hokutoのきまぐれ散歩

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三吉橋から旧楓川の橋を巡る②

2024-08-04 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋めぐり』その115。旧楓川に架かる橋を巡る②。新富橋の隣は新金橋、名前の由来は旧新富町と旧金六町を繋ぐ橋のため、それぞれから1字ずつ取ったもの。関東大震災の復興事業の一環として1930年完成のラーメン橋、長さ33.1m、はば15mある。

旧金六町は芝田金六の支配地となったため、付いた名前である。芝田金六は大坂の陣で人足差配役をした。因みに金六町、新金六町は京橋、八丁堀、芝口と色々なところにあるが、火除け地として移転したためである。(芝口金六町は今の銀座8丁目7番あたり、後に南金六町となった。八丁堀金六町は八丁堀2丁目にあたる。)


新金橋は首都高速道路京橋ランプが橋の上にある。橋の横には小さな新金橋児童遊園があるが、子供の遊び場というより、周辺のサラリーマンの休憩所として使われている。


弾正橋は鍛冶橋通りにある橋長32.2m、幅員20.0mのラーメン橋。江戸時代、北八丁堀にあった島田弾正少弼の屋敷があったことから付けられた名前で、当時は交差していた堀川上に真福寺橋、白魚橋と共にコの字形していたことから、江戸名所図会に『三ッ橋』と描かれていた。



度々架け替えられていたが、明治11年に工部省の手により日本で初めて国産鉄を使った橋として建造された。その橋は掛け替えの際に国の重要文化財として江東区富岡の八幡堀遊歩道に移されて現存されている。



保存されている橋は長さ15.2m、幅2mの小規模な鉄橋、赤く塗装された可愛らしいフォルム、しかし、菊の紋章も付けられている。



楓川弾正橋公園には喫煙所が作られているが、ここに渡る橋も昔の橋のミニチュアであった。



お隣の松幡橋は小規模な橋だが、歴史は古く、明暦の大火(1657年3月2日)以降の架橋であり、名前の由来は松屋町と因幡町をつないでいたため、それぞれから1字ずつを取って橋の名前にしたものである。(以下、次回)