遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

睡眠・・・学習ではないのに

2009年11月30日 | つれづれなるままに・・・
 最近、寝る前に禅定をするのが日課となりそれも楽しみとなってきた。禅定というのは、別段、無の境地になるわけではない。無の境地になるなんて、到底ありえないことだ。人間は常に想念の働きがある。その止め処もなく動く状態を穏やかにし、そして、止めることはできても、止め続けることはできない。

 座禅を組みそのなかで悟りを得たという禅僧が過去においても少なからずいたとされるが、その質においては、決して本来の悟りにはほど遠いものである。ぼくの知っている範囲では、せいぜい明恵ぐらいのものである。

 明恵の悟りとは大地の呼吸とともに自らのこころと身体が同化していった段階ではないかと推察される。いや、これ自体が実はとてもすごいことなのだ。
 座りながらにして、庭のどこかで小鳥が怪我していることを知ってしまうことは、この証である。意識は身体をオーバーラップして、周囲のことがすべてわかってしまうのだ。
 ぼくも歩きながらにしてこのことができれば、あえて地形図を見なくとも完璧なルートファインデイングができるだろうに、とも思うのだが、こんな邪な気持ちでやっているから、下手すると禅定は即睡眠に転化してしまうのだ。
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札幌の低山

2009年11月29日 | 山歩き~
 今日は札幌市内の低山を登って来た。道もないのだが、それだけに終始わくわくするような久しぶりに気持ちのいい山歩きだった。
 雪は少しだけ積もっていてかえって歩きずらかったが、それすら面白くてこれこそ山歩きの原点ともいうべきいい山だった。
 同行された会のご婦人方も満足されたようで企画者としてはうれしかった。

 それにしても、札幌の低山も奥深く、ピークから見る山々はどれもこれも「いらっしゃい」と呼びかけてきているようで、今後も楽しみである。

 とはいえ、もう12月。雪ももっと積もってほしい。山スキーもなかなかできないじゃないか・・・。準備はいつでもOKなのだが・・・。
 スノーシューで行くなら、ヒクタ峰と756m無名峰と庚申草(こうしんそう)山がいいかも。いやいやまだあるぞ。どちらにしても、正月草々ヒクタ峰には行く予定。

 夕張山地も面白い山がいっぱいありそうだ。今後のお楽しみ・・・ですね。
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フライパン・・・

2009年11月28日 | 山歩き~
 天気も天気なので部屋の片付け。山道具の片付けとほぼ同義語になってしまう。オーディオ関連は居間なので、ここには真空管のアンプとアナログプレヤー2台とアルニコのスピーカーしかない。そろそろ、真空管をかえどきか・・・。とはいっても、ラックスの38FDに使える管なんて手に入るのだろうか?あっても、目玉が飛び出るほどの値段だつたりして。

 今回の新発見は、フライパンがなんと9個もあったこと。山用のものから、鉄製のものまで、なぜかフライパンが多い。なんでこんなにあるんだ?と思うのだが、たしかにフライパンだ。
 まあ、コッヘルも多いね。沢用から通常の山用・・・そうそうなぜか飯盒も4個もあったりして・・・。自分では集めた意識はないのだが・・・。おまけに、約30年前のテントのポールが出てきたりして・・・。肝心のテントは処分してないのに、ポールだけあったってどうする?
 そのテント・・・イシイスポーツで買ったものだった。今のテントとは全然形が違うのだ。
 そういえば、上ホロのテントの中でも話題になったけれど、30年前の山スキーには秀岳荘の名前が入っていた。思い出した。そのスキーもジルブレッタとともに処分してしまった。投げなければよかったなぁ~。思い出の品なのに。金がないのに、工面してやっと買えたものだった。

 山道具は大切にしょう
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冬テン

2009年11月27日 | 山歩き~
 雨が降っている。まだ寒気はこないようだ。
いよいよ、霧立峠からの小平蘂岳の計画を進めるときがきた。じっくりとやろう。まずは記録のないところだから、霧立峠自体の情報を集めなければならない。実はこういう計画段階が一番楽しいときでもある。

