遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

神居尻山 その2

2013年07月31日 | 山歩き~

 まず、コメント欄にスパム的なメッセージが入ったため、これらは削除したことをお知らせします。このような類は2回入るとはっきりとわかる。スパムと判断できる客観的な”証拠”を必ず残していく。

 で、日曜日の神居尻の写真をいくつか・・・。

 これは、標高842m付近から見る山頂方向。


 そして、山頂から見るピンネシリ。白いレーダーがあるのがわかるだろう。


 同じく山頂から見る先ほどの標高842m地点。


 同じく山頂から見るBコースの登山道。先ほどの842m地点から右側にある。遠くに別狩岳周辺の山々・・・山スキーにとても良いのです。
 今日はこんなところかな。

神居尻山

2013年07月28日 | 山歩き~

 13年ぶりの神居尻山。
 天気予報は午前中は雨、午後から晴れる予想だったが、まずは予報どおりにはならないのが天気。僕は午前中は晴れて、午後から次第に悪くなるとみた。したがって、午前中が勝負。 
 登山口は午前9時、小雨がぱらつくも天気は回復し青空が見えてくる。Cコースから登ったがここも階段ばかり。しかも、途中はひどく狭くなり、靴を横向き・・・つまり蟹足歩きしなければ登れない。横向いて登る人がどこにいる?まったく、何も考えない、やっつけ仕事は困る。
 この山はかなり急峻なところで、日高の険しさを想起させる。まぁ、のんびりと歩き・・・いや、それ以上のスピードは出せない(ーー;)が、11時10分前には山頂に着く。僕一人。素晴らしい眺望。署寒の山々、山を越えて美唄、砂川方面の平野部がよく見える。

 いつものように、湯を沸かしラーメンをつくる。残念なのはコーヒーを忘れたこと。果物はみかん2個。
 そのうちに、人が登ってきた。まずは夫婦。その後登ってきた同年輩らしき人に熊の情報を聞く。この山のどの沢にいるのか。行動範囲についても教えてもらった。
 さて、下山。Bコースから降りるがここも階段が多いのよねー。1時間20分くらいで登山口に着き、下山届けを書いて車に戻る。
 自宅に帰る途中から予想どおり本格的な雨が降り出す。やはりね。
 写真?・・・花も撮ったが名前がわからない。

音楽の世界に魅かれて

2013年07月27日 | 音楽について

 明日の天気はどうだろう?
 天候の急変も考え、時間のかからない山を考えた。当別町の神威尻山である。標高は947mの低山ではあるが、双耳峰であり大きく広がりをもった山である。登り2時間半下り2時間程度の易しい山ではあるけれど、もちろん、舐めてかかってはいけない。早朝に出発し午後の早い時間に降りてしまうつもりである。
 明日、このブログにその結果を載せよう。

 もっと体力が回復していたら、会の仲間とともに木挽沢を歩くつもりであった。木挽沢は現在のダム湖である札幌湖ができる前に、その美しさに魅かれて多くの沢好きの岳人が訪れたところであった。ダム湖ができ、多くの滝は水のなかに隠れてしまったのである。
 しかし、ここ数年再び歩く人が増えたらしい。ルートは木挽沢を遡行し、神威岳ピークを踏んで、神威沢をくだるというルートらしい。

 さて、話は変わって内田光子のシューベルトのピアノソナタ集のCDを注文することにした。また、いろいろと調べていくうちに、かつての東独のピアニストであるツェヒリンがベートーヴェンとシューベルトのピアノソナタを録音していた。CDもあれば、レコード・・・ベートーヴェンだけど・・・もある。
 かつて、elly ney という素晴らしいピアニストの存在を知った。真に、出会いというものは望んで得られるものではなく、ただただ、導かれているとしか表現できない神秘を感じるのだ。
 

ベートーヴェンとシューベルト

2013年07月24日 | 音楽について

 会社の同僚の女性~実に豊かな感性と常に本質に迫ろうとする気概のある~から、キタラの会報を見せてもらった。そのなかに、ピアニストの内田光子の文章があった。それは、シューベルトの、死に対する深く静かに洞察してゆく目についてであった。

