鉄道シリーズ その45。総武線と聞いてどの線、どの電車を思い浮かべるのか。実は(1)千葉~銚子間の総武本線、(2)中央・総武緩行線、いわゆる黄色い電車、(3)総武快速線、横須賀線と直通運転を行い、東京~千葉を走る、の3つのいずれもが『総武線』なのである。まあ、さだまさしの『檸檬』にも出てくる(2)を挙げる人が1番多い気がするけれど。(例えがかなり古いか?)
歴史を辿ると総武本線の当初の起点は両国橋駅(現在の両国駅)であった。(1904年に私鉄の総武鉄道として開業、その後国有化された。)本来であれば隅田川に鉄橋を掛けたいところだが、資金的な問題もあり、東京の東のターミナルは両国でここで乗客は市電に乗り換えていた。しかし、関東大震災後の復興計画で1933年に両国駅~お茶の水駅の高架線、1934年にお茶の水駅~中野駅の複々線化することとなり、中央本線への乗り入れを行ない、今の形になった。
車両も1963年には山手線に103系が導入されたのを機に総武線緩行に山手線に使用していた101系(レモンイエロー塗装)が移された。さらに1966年には三鷹駅まで複々線化が完成、三鷹駅~千葉駅の今の運行体制となった。
一方、錦糸町~東京の新線が1972年に完成、ほぼ同時に錦糸町~津田沼の複々線化が完了したため、快速線と緩行線を分離した。1981年には津田沼~千葉も複々線化し、今の運行とほぼ同じ状況になっている。
その総武地下線の影響を一番大きく受けたのが、両国駅である。それまでは千葉以遠の気動車急行『犬吠』『うち房』『そと房』などは両国駅の3~5番ホームから出発していたものが、1982年10月には急行も廃止され、特急3往復のみになり、殆どが東京駅地下ホーム発となってしまう。さらに1988年3月のダイヤ改正で両国発の特急もなくなり、単なる通過駅となってしまった。
両国駅総武緩行線の1~2番ホームから見える殆ど使われない3番ホーム(3本あったホームは現在1本、しかも殆ど使われず、普段は入れない)はかつて海水浴シーズンは気動車急行への乗降客で溢れかえっていたことなど想像だにつかない静けさとなり、一段低くなったホームがなぜあるのかさえ分からなくなりつつある。今は国技館で展示が終わった優勝力士の額が掛けてあるだけの寂しい昭和の駅がそこに残されたようである。