hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

飯田橋

2016-11-19 05:00:53 | 日記

『ぶらっと橋めぐり』その14。今日は飯田橋を渡ってみる。総武線各停に乗ると外堀に絡む駅名が続く。『お茶の水』は江戸城に献上する水が湧いた井戸、『水道橋・飯田橋』は外堀にかかる橋、『市ヶ谷・四ツ谷』は江戸城の見附あった場所から取った駅名である。

飯田橋の起源は1590年に家康が江戸に入り、この周辺を視察した際に案内役を務めた飯田喜兵衛にちなんだものである。家康がのちに彼を名主に任命し、この辺りを喜兵衛に因み『飯田町』とした。

明治以降は1894年甲武鉄道が新宿〜牛込間に鉄道を開通させた。その後、飯田町まで延伸、国有化され、中央線となった。そして、1928年に牛込と飯田町を統合する形で新駅が出来たが、その名前を近くの外堀にかかる飯田橋の名前を取って駅名とした。その後、1964年に今度は飯田橋の名前が地名になり、飯田町の名前は現在は失われている。(貨物駅としては1997年に廃止されるまで飯田町駅は存在した)



では、肝心の飯田橋はどこにあるのだろう。実は飯田橋駅東口の改札を出て外堀通り方向に歩くと歩道橋の下にある小さな橋が飯田橋なのである。人通りは多いが、これが飯田橋と気づく人は少ないだろう。



因みに向かい側の後楽園に向かう橋は船河原橋と名前がついている。こちらも歩道と橋の区別がつきにくい。飯田橋交差点の巨大な歩道橋に隠れてあまり知られていない。よくみるとツワブキの黄色い花が咲いていた。



また、飯田橋の左手には神楽河岸という地区があるが、江戸時代には荷揚げ場があった。しかし、戦後まで使われたが。濠の水質汚濁等の問題が発生。飯田濠は埋め立てられ、1983年に飯田橋セントラルプラザという再開発の高層ビルとなり、東京都の庁舎などが入居している。高層ビルと外堀通りの通路は橋のような形状をしており、それぞれひいらぎ橋、かえで橋、けやき橋、さくら橋と名前が付いている。



今はすっかり風景が変わってしまっているが、神楽河岸という名前は昔そのものである。

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