遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

私心

2014年04月29日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・

 私心に覆われた心・・・。
まだまだ、本心、魂奥深くから突き上げてくるような想いを発見するに至らない。いや、自らの心の曇、目を塞ぐ闇の正体を捉えていない。

 正見。仏陀が説かれる八正道の一つ目は、この正見。正しく見ること。それはなんら偏見も既成概念もなく、ありのままを観ること。

 まだまだ、ぼくの道は遠い。しかし、これは誰に頼ることなく、自らの湧きあがる想いに支えられて、自ら掴みとるしかないのだ、
 しかも、自分は知っている、わかっていると、まったく、履き違えた感覚を持っているのだから、困ったものだ。
 しかし、一つひとつ、その現状を理解していくことは、自分にしかできないことであり、他に任せてできることではないのだ。

 壁を突き破るためには、その全てを体得するしかないのであろう。




白井岳

2014年04月27日 | 山歩き~

 山岳会の仲間と白井岳を歩いてきた。
道具は山スキー。登りは札幌国際スキー場のゴンドラ終点から歩き始め,朝里岳の裾野を歩いて白井岳へ。帰路は、白井岳から沢を降り、ダイレクトにスキー場の起点へ。

 この時期、沢の本流は水飛沫をあげながら豪快に流れている。支流は、雪にうずまっており、自分のスキー技術の下手さ加減に辟易としながらも、沢の上を滑り降りてきた。落ちてはいけない場所だけに慎重に、そして、侮らずに。

 実は白井岳、始めて登る山である。
夏道があるわけでもないので、積雪期しか行けない山である。正味、4時間程度で戻ってくるだけで、体重も2kg以上減っているのに驚きである。

 なお、沢のスノーブリッジは来週になると、難しい状況になってくるだろうと思う。さすがに崩壊しつつあるスノーブリッジの横断には、細心の注意はらったつもりである。

 

かけがえのない人たち・・・

2014年04月26日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・


 かけがえのない人たち・・・

 過日、ぼくの会社の卒業(退職)を祝して、あたたかな会を開いてくれた。
そのとき、ぼくは始めて悟ったことがある。
 この人たちは、真にかけがえのない、愛おしい人たちなのだと。

 厚いヴェールに包まれているように感じるのだが、それは、遥か昔、現在の人智の及ばないその昔から、常にこの世界に共に在り、共に生きた感覚がある。
 はて、この人は?さて、この方は・・・と、なぜか深い郷愁にとらわれながら、しかし、今の姿を見つつ、とらわれたり、すねたり・・・もするのだが。

 それは、いつだったのだろうか?

 永い魂の歴史のなかで、多くは消え去っていった記憶なのだが、なぜか、ポツンポツンと輪郭だけが蘇ってきているような、貴い大切な何かが呼びかけてくる。

 何か、表現したい「ことば」があるのだが、うまく出てこず、もどかしい。

 

 さて、先週の土曜日に白旗山を歩いてきた。それは、自分が道を迷った原因を探るためである。
 静かな山である。
そして、自分の過ちは、「見て」いない、ということだと理解した。地形を見ていない。太陽の動きを見ていない。一つひとつの斜面の傾き加減。人工物の存在の意味。突然消えるスキーの跡の意味・・・。すべては、音もなく、言葉もないけれど、明らかにぼくに呼びかけていたのだ。知らせていたのだ。
 それらの印を、実はぼくは見ていなかった。それだけだった。



 

それから、23年・・・

2014年04月13日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・


 わが師である高橋佳子先生が、1991年に「サイレント・コーリング」を上梓されてから、はや、23年。しかし、自分の歩みは止まったままと感じている。

 その序文の一節を載せて、自らを叱咤することにしたい。

「今日ほど、一人ひとりの目覚めが求められているときはありません。意識の覚醒、魂の覚醒に向けて時代は動こうとしているのです。
 一切を記憶し、一切を知り、一切を見はるかす宇宙の叡智から、一人ひとりに届けられているサイレント・コーリング―。その響きに耳を傾けながら歩む道。今こそその道を歩み始める時がきています。一部の傑出した覚者だけが目覚める時代は、もう過去のものです。平凡な一人ひとりが呼びかけに応える時代が来ています。あなたが人生で立ち止まった疑問の中に、苦しみ悲しんだ痛みの中に、そして深くひきつけられた出来事の中に、すでに呼びかけは届いています。
 あなたが応え始めるその時を、時代は待っているのです。」

 

里山にも春が・・・

2014年04月13日 | 山歩き~


 しばらくぶりに真栄口から白旗山を歩く。
木の伐採のためか除雪車が入っているらしく、林道は雪が融けかかっているようだ。ところどころふきのとうが顔を出している。
そのふきのとうを採る人たちであろうか、何台かの車が停まっていた。

 中央峠をこえて、自衛隊の演習場付近に向かう。このあたりは夏でもほとんど歩く人のいない領域である。今も白一面の世界であり、無造作に歩くと腐れ雪で長靴でも埋まってしまう。
 西山苗園あたりから「モーゼ岩」を目指す。強い春の陽射しは、岩の上を温めてくれていた。ここからは、屹立する恵庭岳、たおやかな漁岳、そして空沼岳から札幌岳の美しいホワイトラインが続く。無意根山はまだまだ白く、その輝きは他を圧倒するようだ。

 登山者は自分しかいない。こういうときこそ、注意力を絶やしてはいけないのだが、苗園の複雑な回廊をぼんやりと歩き、最短距離で戻ろうとしていたにもかかわらず、うっかり山部川へ続く林道へ下ってしまう。
 常々歩いているところだからと、注意力が散漫になっていたようだ。また、冬の情景は葉が生い茂っている夏とは違い判断を迷わす。

 あとで地形図を見ると、どの場所で判断ミスをしたのか一目瞭然である。また、そのとき感じた違和感をきちんとすくいとっていくことが必要であろう。
 山の事故なんて、意外と単純な判断ミスが大きな問題を招くのだ。