遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

明日は大晦日

2009年12月30日 | つれづれなるままに・・・
 今年も年末の店舗応援は注連飾り販売。店は平岡で、ここは風が強く過去に小屋が吹き飛ばされたこともあるところ。小屋も掘っ立て小屋だから、下から巻き上げる風には弱く、また、横風にも弱い。何年か前にも何箇所かの小屋がつぶれて営業できなかったこともある。

 灯油ストーブは2台あるが、寒さは厳しい。氷点下の世界でもちろん朝から夜まで立ちっぱなしである。何年か前、真栄の店では夜に氷点下12度まで下がり、お客さんもほとんどいず、ストーブの前にいてもその恩恵をまったく受けることなくすごしたという記憶もある。
 雪に風がつくと大変だが、それ以上に雨が降ったときは切ない。なにしろ、雨漏りはするは、商品は濡れるはで・・・もちろん、お客さんも来ない・・・なにもいいことはない。

 明日はいよいよ大晦日で仕事も今年最後。新しい年はどんな一年にしたいのか、主体的に向かっていかなければ何も創造することはできない。

丹沢山 訂正

2009年12月28日 | 山歩き~
 昨日、登りは3時間40分と書いたが、実は4時間40分だった。久しぶりの長ロングコースだったのか・・・。ラッセルか。
 それにしても、スキーの速さはやはりすごいと思う。しっかりとトレースが残っていると、斜面ならどんどん滑りおりることができるのだ。もちろん、雪が降れば、下りもラッセルすることもある。こういうときは、無言で歩くしかない。

 

無意根大橋からの丹沢山

2009年12月27日 | 山歩き~
 無意根大橋から中岳を目指したものの、やはりラッセルもあり、また距離も長すぎて、途中の三等三角点の丹沢山までとなった。
 その行程のなかの標高点905mの北側をまわる林道はがけ崩れで跡形もなくなっていた。
 山の中には多くの林道があるがその多くは通行不能になるものが多い。それなりのコストをかけて道路をつくるのだろうけれど、数年たつとすべて崩壊してしまうとはいかに・・・。

 この三等三角点は、標高でいえば千メートルをこすところなのだが、広い平坦地となっていて、あまり山のピークという感じはしない。しかし、三角点があるということは、それだけの眺望があるということだ。事実、無意根山方面、定山渓方面がすっきりと見えるところだった。
 登りは3時間40分ほどかかるものの、下りは1時間半程度で大橋のたもとまで着いた。やはり、山スキーの威力はすごいものがある。これがスノーシューであれば、相当な時間がかかっていたことだろうと思う。

 さて、林道からは庚申草山が見えていたが、これも大橋から登ってみたらどうだろう?定山渓トンネルから歩くのが一般的だが、これではあまりにも単純ではないだろうか?

26日もはや・・・

2009年12月26日 | つれづれなるままに・・・
 急に真冬の状態になったようだ。しかし、同時に二つ玉低気圧の到来にみられるように、なんともいえない気象状態。どう理解すればいいのかわからない。
 しばらく前までは地球温暖化・・・だったのに、ついぞこの前から寒冷化にはや変わり。今日も札幌は日中でも氷点下の状態だった。昨年とはまた違う展開となっている。

 今日はあちこち走りまわったおかげで、江別の昼ころは氷点下8度、小樽の午後3時頃は氷点下1度ないし0度、余市は氷点下3度くらいとまちまちであった。低気圧が接近してくるのだから、だんだん暖かくなってくるのはあたり前だとしても、なんとも解せぬ天気だ。

 しかし、走りまわったおかげで、何もできなかったこともある。・・・。
 
 ところで、最近発刊されたばかりの「スイスアルプス花図鑑」という本がある。書店にはない本なのだが、今回、縁あって一冊手に入れた。
 結論からいえば、すばらしい本だ。著者が長年かけて取材し、編集した方も3年かけてじっくり編集した成果があらわれていると思う。商業ベースではこういう本はつくれないだろう。

