『久我山歳時記』㊻、8月7日は立秋である。『立秋』とはいうが、東北・北陸の梅雨明けは8月2日頃、つまりまだ梅雨明けしてから1週間も経過しておらず、これから夏本番である。(平年は7月28日頃)
立秋の頃に秋らしい日が訪れることはほぼなく、夏の風物詩である全国高校野球(8月7日)開幕日と重なっている。なぜ、立秋が盛夏の頂点のようなこの時期になるのか。
これは地球温暖化の影響だけではなく、『夏至』と『秋分』のちょうど真ん中を『立秋』にしたからである。さらに大元の中国は大陸性の気候に対して海洋性気候の日本はまだ暑さが残っているのである。
さらにもう少し細かく分けた七十二侯では『涼風至(りょうふういたる/〜8月11日)』『寒蝉鳴(ひぐらしなく/〜8月16日)』『蒙霧升降(ふかききりまとう/〜8月22日)』としている。つまり、立秋を過ぎるとたまに涼しい風が吹いてくるようになり、ヒグラシの声を聞き、霧が立ち込める日もある、という順で本当の秋に向かうのである。
もちろん、立秋から必ずしも涼しくなるとは昔の人も思っていなかったようで、立秋までが『暑中』であり、そのあとも『残暑』となるのである。藤原敏行の詠んだ和歌で『秋きぬと目にはさやかに見えねでも風の音にぞ驚かれぬる』とはうまくこの季節を詠んだものである。
久我山を歩いて『盛夏』だなあと感じるのが、並木道の蝉の声、夕方6時頃になってもまだまだ止むことを知らない。アブラゼミの声よりみんみんゼミの声を聞く方が増えているが。ただ、残念ながらまだヒグラシの声は聞こえてこない。
さらに通勤路で背比べをしているようなひまわり、ただ、昔に比べると小ぶりになったように思う。花をたくさん付けているのがサルスベリ(百日紅)、名前の通り長い間鮮やかな赤い花を咲かせるが、白い花の木もある。
我が庭ではモミジアオイが鮮やかな赤い花を毎日咲かせ、6月頃に一度ピークを迎えた桔梗が花を二輪つけた。
一方で、『立秋』に秋の気配を探してもようやく見つけたのが、ススキの穂くらいのもの。
そう言えば100円で春に植えたシシトウ、一つ収穫を忘れていたものが、真っ赤に実っていた。さぞや辛いかなあと思いつつ、焼いて食べたらパプリカより甘くなっていた。
立秋は秋の入口に立ったくらい、まだまだ暑い日が続くことは間違いない。秋の涼しさを心待ちにしている一方で寂しさも感じるのは子供の頃に夏休みが半分過ぎた時期だからであろうか。