『鉄道シリーズ』その245。上武鉄道の線路跡を訪ねてみる。八高線丹荘駅は2つのホームのうち1番線のみを利用しているが、使われない島式ホームの反対側に細長く空き地が続いている。これが日丹線の線路跡である。
上武鉄道は1942年に資材運搬専用線として当時の日本ニッケルが敷設、その後、西武化学工業(現在、朝日工業)合併され、1962年に上武鉄道日丹線として成立。当初は終点の西武化学前まで6.1kmの間に上川中学校前、青柳、寄島の途中駅を有して旅客・貨物とも行っていたが、1973年に旅客運送、1986年には全線を廃止した。
丹荘駅を降りて八高線に沿って左にいくと最初の踏切が鬼石街道踏切、これを渡ると先ほどの空き地につながる。
これに沿ってまっすぐに道路は続いていてそのまま歩き続ける。早咲きのサクラや菜の花、ハクモクレンなどが競い合いながら咲いている。背後から日差しが当たり、暑いほどである。
すると車道が急に遊歩道になり、車の通行がなくなったために歩くのが楽になる。左側には農地が広がり、小さな水路を跨いだりする。一面が紫色になっているのでよく見るとホトケノザが群生している。
遊歩道が細くなり、健康遊具が並んでいて、右側には古い神社。どこにもある田園風景である。歩き始めて約2km、先の方に鉄道のホームらしきものが見えてくる。
そばに近づくと『神川中学校前』のホーム跡を整備してあり、小さな駅名表示板が置かれて、ちゃんと砂利が敷き詰められている。
さらに『この緑道は上武鉄道日丹線跡地を利用して作られています。上武鉄道日丹線歴史〜』という案内板もある。
資料を調べると途中駅のホームは客車1両分しかなかったとあり、実際にこんなに短いものだったようだ。さらに遊歩道は続くが八高線は1時間に1本しかないため、ここで諦めて丹荘駅に戻る。
丹荘駅の待合室で次の列車を待っていると小さな待合室に5枚のモノクロ写真が飾ってあり、蒸気機関車の時代、ディーゼル機関車が貨車と客車を引っ張っていた時代のものであった。旅客運送をやめて約半世紀、随分と風景は変わったのだろう。使われなくなった2番線ホームを見ながら考えた