 そう、思いだしている・・・。今から約50年ほど前、テレビはSTVだったろうか。ベートーヴェンの音楽と人生の映画=ドラマがあった。そのなかで生き抜くベートーヴェンの人生に僕は深く感動し、そこから音楽への関心が始まったといえる。

 ベートーヴェンが人生を幕を閉じ、その葬儀にシューベルトが参列している。しかし、そのシューベルトも1年後にはこの世界にはいない。

 ベートーヴェンは努力の人と評されて、常に苦難の道を選びつつ逃げずに最後の最後まで闘いぬいたと言われている。では、シューベルトはどうなのか?

 その謎解きができるだろうか?二人のピアノ ソナタ全曲を聴いて感じてみたいと考えている。

 

一服・・・

2013年07月23日 | 山歩き~

 一服というのは、べつにタバコを吸うわけではない。
過去の山行から写真を取り出してみた。


この写真は、我が岳友であるtakagさんと数年前の4月に日高ピリカヌプリを目指したときの写真である。野塚トンネルから暫く沢を歩き稜線にとりついた。
 この日の天候は最初はまぁまぁだったのだが、標高千mを超えたあたりから、雪が降り出し、ホワイトアウト。日高の稜線から転げ落ちてもヤバイので、一歩一歩確認しながら、撤退してテント泊。翌日も同じ天気で、やむなく撤退。
 札幌へ帰る際、日高の海岸に沿って走る国道から見た日高の山々はきれいに晴れていた。そんなものである。

 しかし、今は夏。会のメールを見ると、無意根の白水沢の沢登りの案内が出ていたので、やはり、数年前の写真を2枚。

 これは登っているのです。

 これは降りています(ーー;)
 やはり、夏は沢登りに限ります。僕は・・・今年は無理かな!

 で、たまには、山以外のお話も書こうと思う。

山はお休みでした

2013年07月22日 | 山歩き~

 20日、21日と絶好の山日和だったが、今回はパス。というのも、20日は久しぶりにキタラに行き、PMFのマーラーの5番を聴いてきた。いつもは、レコード、CDばかりだが、やはり目の前の演奏は全然違う・・・ね。第一楽章の冒頭の澄んだ響きの金管から、ぶ厚い弦の音。
 で、21日は札幌ドームのリレーマラソンに参加。10人のチームで42.195kmを交代しつつ走るもの。一人、2kmを2回ずつ走る形式。
 楽しみながら走るという目的だったはずが、いやいや、スピード競争に転化。

 てなわけで、山岳会の仲間たちは、会山行で北大雪のニセイカウあたりを徘徊していたはずだ。まぁ、今の僕の体力では、道のある山登りの初級程度を「徘徊」するのが精一杯かな。そうはいっても、日高が呼んでいる・・・。
 芽室岳がいいかな、それとも日高の展望台~伏美岳あたりかな。伏美岳なら仲間がいれば沢から遡行してもいい。藪漕ぎも少なめ。いや、大雪の黒岳の沢かな。
 夢は広がる、が、現実からも離れる。
そんなことで、白旗山にだけは行かないだろう。・・・さて、どうする?





 

山道具

2013年07月19日 | 山歩き~

 久しぶりに山道具を紹介している雑誌を買う。数年間、山歩きから離れて、あらためて道具を見るとずいぶんと「進歩」しているようだ。特にレインウェアや小物、GPSなどは使い勝手の良いものへと変わっているのを感じる。しかし、肝心要の靴はどうなのだろうか?
 たとえば、ジルブレッタの山スキーに使えるコバのある冬用の革靴はあるのだろうか?殆どの靴が軽量化をはかり、その結果耐久性はいかがなのか?
 スカルパなどのプラブーツが消えていくなかで、兼用靴はやはり歩くのには、向いていない。歩けないわけではないが、どうもなじめない。
 たしかに、プラブーツや革靴でスキーを操作しょうとしても、操作しきれない。我々の先輩がそれらの靴で数十㎏の荷を背負いつつ、華麗にウェーデルンで滑り降りてくるなんていうのは、夢のような話である。しかし、現実なのだ。

