hokutoのきまぐれ散歩

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『創業の地を歩く』④〜築地編②

2022-01-28 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その4。築地を引き続き歩く。女子学院の先には丸い御影石の石碑『立教学院発祥の地』とあり、さらに『1974年C.M.ウィリアムズ主教立教学校を開く』『全ての人に仕える人になりなさい〜聖マルコによる福音書』と彫られている。

立教大学は1883年外国人居留地37番地人移転、その後1918年に池袋に移転するまでこの地にあったのである。



次の角を左に曲がるとすぐのところに『立教女学院築地居留地校舎跡』の記念碑がある。立教女学院は1887年にC.M.ウィリアムズにより湯島に創立され、1882年築地居留地に校舎を新設、1923年の関東大震災までこの地にあった。(その後、杉並区久我山に移転)

少し戻り、信号を向かいに渡ると『慶応義塾発祥の地記念碑』がある。起源は1858年に福沢諭吉が中津藩中屋敷内の蘭学塾に赴任したことに始まる。

本の形をした記念碑で『学問のすゝめ』初編初版本と同じ活字・字形で『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』の文字が刻まれている。



その右隣には『蘭学事始の地』の石碑がある。前野良沢は中津藩の藩医であり、オランダの解剖書『タヘールアナトミア』の翻訳は杉田玄白、中川淳庵と共に行われた。1771年千住小塚原での死刑囚の腑分けを見た帰りに決意、オランダ語もあまりおぼつかない中、前野良沢の家があったこの地で翻訳を始めたのである。3年掛けてようやく1774年に翻訳書の初版を出したのである。(以下次回)



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