遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

それなりに休み

2009年09月30日 | 山歩き~
 さて、僕も来年はヌビナイからのピリカヌプリをめざそうと思う。ただ、それには、いくつかの沢の経験も必要かもしれない。まずは大高まき・・・。高度感に慣れること。そして、滝の登りだね。・・・昔、去っていった経験は、やはり、一から出直しなのだと思う。
 しかし、年齢相応の山歩きとしなければならないだろう。

 沢といえば、ロケーションがいいトムラウシ周辺の沢も魅力的だ。西沢、ユウトムラウシ、そしてクワウンナイ。

 それにしても、最近はけっこう長丁場歩いているにもかかわらず、足のふくらはぎの筋肉は依然としてフニャフニャだ。まだ、鍛錬が足りないのだろうか?もっと歩けということだろうか?
 荷も軽すぎるのだろうか?全装で歩くか・・・。膝が壊れそうだね。少しずつ。

 プラブーツによるジルブレッタの山スキーも先は短い。そろそろ、スノーシュでの登りにも慣れなくてはいけないかも。

ライフスタイルの転換

2009年09月27日 | 山歩き~
 会の仲間と武利岳~武華山の縦走だった。大雪の山には雪が白く映えていたところもあった。
 当初はあまり期待していなかったのだが、すばらしい山であった。ただ、残念なのはぼくの体調が良くなく、常に腹がはっていて整腸剤を飲みながらの山行だったことだ。例のウィルス性の腸炎のようだ。なかなか、完治しない。

 リーダーのOSAWさんからは、ブルベリーやくろまめの木の実などさまざま教えてもらい実際食べてみた。自分でも少しは見つけることができた。感謝!!
 きのこも様々な種類のものがあったが、僕自身はよくわからない。けれども、これらの知識を身につけるということは、自然をより深く知ることになるのだから、これからはもっと関心をもっていきたいと思う。

 さらに、
 一日の生活において、自らのおこない、想いを点検する時間をきちんと持ちたいと願う。同行二人だ。そして、禅定なども一日欠かさずやらねばと思う。
 「止観シート」を生活の基本としたいと思う。そして「ウィズダム」に基づき、実践を行うこと、「祈りのみち」を使うこと。

蘇る

2009年09月25日 | つれづれなるままに・・・
 家に帰ってきてばあちゃんと話した。聞いてぼくも驚いた。というのは、これまではいつも同じ話しかしなかったのだが、新しい話がひとつ、そして、しばらく「忘れていた」話もしてくれたのである。
 明らかに記憶が戻っている。これはささいなことかもしれないが、とても大切なことでもあると思う。それに最近は一人でいくらか歩けるようになったというのである。意識と身体のよみがえりが同時進行している。もちろん、これからどうなるかはわからない。しかし、いっときでも、「蘇る」というのはすばらしいことではないか。人間の復活の可能性を意味するものだと思う。それには、関わるということがどれだけ大切なことか、あらためて思うのだ。

 話は変わるが鳩山首相の国連演説を夫人は「努力賞!」と評したそうである。これは、記者が「何点くらいつけますか?」という問いに対しての返答なのだが、これはとてもすばらしい夫人の答だと思った。夫人の首相である夫への暖かいまなざし、そして、まだまだ成長し伸びていくことを願った想いが満ち溢れている、と僕は思う。

己の良心

2009年09月24日 | つれづれなるままに・・・
 会社で三年前に資本金を増資したときの書類を取り出してみた。そのときは資本金を13億円にしたのだが、スケジュール表や様々な書類、提出帳票などこんなに細かい仕事もしていたのかと驚いた。
 わずか三年前のことながら、すっかり忘れている。親会社とのメールのやりとりや、そうそう、山岳会のOdaさんの大雪の初冠雪と紅葉の写真を送ったら、東京のその部署のメンバーがみな感嘆の声をあげた・・・ことなどを思い出した。

 ぼくも、それまでの経理しか知らない人間だったのが、様々な仕事をしていくなかで、大切な勉強をさせていただいた、と感じている。ただ、それはあくまでも、管理面的な、どちらかというと「守る」ことを使命としての内容だったと思う。
 これからは、それだけではなく、「拓く」ということを意識しなければならないと考えているうちに、今回の事態となった。

 でも、今からでも遅くはないと思うのだ。ましてや、「守る」にしても、「拓く」にしても、個人的な野望や欲ではなく、自らを鍛錬し人々のいのちを支えるという使命に繋がるのなら、何も逡巡する必要はないはずだ。

 ためらうなかれ!己のなかの燦然と輝く光の源を信ぜよ!