 母子里は氷点下40度の最低記録をもつが、実は近くの幌加内も未公認ながら、氷点下41度の記録をもっている。周囲は低山に覆われて盆地のような地形で、大雪のお鉢平のように冷気がたまるようだ。かつ、日本海からの雪雲が押し寄せるところで大雪になる。寒くて冷たい地域である。
 逆に山の上の方が暖かいかもしれない。もっとも、季節風が吹きぬけるから結局は同じである。
 雪は一晩で玄関が隠れるほど積もるから、除雪も大変だ。通常のテントでは風も雪もしのげない。「冬テン」なら、ポールは4本となり、強度は2倍以上となる。それでも、しのげないときはイグルーづくりとなるだろう。イグルーは北大山岳部の伝統的な「住居」だ。風、雪にもちろん強い最強の「住居」となる。

 一方、冬テンの最大の弱点は換気である。密閉性が高いため換気には充分注意しなければならない。
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計画・・・冬

2009年11月26日 | 山歩き~
 なにやら創作意欲がわいてくる。しかし、いろいろと考えることがある。

 道北の霧立峠から小平蘂岳への山行を考えている。標高は千メートルに満たないところではあるが、近くの母子里は氷点下40度の最低温度を記録したところ。おまけに豪雪地帯である。山スキーでの山行はかなり困難なものになるかもしれない。けれども、残雪期に楽チン登山するよりはずっと挑戦しがいがあるというもの。なによりも、長年温めていた計画であるがゆえに、思いいれも強い。

 と同時に、十勝幌尻や芦別岳もいいかもしれない。こちらの方がずっと楽。これはのんびり山行の候補でもある。もちろん、芦別は頂上直下はこれまで何回か雪崩が起きている場所。そう、冬山には「易しい」ところなんてほとんどない。厳しいところばかりである。

 さて、どうするか・・・。
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具現の導き手に引かれて

2009年11月24日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・
 何かのきっかけで、急速に意欲がわきたつことがある。ただ、その正体を見極めておかないとそのまま消え去ってしまう。自分のこころのどこの部分からのエネルギーなのか・・・。

 どんなに優しさがあろうと、どんなに親切に振舞おうと、それが単なる自我・・・カルマからの発現であれば、それはほどなく変質してしまうのである。永久にカルマの支配のもとにつき動かされるだけだ。その傾きが自分にはないのかどうか?

 冬山を登る厳しさとは、自らの心の在りようを尋ねるみちでもある。いのちは大切にしなければならないが、それ以上に守らなければならないものもある。その問いかけのうちに歩まなければならない。それが自然と僕の約束でもある。

 なぜ、冬の山が好きなのか?それは、いのちそれとてぎりぎりのなかで知るその尊さであり、なおかつ、それを超えて大いなる存在との対話のときが続くからである。

 しかし、その約束を、その対話を実は日常の生活の中に実現してこそ、人間の価値が生まれてくるのかもしれない。その点でぼくはまだ及第点には届かないのである。

 「あなたはまだ真実を何ひとつわかってはいない・・・」と声が聞こえてくる。けれども、彷徨いながらも、僕は前に進むしかないのである。
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あれから2年・・・

2009年11月23日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・
 そう・・・、今日はあの上ホロの雪崩で日本山岳会の仲間4人が亡くなった日。その日から2年たった。

 そして、さきほどまで「祈りのみち」から、ふさわしい祈りをいくつかこころをこめて読まさせていただいた。
 このようなときは、その方がたの名前を呼びかけるとともに、小さなラップ現象ともいうべきか・・・天井あたりから音が響き、あたかも返事しているかのような状況となる。

 人間は肉体が滅んでも魂は残り、その後も「修行」をつづける存在。この2年間のなかで、どのような人生のふりかえりをし、何に気づかれたであろう。何よりも、暑さも寒さ、痛さなどを感じる世界から離れて、意識そのものになっていること自体が驚きだったかもしれない。けれども、しだいに実はそこが不思議と懐かしく、しかも故郷のような装いをしていることに気づかれたのでは・・・。

 神と人間・・・つまり、あなたとのかつての約束が、そこには確かにあったことを気づかれたのではないだろうか?