 さらに、来春、ganさんが沢登りの本を一冊出版するという。これも楽しみである。なにしろ、文章がいいと思う。ただ、この本については出版されてから触れてみたいと思う。

いよいよ、暮れだね

2009年12月24日 | つれづれなるままに・・・
 年明けるとまもなく、ISO14001での監査。今回はそれにくわえて順守評価もあるわけで、会社の環境に関わる法律をかたっぱしから読んでいる。しかし、その法律の数たるや、尋常な数ではないのだ。環境省、経済産業省、札幌市のホームページからダウンロードし印刷するのだが、両面印刷を使っても、もはや厚さは10cmを越えた・・・。
 いわゆる「法」のほかに、施行令やらなんやらいろいろとついてくるのだ。「法」だけを読んでも、それは基本部分だけなので具体的なことはわからない。

 とにかく、1月はISO、2月は決算関係で忙しくなってくる。山の関係も、雪崩講習会の関係で忙しいだろう。万計山荘の屋根の雪降ろしも今年もまた行けないだろう。

 一方で、1月の十勝幌尻岳の企画も進みだし、計画書を作成する段階となった。楽しい時期となる。

 その前にまずは、この一年自分にとって貴重な年であったことを感謝したい。なによりも、自分のミッション、10年計画についての意識の集中があったこと。神理実践の基を生活の中に再び定着しつつあることを想う。

 そして、明くる年は更に一歩前進の歩みとしてありたい。祈りと実践が両輪のごとくとなりますように。

年末の山歩き

2009年12月22日 | 山歩き~
 どうも、最近はまとまった時間がとれない。それでいろいろやるべきことが、すべて溜まり放題となっている。くわえて、勉強もそろそろ始めなければならない。
 
 それなのに、食欲だけは進んでいる。困ったもんだ。食べ過ぎるとまたまた60kgを超えてしまうことだろう。おまけに最近の山歩きはそれほど体力的には厳しくないから、がたっと体重が減ることもない。

 そういえば去年着ていたカーディガンが見当たらない。生地も厚めで会社で着ているにはちょうどいいのだ。クリーニングから戻ってきたものをしまったことは覚えているのだが、それがどこだったのかが思いだせない。幸い、奥さんから同じようなものを買ってくれたのだが、あれはあれでなかなか良かったのだ。
 ほかにもカーディガンは何枚かあるのだけれど色が明るくて、会社で着るにはむかない。会社ではグレーか黒かということになる。

 仕事が終わってから会の事務所に行ったが、さすがな年末のせいか山行計画を提出するのはぼくらのパーティも加えて二組だけ。やっと雪が降ったのだから、いそいそと出かけていくのが会なのに・・・とも思ったりする。

貯める

2009年12月21日 | つれづれなるままに・・・
 月々の少ない小遣いのなかから毎月2千円ぐらいを貯めることにした。目的は退職後に山道具を買う財政的基盤をつくるためである。月2千円で×12ヶ月×4年と2ヶ月でちょうど10万円になる。
 山スキーの板、兼用靴などの値段の高さを考えると10万円では全然すくないかもしれない。もちろん、それだけでなくて、登山靴だって寿命はそれほど長くはないし、ほかにもいろいろとかかると思う。最低限これだけはないとと思う。
 山道具10年計画のなかで、ウェアだけはそれなりに揃えることができた。特に冬用のウェアは値段が高いからおいそれと買えない。円高とはいっても、それが充分には反映されていないし、今後ハイパーインフレになる可能性もあるだろう。クライミング用品のグリグリだって、安いときは8千円、高値では1万1千円まで変動する。

 手袋や靴下その他の小物は少ない小遣いをやりくりして買うしかないだろう。ところで、目的どおり必要なお金を貯めることができたとして、問題は山に行けるかどうかということである。これが最高の難問だ。