 まぁ、その前に僕はまず体力をつけること。そうでなければ、仲間との山行にも行けないじゃないか・・・。

山の空気(2)

2013年07月17日 | 山歩き~

 下界を離れて山に登る。その山の空気はただ澄んでいるだけではない。それは、人間の創り出すあらゆる想念・波動から離れた世界。いわば、本来的なと言い切ってもよいほどの、大自然のあらゆるいのちの、調和された響きの世界。それは神の世界に近いのかもしれない。神=かたちあるものではなく、擬人化されたものでもなく、大自然の限りなく精妙な波動の世界・・・。ん、ことばでは表現は難しいな。
 それゆえに、人は山を歩くとき、その波動に包まれて自然の中に同化されてゆく。そのときの感覚をことばに表すとき、ある人は「神を感じた」となるのかもしれない。

 ところで、そんな山の世界にテントを持って行き、2泊でもいいから味わってみたい。そう、フライパンも持っていき調理もしながらね。・・・話がだんだん生活臭を漂わせてきたかも。

 では、恵庭岳の岩塔からオコタンペ湖を臨む・・・

山の空気

2013年07月15日 | 山歩き~

 さて、恵庭岳を歩き、ふと気づいたことがある。それは今までにないほどの暖かな、人を包み込む空気である。いや、これらの言葉が陳腐な響きに聞こえるほど、あらゆる不安も恐怖心も呼び起こすことのない、絶対的安心といえる雰囲気であった。
 さくさくと登り、降りる、何のためらいも躊躇もない。このような体験は初めてなのではないか。僕自身のなかにも気負いも力みもなく、あるがままに歩く。

 下山し自宅に戻った僕は、なぜか数年ぶりに「カムエクの教訓」というサイトを見た。カムエクで福岡の学生が熊に襲われ、死亡者まで出した事件であり、カムエクのカールには今なおその慰霊碑がある。
 たしかに、いつもは人を襲うことのないヒグマが人を襲ってしまった。キムンカムイが悪しきウェンカムイになり果てた。しかし、その変身には意味が隠されていたはず。まぁ、ここでは触れないでおこう。まだ、この事件の傷跡は深いのだ。

 

 

恵庭岳

2013年07月13日 | 山歩き~


 11日から12日にかけて、所用があり帯広方面に出かけていた。今は高速も延びて、かなり時間が短縮となる。但し、料金も相応に高い。

 帯広から中札内方面に走ると日高の懐かしい山々が迫ってくる。大きな十勝幌尻岳、何回も歩いている伏美、ピパイロの稜線が見える。勝幌は数年前の1月。ピパイロは・・・そう、泣く泣く1967峰を目の前にして、戸蔦岳から急速に近づいてきた雨雲と風のため、雪渓の滑落を恐れて撤退。

 さて、今日は久しぶりの恵庭岳。朝6時過ぎに自宅を出発し登山口には7時に着。既に何台かの車があった。
 今日も暑い日で、歩き始めて10数分で汗まみれとなる。足取りも重く、どこまでたどり着けるのだろうかと気にかかる。それでも、それなりにペースはしっかりとしていたが、第二展望台以降はなかなか進まない。殆どの人が第二で休憩し退き返しているが、僕はとりあえずは岩塔基部までは行く。しかし、体力が戻っていないため、ピークまでの岩登りはやめた。
 ところで、歩いている人のザックを見ると、信じられないほど小さい。あのザックでは、必要装備が揃っているのか疑問である。その大きさ、軽さであれば、ほとんど問題なくピークも登れるかもしれない。しかし、場合によってはザイルを使い、環付カラビナも用意するとなれば僕のザックは更に約10kgは増えるだろう・・・。縦走装備に匹敵する。・・・止めとこ。
 岩塔の崩壊前はごく簡単にピークへは登れた。が、今回改めて見て、判断は難しいと思う。
 
 今回の収穫は、プラムとみかんを持っていき、食したこと。果物は抜群にうまい。今度はメロンか桃か。コーヒーもいいね。