hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

神田川に沿って〜お茶の水橋→水道橋

2022-03-29 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋めぐり』その111。お茶の水駅の側には神田川に架かる大きな橋が2本ある。神田駅寄りの聖橋は歌詞にも出るほど有名だが架橋されたのはお茶の水橋の方が古く、初代は1889年に架けられた鉄橋であった。1904年には甲武鉄道お茶の水駅の開設、東京市電錦町線の開通などが行われた。しかし、関東大震災で焼失、震災復興事業として1931年に今の橋が架けられた。

お茶の水駅があるため、『お茶の水』はこの辺りの地名かと思いきや、二代将軍秀忠が近くにあった高林寺の湧水で淹れた茶を気に入ったことから付近を『お茶の水』呼ぶことになっただけである。因みに山手線内の駅で地名によらない駅はお茶の水駅と鶯谷駅しかない。

駅のお茶の水橋口から向かいに渡った交番の左手に『お茶の水』の由来が書かれた石碑があり、先程の由来に付いて彫られている。



お茶の水橋を渡り、水道橋方向に歩く。この辺りは江戸時代より谷が深く、橋は水道橋しかなかった。



坂を降りながら左手を見ると河岸には椿やヒガンザクラ、ハクモクレンなどが植えられていて美しいがかなり下の方に咲いている感じがする。



しばらく坂を下り、昭和第一高校の向かいあたりに『神田上水懸樋(掛樋)跡』という石碑が出てくる。これは江戸時代神田上水が神田川を跨ぐ地点に設置されていた掛樋のことで当時は今ほど神田川の川幅は広くなかったとはいえ、石碑にある絵図にある通り、レベルの高い土木技術があったことがわかる。



さらに少し行くと『お茶の水分水路』の石碑がある。お茶の水分水路は江戸川橋分水路、水道橋分水路、高田馬場分水路と同様に大量の水が流れ込んだ際にこれを分け、外堀通りの下に水路を作る。これは川幅が広げられないため、地下に水路を掘る工法で、丁度この石碑の下あたりに呑水口がある。地下に設けられた水路を経て1.3km先の昌平橋で神田川と再び合流する。



坂をさらに降りると春日通り、その向こう側に水道橋駅がある。私も水道橋を渡るが、側面に当時の錦絵が描かれている。



神田川に架かる水道橋の中央からお茶の水駅方面を見るが,都会で渓谷美を楽しむことができるスポットであった。




是政橋

2022-03-21 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その110。西武鉄道多摩川線の終点である是政駅を出てまっすぐ歩き、突き当たりを左に曲がると是政橋となる。

是政橋が初めて架けられたのは1941年、当時は木橋だった。1957年に鉄筋コンクリートの橋となったものの、2車線しかなかったために慢性的な渋滞が発生、2011年に今の4車線の橋に架け替えられた。府中市と稲城市を結び、長さは401mもある斜張橋である。

車道以外に広い歩道が両側に設置されている。これを歩いて渡ることにしたのだが、橋から下を見るとかなり歩いた気になってもまだまだ河川敷。多摩川の上に行くまで5分以上掛かった。



川の真ん中あたりから下流を臨むと中央高速の無料区間である稲城大橋、反対側にはJR南武線の鉄橋が見える。



橋を渡り切るまでに10分程度掛かった。一般道の橋は上流は関戸橋、下流は多摩川水道橋までなく、重要な橋梁であることは間違いない。

次の信号を左に曲がると南武線南多摩駅、ここまで歩くと約15分、風が強い日はかなり辛い。南多摩駅は高架上にある橋上駅で、駅前ロータリーを備えている。



そこには稲城市のゆるキャラ『なしのすけ』の時計台がある。ここで稲城市の名産は梨であったことを思い出す。



帰りはもと来た道を戻るしかなく、風に吹かれながら是政駅に戻り、次は駅の改装がなされた多磨駅をめざして電車に乗り込んだ。






木根川橋とさだまさしの足跡②

2021-09-03 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その109。さだまさしの歌、『木根川橋』は1979年4月に発売されたソロ4枚目のアルバムに収められている。彼が中学1年生の時、バイオリン修行のために上京、それから2年間葛飾区立中川中学校に通学していた。その頃の思い出を曲にしたもので橋以外にも歌詞に登場する。


