遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

みち

2008年12月03日 | つぶやきを捜して・・・
 ふと、考える・・・。ぼくのこのブログに多くの方がみにきてくれている。とても、ありがたいと想う。
 さて、しかるに、僕は日々多くの人、自然のなかで生かされ育まれている。そのなかで、まことなる感謝の想いを据えているのだろうか?
 知っている人も知らない人も、きっとこのブログを見ている人の中にも、ぼくがこれまで会ったことのない人もいるのだろう。
 
 でも、すべての人々に向かって、その方の幸せ・・・その方の行くべき道を願いどおりに歩んでいくことができるように祈りたい。
 たとえ、障害があったとしても、それはその人の魂をさらに強く逞しく慈しみ深くするための糧。どんなに困難な事があっても、必ず一本の白い道が拓かれていく。
 そして、思いがけず「道」が開かれていたことを、後から気がつく場合もあると想う。それは、その選択が「諦め」によってもたらされたにもかかわらず、実はその方にとって、意識下レベルでの、魂レベルでの選択だったかもしれない。それは、後になってからわかることだから・・・。

 

一日の終わりに

2008年06月29日 | つぶやきを捜して・・・
 うちの奥さんと余市への二往復。別に身体を動かしているわけでもないのに、疲れた。なにしろ、今日は僕が師とする高橋佳子氏の講演会で、余市の義父母の送迎となった。

 先週の土、日は仕事の予定だったが、急遽変更となり、別に予定もたてていなかった僕は、二日間とも引きこもりだったから、今週とは正反対。ただ、言えることは家の周りの雑草が勢いよく成長していること。今度の土曜日あたりは雑草とりもしておかねばならないかも。

 明日会社へ行けばおそらく親会社からの様々な質問がくるかもしれない。資料の提出も求められるかもしれない。しかし、誠実にひとつひとつに向かっていけば、必ず道がひらかれていくことは確信している。
 
 いろいろとやるべきことは積み重なっている。時間が足りない、時間があれば・・・というのは責任転嫁だろう。とすれば与えられている時間のなかでてきる限りのことを為すのが本当なのだろう。
 

たいやき

2008年06月23日 | つぶやきを捜して・・・
 大谷地の東急ストアで、たいやきを買ってきた。皮は薄めのものであんとクリームの二種類である。本州のたいやき屋さんで北海道ではそんなに店舗はないのではないか?
 ほかのたいやきはあまり食べたことがないので比較できないが、皮はパリッとしている。
 どうも若いころから味には全然うるさくないので、美味い美味くないという判断ができない。
 学生時代といえば、学食の40円のかけそば、うどん。130円のカレッジランチ・・・。180円のランチなんてめったに食べることができなかった。ラーメン、カレーライスは70円だったし、金のない僕にとっては貴重な場所だった。ただ、日曜日は休みで、仕方なくクラ館の食堂まで歩いたり、ごはんを炊いてさばの味噌煮の缶詰をご馳走としていたこともあった。そういえば、正月元旦の食事もそうだったっけ。居候の友達と電気コンロでごはんを炊いていた。

 その友達とも数年前に会ったのだが、美しい奥さんは病で若くして亡くなり、残されたお嬢さんたちを男手一人で育てあげたのだから・・・。
 数多くの友人たちとも進む方向はまったく別の道となったが、その頃の共有した想いは途切れてはいないだろう。しかし、一方で月日の経過の重さも感じる。

 そして、今、クライミングという”友”がある。

求めるもの

2008年06月22日 | つぶやきを捜して・・・
 この二日間というもの1970年代に遡ったり、現代に戻ったり・・・。
あのころの意味は何だったのか?

 1970年の前後といえば日本中に学生運動が席捲していた時代だった。ぼくが高校生のときに大通りから北24条の家に電車で帰るときに北大正門前で突如降ろされた。そこでは機動隊と学生が衝突し火炎ビンが投げられて火の手が燃え広がっていた記憶がある。そこから僕は歩いて帰った。
 数年後、北大では教養部でも時折ストライキがあったと記憶する。70年安保の後にすうっと衰退していった学生運動を感じていた。

 インターネットで学生たちの日大闘争の記録を読んでみた。ノンポリと呼ばれる一般学生たちが全共闘を組織、高揚し衰退終焉していく過程である。
 
 ぼく自身といえば70年前後から一貫して謎として残っていたことがあった。それがこの二日間のなかですべて明らかになっていた。そしてそのことは、いわば青春時代の遺産に対してのはっきりとした総括となり「負」のエネルギーへの訣別となるであろうことを確信した。

ホームページ その3

2007年09月03日 | つぶやきを捜して・・・
 自分のではなく、別のホームページの理解をしようと考えている。手始めに、掲示板なのだが、早々に行き詰ってしまった。なんのことはない管理者用のパスワードがわからないのである。

 これがわかれば、最低限の管理ができるのだが。

 朝、起きたときに奥歯の腫れを感じた。痛みもある。思いだしたのはしばらく前に抜いた奥歯。痛かった・・・。

 早速、会社帰りに友人の歯医者に行く。歯の根の炎症ではないとのこと、もちろん抜く必要もないことがわかり一安心・・・。
 この奥歯、親知不の歯なのだが、噛むという面ではあまり役にたっていないとのことだった。けれども、そんな歯であっても、ぼくにとってみれば大切な歯、今後もきちんとブラッシングしていこうと想う。