 そして、僕自身についていえば、いわば目をあけていながら見ていず、耳をもちながら聞いていず、口を開きながら何もいわず、身体がありながら働きもせずに、盲目にいたことを恥じるばかりである。つまり、あなたたちのことを全く忘れていたのだ。

 静かなる夜も過ぎて・・・。
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上ホロ・・・素描

2009年11月22日 | つれづれなるままに・・・
 上ホロを訪れた。今年は雪も少なく異常気象のあらわれなのかもしれない。
2年前の雪崩現場をいくらか先に見えた。そこから、いくつかの疑問が浮かびあがってくる。これはもう一度自分のなかで整理しなおしてから、触れてみることにしょう。

 各山岳会も氷雪訓練が集中したようだ。そのテントも以前は夏道から富良野岳への屈曲地点あたりが多かったが、今回はその手前の夏道沿いに設営されているものが多かった。これも雪崩の後智慧だろう。
 帰り。上富良野あたりから見る十勝連峰は青空に映えてその神々しいまでの美しさを見せてくれた。

 今、「享ける」ことがテーマなのであろう。注意深く出来事を見つめるとこれが浮かびあがってくるのだ。流すのでもなく、拒否するのでもなく、挑戦するのでもなく、ただただ、「享ける・・・」。そのなかには、埋没するのでもなく、萎縮するのでもなく、盲目になるのでもなく・・・。その根底には、自我からの解放が焦点なのかも。自我・・・自分そのものと思うなかれ・・・すべては環境のなんでかたちづくられたもの。本質ではない。
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愚人として生きる

2009年11月20日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・
 日本山岳会の「道民カレッジ」に行き、なんとやまびこのyoshimさんとnakanさんに会った。予期せぬことで驚いた。

 さっと帰ってきて夕食を食べながらテレビを見ると、「天空の城ラピュタ」が放映されているではないか・・・。

 ふと記憶が蘇った。今からほぼ15年以上前、同じ志を共有する友がいた。また、先輩がいた。東北の花巻だったろうか・・・セミナーに呼ばれて参加した。そのときのエンディングにみんなで歌った曲がこのアニメの主題歌だった。
 「地球はまわる・・・」

 友と先輩は三人とも経営者であり、すばらしい人格の持ち主であり、神理を生きる類まれな実践者であった。今は三人ともこの世にはいない。
 涙をボロボロ流しながら歌った人たちは今はいない・・・。

 なぜ、このときに友のことを思い出したのであろう。妻に、僕があれだけの長電話する友人はいないよね、と言わせしめた友。その遺影はすぐ側の本棚に飾っている。
 思うのだ。そろそろ、この三人の志を受け継ぐときがきたのかもしれない。その遺志を引き継ぐときなのかもしれない。
 
 チャレ チャブルレ チャラグルレ タマーラ

 一人の愚人として、生きる・・・
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もうすぐ2年

2009年11月19日 | 本心・・・真の願いを生きる・・・
 まずは準備完了。
今シーズン初めの冬山。それだけに、集中力と綿密なイメージ。さて、実際はどうだろう?

 山スキーとスノーシューの両方用意してある。どちらでもいいのだが、私的には今回はスノーシューを使ってみたい気もする。

 昨日、プロジェクト集会に出て、ある著名なご婦人と話す機会があった。山とは全然関係のない人なのだが、その名前を聞けば、大方の人は知っていると思う。ぼくも、今回が三回目で、その都度、なんらかの必然性をもって会うことが多い。
 その方も、ぼくをしっかりと覚えてくれていることが嬉しい。しかも、そのときの話の内容もよく覚えていらっしゃる。
 縁の深い方というのは、こういうことなのだろうか・・・。前回の出会いも2年か3年前で、わずか3分少々の会話だけだったのだが・・・。

 そういえば、あの上ホロの雪崩からもう2年たつ。あのときの教訓は充分生かされているのだろうか?過去のこととして、忘れ去られているのだろうか?そうだとしたら、同じ悲劇は繰り返すに違いない。
 そして、それは我々人間の側の受発色にかかっているのだから・・・。
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