歌詞の順番とは違うが、まずは川沿いの道を右手に曲がり、木下川薬師(浄光寺)に向かう。歌詞には『木下川薬師の植木市の日には今でも必ず雨が降りますか。』という一節がある。



木下川薬師の創建は849年僧広智がここに最澄作の薬師如来坐像の安置場所を探し、ここに草庵を結んだこととされる。江戸時代には徳川歴代将軍の祈願所とされるなど深い信仰を得たとされる。



また、幕末には勝海舟がしばしば訪れ、西郷隆盛留魂碑が置かれたこともある。植木市は4月の花まつりの際に行われている。



木下川薬師の裏手には中川中学校。歌詞には『木造校舎』とあるが、今は立派な鉄筋コンクリート造り。さだまさしさんが通った面影はないかもしれない。

最後に行ったのが、白髭神社。『木根川橋から水道路抜けた、白鬚神社の縁日はアセチレン炊いてアンズ飴売ってますか。あいも変わらず賑やかなんでしょうね♪』と歌詞にある。



中川中学校から回ったので水道路は帰り道となったが、なかなか渋い神社。



白髭神社はこの周辺にいくつかあるが、ここは『渋江白鬚神社』。元渋江村の鎮守で猿田彦命をお祀りして、口伝では860年と言われている。



白鬚神社からまっすぐ四ツ木駅方向に向かう道が『水道路(すいどうみち)』。道を歩いている途中に手作りの地図が貼ってあり、これで確認。



四ツ木駅は急にキャプテン翼が駅をジャック、この漫画は読んだことがないのでよくわからないが、ファンならたまらない駅だろう。何しろ駅のメロディや電車接近のアナウンスまでキャプテン翼なのだから。




木根川橋とさだまさしの足跡①

2021-09-02 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その108。森高千里さんの『渡良瀬橋』の後、考えてみればさだまさしさんの『木根川橋』に行ったことがないと気づき、早速行ってみた。

その前に木根川橋を調べたのだが、これがかなりややこしい話なのである。今の位置関係は川上から四ツ木橋、新四ツ木橋、京成線鉄橋、木根川橋の順にある。

(左から四ツ木橋、新四ツ木橋、京成線の鉄橋)

1922年に荒川放水路(現在の荒川)開削前は四ツ木橋(木橋)が今の四ツ木橋のあたりに建設された。しかし、老朽化したために1969年に現在の木根川橋が旧四ツ木橋の100m下流に作られた。橋長539.6m、幅員10.5mの7径間下路式平行ワーレントラス橋という大規模な橋である。

(四ツ木橋)

(新四ツ木橋)
その後、1952年に四ツ木橋(国道6号が上を走る)、1973年に新四つ木橋が完工した。さださんが『木根川橋』で歌っていると思われるのは木橋であった旧四ツ木橋であり、今の立派な木根川橋ではないらしい。

と言った事実はともかく、京成線八広駅で下車して荒川を目指す。駅前のクネクネした道を5分ほど歩くと目の前に歩道橋のもののような階段が現れた。


これを上がるとようやく堤防が見えてきてさらに階段を上がると急に景色が開ける。
目の前には木根川橋、後ろには京成線鉄橋、さらに四ツ木橋や新四ツ木橋も見ることができる。河原には草が一面生えていて、ひまわり畑の一角もある。



(京成線鉄橋)
そのまま歩き、木根川橋を渡るのだが、とにかく強風が吹き荒れ、自転車の人はハンドルが取られないように運転するのが精一杯。

橋からの眺めも上流・下流とも素晴らしい。屋形船も係留され、浚渫船が川底の砂を減らすべくほりすすめている。



木根川橋は540mもあるため、渡るだけでも時間がかかるが、風があるため後ろからくる自転車のベルもよく聞こえない。荒川を渡り切るといったん橋が終わるが、次に綾瀬川を越える小さな橋がある。