キロロスキー場から

2009年12月20日 | 山歩き~
 キロロスキー場から余市岳を目指したが、降り積もった重たい雪のラッセルにより、途中で帰ってきた。
 スキーでも膝まで埋もれる。スノーシューの二人組みが先行していたが、腰まで埋もれていたようだ。おそらくつぼ足なら胸近くまでのラッセルになったに違いない。天候はずっと雪降り模様。視界はほとんど見えない状態もあった。
 風もあり、帰り道ではトレース跡も消えかかっており、再びラッセルとなる箇所もあった。
 いくらか湿っぽい雪であり、昔のパウダーは嘘のような、伝説のような話になりつつある。それでも、気温は氷点下10度を下回っていたに違いない。
 パウダーを求めるには、道北しかないかも。

 僕の兼用靴も熱成型のインナーだが、ここにきて足にあたりがあり、けっこう痛い。そのうち、再成型をしてもらわなければ。

 久しぶりのゲレンデ滑走。やはり、みんなうまい。急斜面なんのそのだ。僕もそれなりについていく。ただ、背中のザックはかなり重くて膝や腿がしだいにパンパンになっていく。

 今年の山行もいよいよ大詰めとなった。どこかさりげなくピークを踏みたいが・・・。

 
 

 

血の流れ

2009年12月19日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・
 今日は午前中は駒岡清掃工場にゴミを搬入してきた。以前庭にあった木を切ったのだが、それをさらに鋸で細かく切ったもの、不要になった板など・・・ごっそり。多少、庭が整理された。

 して、午後からはじいちゃんをつれて近くの温泉へ。そこの露天風呂もなかなかいい。
 そういえば、じいばぁと同居して、はや一年を過ぎた。この一年は早い。そのなかでも、私的には、二人との同居により、僕のなかに「面倒を見させていただく」「尽くさせていただく」という意識を呼びおこしていただいたという想いがある。そういえば、学生時代にも、まったく意識はなかったのだが、友人を居候させたりとかで、「面倒をみさせていただく」ということをしてきた。しかし、はっきりと意識化したのは今回の出来事によるもの。考えてみれば、僕の父親もそういうことをするのは、ごく普通だったということを聴いたことがある。そういう意味では、血の流れ・・とでもいうべきなのか。
 そして、それは家族中心にまとまる・・・というよりは、もっと広い輪を意識しているといってもいいのかもしれない。だから、逆に家族だけを大切にする、というわけでもないともいえる。

 

さまざまな現象

2009年12月18日 | つれづれなるままに・・・
 猛烈な寒波がやってきた。おそらく雪も相当降るだろう。ぼくにとっては嬉しいことだが、気象の極端な変動はどんな背景があるのだろう?
 単純にエルニーニョによる暖冬とだけ言い切れないだろう。

 沖縄の基地問題についても様々な情報が流れている。すでにアメリカは数年前からグァムに全面移転の方向性をうちだし、かつその計画を遂行しつつあったというのだ。それを停めたのは誰か?それは官僚だというのである。また、基地全体の人員を極端に水増し、グァムへ移動する人員が全面移転ではなくごく一部の移転に見せかけしょうとしたのも官僚だというのである。
 また、大阪府の橋本知事が話した基地と関空問題・・・。これは最初いわゆる大手マスコミ、新聞社などのマスコミは無視した。しかし、ネットでこの話題が大きく広がるなかで、やむなく(?)取り上げざるをえなかったという。メディアが本来国民に伝えるべき情報をきちんと伝えているのか気にかかる。
 例のダム問題についても、地元の人へのインタビューというのが、ダム賛成派にかたよっていたという話もあるらしい。(たとえば、地元のご婦人へのインタビューというのが、実は賛成派の婦人議員だったというのだ)。このようにして、地元=ダム建設賛成という図式ができあがるのなら、メデイアの責任はかなり重たいものになってくる。
 我々はどのような結論にたどり着くにせよ、偏らない目と心で観てとる必要があるだろう。