同行二人

2009年09月22日 | 山歩き~
 会社でも山仲間からも1839峰周辺の山の写真がいいと誉められた。けれども、これはすべて大いなる存在というべきか・・・その意思がカメラにあらわれた姿でしかない。僕はただのその伝え手・・・介在者にすぎません。ただ感謝あるのみ・・・。

 同行二人ということばがある。この世界、現実に生きる未熟で愚かなる僕は、遥かなる天からの叡智の持ち主であられる方に導かれての歩み・・・でありたいと強く願う。

 それは甘えでもなく、依存でもない。ひたむきに法を実践し自らの信じるところに依拠すること。自律のみち。

「  慈愛に生きる

   想いにおいて 言葉において 行いにおいて

   時の流れの早瀬にあろうと
   喜びのときも 哀しみのときも
   いかなる時と場にあろうとも
   あまねく存在のうえに 限りなき慈愛を注ぐ

   自ら選びたる時の総ては
   力を尽くし 心を励まし
   この慈しみを抱いてありたい

   神の理によりて
   とらわれの自己より離れ
   本然たる愛の基に生きる自己に還らん


   大地の如く
   大地に営む」

             高橋 佳子著 「自律のことば」より

1839峰

2009年09月21日 | 山歩き~
 1839峰に行ってきた。
その三日間はすばらしい天気となり、孤高の峰である1839はその存在の気高さを教えてくれた。
 
 しかし、今回はそれにとどまることなく、大いなる存在の気配を絶えず感じながらの、僕自身にとっては大きな転換を伴った山歩きだった。





 











意味するもの

2009年09月16日 | 山歩き~
 車の中で、かの「アヴェ・マリア」を聞いていて、「シューベルト」の「アヴェ・マリア」はいいなあ~とつぶやいていたのだが・・・・?? シューベルト? ええっ? 違った・・・バッハの原曲をグノーが編曲したものと思い出した。

 で、すみません。ケルテイック・ウーマンのこの曲はグノー・バッハのものでした。

 さて、試練は呼びかけ・・・試練こそは実はこの魂にとっての本願が隠されている。試練によって、真の「願い」が浮かび上がってくる。
 だとしたら、実は試練がなくては人間の願いは引き出されないのかもしれない。
ならば、喜びをもって受けとめようではないか。

 このブログのテーマであるところの「高き峰々」とは大いなる存在を意味し、「そこから吹く風」とは試練が魂へ切実な働きかけをおこなう・・・真の願いを明らかにする慈しみの風なのだろう。それが最近わかりかけてきた。

 さて、1839峰との出会いにはどんな意味が隠されているのだろうか?

二短調のシンフォニイ

2009年09月15日 | つれづれなるままに・・・
 後悔の念もある。今まで何をやってきたのだろうか?真正面から向きあってきたのだろうか?

 状況を詳しくより深く理解できる部署にいながら、何もやってこれなかったという想い。しかし、これが現実だろう。
 いくつかの子会社の整理の実務的な担当ということもあり、そのうち直面するのではという予感も早くからもっていた。
 
 自分のミッションは何かというテーマと繋がっていたのだ。今から思えば。
しかし、ここで未来を見据える必要がある。それは何か・・・。

 事務局長とユーチューブの音楽の話をした。う~ん、かといってブルックナーの交響曲の第9あたりをここに紹介してもいいのかい?
 僕の大好きな曲のひとつである第9・・・おそらく、曲がはじまって5分以内に眠ってしまうのではないかと・・・。実際僕がそうだったからね。
 しかし、理解できないというのがいやで風呂の中でも聞いた結果、今ではオーケストラの楽譜まで持っている。
 ただ、全三楽章で1時間半の曲です。そのうちに・・・。

露天風呂

2009年09月13日 | 山歩き~
 今回の山行に持っていったガソリンランタンはコールマンの2000で買ってから約20年近くたっているはずだ。したがって、使い方を忘れているのは仕方ないかもしれないが、とにかく、FUKUDさんのおかげで立派に照明装置として働いてくれた。ありがとうございます。
 で、先ほどまで、分解してメンテをやっていたが、やはりメンテをすると思い出す。こういう器具の場合の僕の記憶の「使用期限」はどうやら5年前後らしい。
 ときどきは取り出してメンテしたほうがいいのかもしれない。
それにしても、マントル周辺から出てきた数百匹の虫の死骸には僕も驚いた。

 肝心の山はウペペは雨で中止、昨日は東ヌプカウシヌプリを歩いた。しかし、ODASHIチームは天気が回復傾向だったので登ったようだ。

 久しぶりに然別峡のキャンプ場の露天風呂に入った。ぼくは暗闇の中で一人入ったのだが、すばらしい雰囲気~大自然の波動のなかで、ここから出ることをためらうほどだった。もし、一人でここに来ていたのなら、露天風呂の中で最低でも1時間くらいは瞑想・禅定をしていたかもしれない。
 しかし、釈迦 ゴータマ・仏陀はピパラのもとで悟りを開き煩悩が去っていったけれど、露天風呂のなかならせいぜい身体の垢ぐらいしかとれないかも。

ランタン

2009年09月11日 | 山歩き~
 明日は会山行だ。
今回は久しぶりにキャンプ用のガソリンランタンやバーべキュ用のコンロそして10年以上前の炭をだした。はたして燃えるのだろうか?

 ガソリンランタンはコールマンのものだが、はっきりいって使い方は忘れてしまった。それで、電池のランタンも用意したのだ。灯火のないキャンプ・・・になったら困るしね。

 山行というか、キャンプというか、まあどちらでもいいのだが、天気も土曜はいいようだが日曜は崩れるらしい。ひょっとしたら、酒飲み会になってしまうかも。

 そろそろ、寝る用意でもしょうか。おお、ホワイトガソリンの用意をしておかねば。