右手を見ると小さな黄色い橋がかかっているが、こちらは東四ツ木避難橋という災害時向けの橋である。また、左前方には京成線四ツ木駅も見えてくる。

まっすぐ行くと突き当たるが、スロープを降りると歌に出てくる『水道路』が出てくる。(以下、次回)

名曲『渡良瀬橋』のふるさと足利市を歩く②

2021-08-17 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その107。渡良瀬橋の続き。歌詞には『八雲神社にお参りするとあなたのこと祈るの』というフレーズがある。ところがなぜか足利市にはいくつもの『八雲神社』があるのである。


渡良瀬橋から伸びる道を歩くとJR両毛線の踏切がある。この辺りには古くからの建物がいくつも残されていてついついそちらに目が行ってしまう。



中央通りを左折してすぐのところに古い神社を発見。入口に『八雲神社』とあるため、お参りする。社殿も古く、歴史を感じるが、後で調べると森高千里さんが歌にした神社はゴロの関係から『八雲神社』にしただけで特定はしていないらしい。歌の中で主人公が歩いたならばこの八雲神社が自然かなあと勝手に解釈した。

続いて『床屋のかどにポツンとある公衆電話覚えてますか』というフレーズの公衆電話のところに。最近は皆携帯電話を持っているため、廃止になる公衆電話が増えているようだが、この公衆電話は歌われているため、市の要請を受けて、ちゃんと残されているらしい。

中央通りをひたすら歩くと公民館の先、通り7丁目の交差点の角に電話ボックスを発見。床屋さんも盛業中でホッとする。
この歌が発売されたのが1993年8月、もう28年になる。当時はまだ携帯電話が普及しておらず、公衆電話が大活躍していた時代。携帯電話から恋人に電話するより、詩情がある様に感じてしまう。実際にさだまさしの『加速度』、徳永英明の『レイニーブルー』、かぐや姫の『あかちょうちん』など電話ボックスが歌詞に出てくるものは多い。



今回、足利市街を歩いて渡良瀬橋が作られた街は今も殆ど何も変わらず、十分にイメージできることだけは確信することができた。できれば次回は夕方の天気の良い時に来たいものだが。

名曲『渡良瀬橋』のふるさと足利市を歩く①

2021-08-16 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その106。森高千里の歌に『渡良瀬橋』というのがある。私が好きな橋の歌ではさだまさしの『木根川橋』と双璧。これを久しぶりに聴いたら急に渡良瀬橋を見たくなり、あまり深く考えもせずに東武線の特急『りょうもう』に乗ることにしてしまった。

調べてみると東武伊勢崎線足利市駅から歩くのが一番近そうなので取り敢えず東武スカイツリー前駅(旧、業平橋駅)まで行き、特急券を購入。



利用客も少なく、その上雨。確か歌詞では『渡良瀬橋で見る夕日をあなたはとても好きだったね』とあるのに急に決めたこともあり、さらに夕方ではなく、午前中、日も出ていないというコンディションになってしまった。



約1時間電車に揺られ、居眠りから急に起こされた状態で足利市駅構内を歩く。しかし、駅のメロディに使って居るだけあり、構内にはちゃんと『渡良瀬橋』を紹介するコーナーもあった。森高千里のサイン付きで。




駅を降りる際も人は殆どおらず、タクシー乗り場にもタクシーは1台のみ。しかし、雨も小ぶりになったため、駅前から渡良瀬川沿いを歩き、すぐのところにある中橋を通って対岸に渡る。




この川幅が広く、しかも道の端には水溜りができているため、気をつけないとタイヤで跳ねた水だらけになる。

橋の中央から上流を見ると渡良瀬橋がよく見える。橋長243m、幅員5.5mの6連ワーレントラス橋で1934年に作られたもの。ただ、橋が狭く、歩道がないため、歩いて渡ることはできない。

川沿いの道を歩くと右側に茶色い碑が出てくるが、これが『渡良瀬橋』の歌碑である。



平成7年に作られたものだが、なかなかの優れもので信号機に付いているような押しボタンを押すと歌が流れる。小雨に打たれながらもいい歌だなあと全曲を聴いてしまう。



渡良瀬川は雨のおかげで茶色くなってはいたが、奥には山、夕焼けはさぞ綺麗だろうと眺めていた。ただ、せっかく来たのだからと歌詞に出てくる場所を2カ所ほど歩くことにしたのである。(以下、次回)

