉄道シリーズその20。『バス』とついているが、鉄道の範疇に入る『レースバス』『トロリーバス』のうち、今日は『レールバス』について書いてみる。
レールの上を走るバスだから、レールバス、そのままである。小生がその名を知ったのは『きかんしゃ やえもん(阿川弘之・作、岡部冬彦・画、1959年)の中に失意の機関車やえもんを慰める『レールバスのいちろう・はなこ』が描かれたのを見た時である。当時は古臭くなった機関車に変わり、閑散線用に当時の国鉄が導入し始めた頃で、機関車=老人、レールバス=若者のような描き方がされている。

レールバスの歴史であるが、昭和初期に外観がバスそっくりの内燃機付き車両(ガソリンカー)は導入されたことはある。ただし、フレームはバスで他はガソリンカーといったものが、軽便鉄道に導入された実績がある程度でどこまでがレールバスと言い切れるかやや微妙である。

国鉄におけるレールバスの登場は先ほどの童話に出てくるモデルとなった国鉄のキハ01・02である。これらが試作されたのは1954年頃、まず国鉄木原線(千葉県)に導入された。製造したのは東急車両で北海道など厳冬地向け仕様(キハ03)なども作られた。その特徴は10m程度の車体にバス用のディーゼルエンジンを搭載した二軸車でまさにバスの技術を気動車に応用したものである。製造されたのがキハ01が12両、キハ01~03でも49両にすぎなかった。というのは、あまりに小さくラッシュなどに対応出来なかったことや乗り心地も悪く、トイレもないなどドイツのシーネンオムニバスには大きく劣る構造で、また、耐用年数も短く、1968年に全て廃車。その後は閑散線自体が廃線となったこともあり、国鉄では復活することはなかった。


また、地方私鉄も、富士重工製造のものを羽幌炭鉱鉄道(1両)、南部縦貫鉄道(2両)が導入された。なお、それ以前に山鹿温泉鉄道(熊本県)が1955年に中古バスを改造したものを走らせていた記録がある。

その後は特定地方交通線が3セクに転換するにあたり、ニーズが1970年代から発生してきて、富士重工や新潟鉄工所などが製造、甘木鉄道(福岡県)、樽見鉄道(岐阜県)、信楽高原鉄道(滋賀県)などで導入された。始めはバスの材料を応用していたが、耐久性などから鉄道車両構造の車体を使うものが増えている。


未来の車両としてレールのある場所は鉄道として、ないところはバスとして走ることのできるデュアルモードビークルをJR北海道が、2007年に試験運転をしており、今後、法律面も含めて活用が検討されている。

始めに出てきた童話では今後の活躍が期待されたレールバスだったが、JRでは蒸気機関車より早く姿を消したのは皮肉な話、実物を見たい方は前にブログで触れた小樽市総合博物館で見ることが出来る。

『ななつ星in九州』

2013-11-14 06:51:00 | 日記

鉄道シリーズその18。『ななつ星in九州』が運行され、その豪華さに話題となっているが、一部の客車マニアの間では別の意味で話題となっている。というのが、連結されている客車の車両記号に『イ』が久々に使われたことである。

鉄道に興味のない人には何を言っているかわからないかもしれない。JRの通勤電車に乗っていると車両にクハとか、モハとか、サハとか、クモハといった記号が付いているのはご存知だろうか。例えば、クハの『ク』は運転台付き(制御車)、『ハ』は普通車のこと、同じくモハの『モ』はモーター(電動車)、サハの『サ』は運転台やモーターが付いていない(付随車)。だから『クモハ』は運転台もモーターも付いている普通車で一両で走行できることになる。

後ろの記号は等級を表しているが、1960年以前は『イ』が一等車、『ロ』が二等車=現在のグリーン車、『ハ』が三等車=現在の普通車を意味する。(ただし、一等車は駐留軍用車両以外は戦後使われなかった、また、グリーン車などの名称変更は1969年以降)
ところが、『ななつ星in九州』の車両は寝台車は『マイネ77』と『マイネフ77』、これは『マ』は重量(42.5t~47.5t)、『イ』は一等車で今のグリーン車よりワンランク上、『ネ』は寝台車、『フ』は緩急車で車掌が乗るスペースがあること、『77』は車両形式を表している。

つまり、『イ』が戦後長く使われなかった中で63年ぶりに使用されることになった訳である。これには今後JR九州が本格的な豪華列車を作り、運行しようとする意気込みが感じられ、その意欲と努力には感動した。ただし、この記号の件はあまり大きく報道されてはいないが。


鉄道ファンとしては東海道を走る寝台列車がサンライズ出雲・瀬戸以外全廃され、北海道に向う『北斗星』も廃止される見通しであるなど暗いニュースが多い中で是非頑張って貰いたいものである。

トンネル駅2題

2013-11-14 05:00:00 | 日記

 

 

                                              

