2017年の年頭にあたり、何から書き始めようかを考えたが、やはり、私にとってというか、我が家にとって2016年の最大の出来事、『孫と過ごした2ヶ月』について書いてみることにする。
実に孫とは不思議なものである。自分の子供ではないため、生まれるまでは実感が湧かない。生まれると嬉しく思う反面、自分の年を実感する、ああ、じいさんになったのか、と。
娘が昨年結婚し、孫が生まれると言うところまでは普通の話だったのだが。より印象深くなったのは、双子の女の子を授かったことによることが大きい。
私は子供の出生に詳しい訳ではないが、物の本で調べると一卵性双生児の生まれる確率は人種に関係なく1000件に4件、つまり0.4パーセントしかない。また、一卵性双生児は全く同じ遺伝情報を持っているので性別や血液型は一致し、顔もよく似ているとされる。さらに、同一のDNAを持つとはいえ、似てはいるが、例えば得意な科目やスポーツの才能などは多少異なるとあると書いてある。
ここでうちの2人の孫を見てみると、生まれてすぐからすでに、少し顔の形は違うように思える。これは体重差があるからかもしれないが。また、性格に関しては2ヶ月も経つと甘えたれな方と我慢強い方、色白とそうでない(色黒ではない)方など少しずつ差が出ているのだから、この本はあまりあてにならないのかもしれないが。
10月19日に2人が生まれて1週間で病院を退院して我が家にやってきたのが10月26日である。最初は病院から連れて帰るのも恐々。一緒の生活が始まったのだが、初めは恐々して抱くことも躊躇われた。しかし、そんなことを言っている場合でないことが、すぐに分かった。というのは娘と私の妻が子供を風呂に入れている際にもう1人を見る人必要なのだ。さらに風呂から1人上がるとこの子の面倒を見ないと泣き出す。実は私の出番などないと思っていたのだが、こんな『猫の手』でも無くてはならなくなるのである。ただ、参ったのは首が座らない赤ちゃんを抱いているだけで腱鞘炎になってしまうこと。(これはこわごわ抱くため、変に力が入ったためだが。)
双子だから当たり前だが、ミルクも2人、風呂も2回、洗濯物も2倍となると費用ももちろんだが、その手間が大変なのである。1人が泣きだすとつられてもう1人が泣く訳ではないが、同時にミルクをやっているのだから腹が減るのも同時。そのため、2人同時に泣くことは普通。その声は2人だとやはり大きい。
ただ、不思議なものでしばらくすると子供の世話が大変なばかりではなく、かえって可愛いくなってくるのだ。2ヶ月も近づくと時折笑うようになったり、音楽に反応したりさえする。そうか、双子だから、私のようなあまり技術のないじいさんでも活躍の場があったのだ、これには感謝しなくてはならないと思うようになった。さらに、それを強く意識したの我が家からは居なくなった後である。昨日まで居たものが急に居なくなると寂しく感じたのだ。
世間で孫は可愛いいとよく言われるが、私は2倍楽しませてもらっているのであり、今ではその幸運を神に感謝するようにしている。