渋谷川沿いの橋を巡る④

2021-07-03 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋めぐり』その106。渋谷川沿いの橋を巡って歩いているが、川沿いの道がないので右へ左へ振られながら歩く。



すぐに『山下橋』、名前の由来は町の旧称。つまり、1966年の新住居表示の際に恵比寿1丁目に組み入れられたのが『山下町、新橋町、恵比寿通2丁目、下通2、3丁目、恵比寿東2、3丁目』であり、このあたりは山下町だったからである。



次の橋が『新豊沢橋』、ということは豊沢橋は何処へとなるのだが、そばに豊沢橋は実際に存在した。しかし、道路拡張に伴い、この橋が作られ、区画整理で豊沢橋が廃橋となったため、新豊沢橋』のみが現存する。



ここからは一旦明治通りに出てしばらく行く。バス停の先に左に細い道が出てくるが、都立広尾病院に続く。



その上にかかる橋が『回生橋』、名前の由来ははっきりはしないが、病気から回復して帰っていく思いを込めた名前のようである。



続いて『天現寺橋』。渋谷川はここまででこの先の『たぬき橋』からは古川になる。渋谷橋同様の歩道橋があり、渡って降りたあたりに青山墓地あたりからくる笄川(こうがいがわ、暗渠)と古川、渋谷川が合流している。



(笄川、渋谷川、古川の合流部)




全くの余談だが、1924年5月当時の玉川電気鉄道は渋谷橋〜天現寺橋を延伸させて天現寺で東京市電と繋がった。さらに1927年3月にはこの線の支線として渋谷橋〜中目黒を開通。



(大正14年4月号時間表)

玉電は山手線の内側まで延伸、ここを起点にしたのである。その後、渋谷駅の玉電ビルの開業など紆余曲折があり、天現寺線の運行を東京市電に委託、さらに1948年に東京都に譲渡した。1969年に廃止された時は都電34系統であった。もちろん今はその面影さえないのだが。





渋谷川沿いの橋を巡る③

2021-06-26 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋めぐり』その105。このシリーズで2020年に渋谷川を渋谷リバーサイド横(渋谷川が開渠になったところ)から一本橋まで2回に分けて歩いたが、今回は橋を2本戻った恵比寿駅近くの庚申橋から天現寺橋まで歩いてみた。



恵比寿駅から線路沿いの道を歩き、一つ目の信号を左に曲がると山手線の低いガード、潜ってすぐのところに『庚申橋』がある。



前回同様に庚申塔にお参りをして散歩をスタート。橋の上から川上・川下を見るが見事によく曲がっていてお隣の橋は見ることができない。

川沿いの道がないので明治通りを歩く。すぐに交差点全体に歩道橋が設置された渋谷橋交差点、右に曲がると『渋谷橋』、さらに恵比寿駅となる。橋を下から見てもわかりにくいので歩道橋から写メを撮る。



歩道橋を降りてすぐ右に細い道が出てくるが、この先に恵比寿東児童公園に向かう細い人道橋(名前はない?)がある。



渡って児童公園内を歩いてすぐのところに『一本橋』。住居地図にはある本橋とあるが、一本橋が正解。橋には菖蒲のレリーフがついている。



細い道を行くと左側にはスペイン料理の店、ランチはパエリアらしい。また、台雲寺とあるが、いわゆる普通のお寺の建物はなく、奥に墓地があるだけ。付近をよく見るとビルがあり、これが本堂のようである。



左側には『恵比寿橋』、あいおいニッセイ同和損保の本社隣にある。その上の道は細いが対面のため、よく渋滞する。



脇をすり抜け、川沿いの細い道。左側に園地が作られ、椅子もあり、サラリーマンが昼休みを楽しんでいる。少し歩くと『新橋』が見えてくるが、コミニュティバスのバス停がある。(以下、次回)