葬儀

2007年08月07日 | つぶやきを捜して・・・
 友人の葬儀にいってきた。まだ、56歳という若さだったから、友人であるご主人もさぞ悲しみは深く、尽きないと思う。

 もう、30年来のつきあいである。ぼくにとっても姉さん的な存在の人だった。そうそう、大雪の黒岳も彼女も含めて4人で歩いたこともつい昨日のようにも思える。もう、25年前だろうか・・・。
 登山者が多くて登山道が渋滞していた。まだ、雪が残っており殆ど雪の上を歩いた。
 黒岳の石室あたりの雪渓でみんなで尻滑りもした。名は知らないが花々が咲いていた。

 その後の夫婦の歩みは、まさに人に尽くす人生だったといっても過言ではないと思う。
 肉体は滅んでも魂は生きていると、かのミニヤコンカの阿部幹雄さんは言っている。とすれば、肉体を離れたその魂は何を見、何を考えているのだろうか。

 
 

30年も前のこと 3

2007年07月12日 | つぶやきを捜して・・・
 さて、またもや昔の話になってしまうが、居候の友人は親に勘当されて仕方なく、ぼくのところに転がりこんできたのである。金のないものばかり集まったのだから、食べるのも不自由なことが多かった。
 通常は大学の食堂へ行けば、40円でそばやうどんが食えた。70円でカレーライス、130円もだせば、ランチと贅沢ができた。が、正月はさすがにやっていない。
 仕方なく、電気コンロで飯を炊き(?)、さんまの缶詰をおかずにして、ささやかな正月の食事とした。まぁ、食べることができただけでも良かったのである。
 同じ大学の知り合いの寮生なんぞは、「塩ライス」とかが主食であったからして、不満など覚えることもなかった。

 こんな生活が主だったから、山関係の金のかかるサークル、部に参加するなんていうことは、土台、無理だったのである。
 それでも、誘われて近郊の山に行ったのもこの頃だ。なるべく、バスは使わずヒッチハイクとした。歩けるところは歩いた。まぁ、これが学生の一般的な姿だったと思う。

湿疹 その3

2007年03月21日 | つぶやきを捜して・・・
 峠も越えたようだ。サランラップも使う必要がなくなり、少しきれいになった。でも、まだ、新しい噴火口もできており、朝と晩に薬を塗るだけでも10分から15分はかかってしまう。まだ、油断はできないと思う。

 とはいえ、風呂に入って、右腕と右足を湯船から出すことを今日からはしなくても良くなったので、少しばかりうれしい。

 くわえて、先程、食後のデザートとして食べたプリンも美味だった(^^♪ そして、ぼくのそばには、おやきもある。どうしても、食べなくてはいけないのだろうか?しかし、ぼくが食べなければ、みすみす、息子の餌食になるのは間違いない。
それは、おやきにとってもきわめて残念なことに違いない。
 ただ、ぼく自身は食べものについては、欲のない簡素な人間である。だから、あれも食べたい、これも食べたい、という欲望からは離れている・・・。しかし、出されるものについては、感謝のこころで、食べられるだけ食べてしまうのだ(~_~;)
 これは是なることや、非なることや・・・?

 山岳会「やまびこ」の増屋さんが、ぼくを本来の山屋への道に引きずりこもうとしている。まぁ、ぼくも膝の状態をみつつ、「山道」のない世界に入っていくことになるだろう。でも、道のある尾根歩きもいいもんだ。
 一方で、冬山の雪崩遭難事故を防ぐため、ぼくなりにできることがあればやってみたいと思う。 
 単に雪崩に対する知識の習得、啓蒙ばかりではなく、自然そのもののもつ大きさを知ること、そして、人が自然に対して「畏敬」の念をもつことができたら、どんなにすばらしいことだろう、思う。
 

パソコン・・・

2007年03月20日 | つぶやきを捜して・・・
 復活したパソコンではあるが、やはり、電源系統に難がある。いつ、また、故障するとも限らない。おまけに、CD-RWのRがダメになっている。つまり、書き込みができない。プリンターも黒インクがでない。黒字ではなくて、緑に化けて印刷される。全体がグリーン基調なのだ。
 この緑色で印刷した地形図を見ていたら、会の仲間が、変わった色の地図だね、と声かけてきたが、なんのことはない、黒系統の色が出ないだけなのだ。緑色の地図なんて、ほんとに見にくい。等高線が緑なのだから、急斜面はこの線が込み合って、標高をつかみずらいのだ。
 ヘッドクリーニングしても、プリンタードライバーをダウンロードしても治らないので、もう、あかんのかもしれない。

 そういえば、しばらく山に行っていないので、記録も書いていない。古いものでも書こうかな。

 せんだって、書いた明恵上人という僧は仏教でいうところの戒律を単に形式として捉えるのではなくて、自分を生かすためのものとしてみていたそうだ。しきたりとしての、単なる守るべき対象としての「戒律」ではなく、それをどう使うかによって自分を成長させる・・・いうならば手段とでもいうべきか・・・。
 何々しては、ダメ、という戒律ではなく、それを守ることによって自分はこう変わることができる、ということなのだろうか・・・。

 さしずめ、ぼくなら、そうね、「アイスクリームを必ず食べる」とか「雪見だいふくを2個以上は食べない」という戒律を実践してみようか・・・。
 その目的は、痩せすぎない、ということにして。
 なんか、変かなぁ~(@_@;)