鉄道シリーズその19。先日、竜飛海底駅のことをブログで触れたが、最近の旅行でいわゆるJRのトンネル駅として有名な2つの駅を訪問したので紹介したい。まずは2009年に訪れた北陸本線の筒石駅である。この駅は直江津駅と糸魚川駅のほぼ中間に位置し、頚城トンネルの中に今は駅がある。1912年開業の一般駅として開業したが、1969年10月に北陸本線の複線電化を機に頚城トンネル内の現在の位置に移った。今も有人駅で駅の構造は上りのホームと下りのホームが互い違いの形に位置し、できるだけ面積を小さくしている。駅の入口は地上にあり、ホームまでは階段で降りてゆく。途中は水の流れる音や風きり音が激しく、途中で上りと下りのホームへ行く通路が別れ、上りが280段、下りが290段ある。有人で管理するのは風が強いからで列車が到着するごとに駅員が案内する構造である。

 

訪れた際もとにかく駅までは国道から細い(ただしバスは通っている)を登ってゆき、かなり高いところに駅舎がある。

但し、この駅は一緒に行った妻にはあまり評判は良くなかった。というのは勿論エスカレーターもない中下まで降りても幅の狭いおホームがあるだけで、ホームも風が強いだけ、何のために苦労してこのホームまで来たのかが理解できないというのがその感想。確かにホームまで降りてまともに撮れたのはこの駅名版のみ。

今年言ったのは上越線の土合駅(群馬県)。この駅は本当に山間の無人駅で道路の端に駅があり、たいへん行きやすい。特に水上駅からは谷川岳ロープウエーの途中に位置する。この駅の構造は筒石駅と異なり上下が異なること。まず、地上にある上りホームは普通の無人駅。ホームも駅舎のすぐ横に有り、普通である。

一方、下り線は地下70Mの新清水トンネルの中に有り、上りホームとの高低差は81M、ホームまで行き着くのに462段の階段をトコトコと降りていかなくてはならない。腹が立つ必要もないのだが、階段の横にエスカレーターのスペースがあるが何も建設されていないことである。有人駅だった頃には下りのみ列車到着の10分前に改札を終えていたらしい。また、ご丁寧に当時の時刻表にはそうした記述さえあった。今は無人駅となり、乗降客も1日20人程度だが、上越新幹線の上毛高原駅開設前までは谷川岳の表玄関でまた天神平スキー場もこの駅を使っていたため、かなりの利用客があったみたいである。今はこの2駅とも小生のようなモノ好きな鉄道ファンと一部の地元民、特に学生のみが利用するのみとなっっているようである。

 

 

 


クリスマスイルミネーション

2013-11-13 06:40:37 | 日記

秋が深まって、などとブログに書き始めてまだ1週間、つい1ヶ月前まで半袖にノーネクタイで出勤し、暑いと言っていたのが嘘のような寒さ。まあ、日本酒が旨くなるので悪いことではないが、少し急ピッチすぎる。南とはいえ台風と雪が同じタイミングで天気図に載ること自体が不思議である。


また、ハロウィンが終わると同時にカボチャが片付けられ、すぐにクリスマスツリーが並べられるようになったのはいつからだろう。近所でも夜になるとチカチカとイルミネーションが付き始めたのを見て何て気が早い家なのかと数日前に思ったのに、もうコートが欲しくなるの陽気。


駅前のスーパーのサンタクロースは季節はずれでも無くなってきている。夜空に光るイルミネーションが今日は妙に寒々しく感じたのは小生だけだろうか?それにしても量質共に毎年エスカレートしている。

三鷹市牟礼界隈

2013-11-12 06:42:41 | 日記

秋も深まり、あれだけ続いた猛暑も影さえなくなって、さすがに木の葉も色づく季節、家から10分ほどの三鷹市牟礼あたりを歩いてみた。牟礼二丁目の交差点の近くには三木露風の墓や庚申塔などがある。

低い火の見櫓のすぐ横にある庚申塔は2つ並んでいる。ただ、本来の庚申信仰というより、交通安全を願う人々の信仰が厚いようで、いつも花が絶えない。


交差点そばには神明社がある。1537年に北条綱種により芝飯倉神社から分霊して作られた歴史のある地元の鎮守社。秋祭りは賑やかだったが、今は七五三の時期で朝早いにも関わらず、そうそうに人が集まり始めていた。境内には大きな木々も多く、参道と思われる道には柚子や柿の実もなっている。


少し三鷹台方向に坂を上がると牟礼の里の公園に着く。ここは三鷹市でもっとも標高が高い地点らしい。もみじは赤くなり始め、グラデーションが美しく、また、黄色く色づく木もある。モズの鳴き声も聞こえるこの公園は裏が農地で、武蔵野の面影を残しており、何もこれといってないが、それがかえっていいのかもしれない。


さらに三鷹台駅に向かい少し坂を下りると玉川上水にぶつかる。



その宮下橋から吉祥寺方面に左折するとカンナの黄色い花や山茶花の白い花も咲いており、こちらの木の葉もそろそろ黄色くなり出している。

今はあの鬱蒼と茂っていた川岸の草木も減り、流れも見えるほどになっているが、その流れは、昔、少し上流の万助橋で生徒を助けようとした教諭が溺死したことなど嘘のような静かな流れである。
もうあと一週間もすれば益々木々の色も鮮やかになり、秋は深まりを見せる。