田町駅港南口周辺の運河を歩く②

2021-06-19 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その104。田町駅を降りて10分ほど歩くと周囲の風景もかなり変わる。提供公園の緑も深く、鳩や椋鳥たちのサンクチュアリーとなっている。左手には三角の斬新な設計で知られるヨコソーレインボータワー、というより旧カネボウ本社ビルと言った方が分かりやすい。実はこのビル、一部は居住部分となっていて目の前にレインボーブリッジが見えると人気物件となっている。


その前を通過すると右側にレインボーブリッジの端の部分がよく見える。大きな橋のループを弧を描きながら車もゆりかもめも登って行く。



人間はというとレインボーブリッジまで登るエレベーターが1番手前の橋脚に設置されていてこれを登る。私はここに来るのが実は2回目で前回は反対側からレインボーブリッジを徒歩で歩き、降りたことがある。



エレベーターで7階まで登ると歩道に出る。ここから対岸の台場や螺旋状の橋を写メで狙うのだが、横を通過するトラックの振動でどうしても一部焦点がぼけてしまう。さすがに非常事態宣言下、登る人は少なかった。




再び地上に降りて再び汐彩橋を渡り、芝浦運河沿いの道を左に曲がる。途中、保育園児たちの列を追い越す。運河沿いにはデイゴの仲間のサンゴシトウやガクアジサイが美しい花を咲かせている。



次の港栄橋まで行き、右に曲がる。この辺りは新しいマンションの建設ラッシュ。確かに都心からも近いし、目の前にはある富士急行のバスの車庫があり、乗るなら始発だし。利便性を追求するにはよい場所だろう。



次の芝浦西運河に架かる夕凪橋を越え、突き当たりを右に行く。少し先の新芝運河まで出てさらに右に行くと運河が交差する百代橋、藻塩橋の所に出る。



すると藻塩橋の袂に子供ばかりか大人も集まって運河を見ている。物見高い私もその視線の先を見ると何とカルガモのお母さんとひなたちが岩の上に乗っている。



水はほぼ引いているのだが、小さい岩の上にラッシュアワーのようにひなが小さい身体を寄せている。数えると11羽。可愛いいとしか言いようがない姿を見せてくれた。ひなたちの健やかな成長を祈りたい。

ここからは田町駅港南口までは歩いて10分足らずである。

田町駅港南口周辺の運河散歩①

2021-06-17 05:00:00 | 川と橋
『ぶらり橋巡り』その103。田町駅港南口を降りて海の方向に歩く。学生時代に田町駅にはよく来たが、港南口はボーリングをするため以外に行くことはなかった。

元は畜産市場などがあったが、今は高いビルが軒を並べており、まるで風景が変わった。道路や橋も綺麗になり、あまり昔の面影はない。



まっすぐな道を歩くが1つ目の信号を越えると1本目の運河、新芝運河が流れ、その上に新芝橋が架けられている。



運河は自然の川と異なり、ほぼまっすぐに流れ、川を掘り進め、橋を高くするために太鼓橋となっているものが多い。
新芝運河も他の運河同様に両岸には遊歩道が作られていてちょうど昼休みであったこともあり、散歩をしたり、中には着替えてジョギングを楽しむ人もいる。



なぎさ通りをまっすぐ行くと新芝北運河、新芝西運河、新芝南運河が交わる渚橋となる。この橋は2本に分かれていて海に向かい左側を歩く。



橋の中心にはカルガモの説明板があり、橋の下あたりにカルガモ用の巣と休憩場になるような木製の小さな小屋が作られていた。ただ、カルガモは不在であったが。



渚橋は東京モノレールの架橋とクロスしており、間近でその姿を見ることができる。ただ、周囲の人には珍しい風景ではないようで立ち止まり、写メを撮るのはわたしだけであった。



また、渚橋からは新芝北運河に架かる芝潟橋、芝浦運河に架かる人道橋の船路橋もよくみることができる。



さらに行くと今度は芝浦運河に架かる汐彩橋が見えてくる。芝浦運河は幅が広く、海鳥も多く空を舞う。



前方にはレインボーブリッジの橋脚が大きく見えてくる。もうゆりかもめの芝浦埠頭駅まではすぐである。(以下、次回)