東北に甚大な被害をもたらした〈3・11〉の地震と原発事故を契機にした議論を通じてまとめられた、東北にフィールドを構え、あるいはテーマを定めている若い社会学者による論文集である。共通する主題は、〈3・11〉を通じて明確に浮かびあがってきた国家における中央と地方の構造的な問題であり、それを『東京/東北論』として論じている。
個別テーマの報告からなる第1部と、「東京/東北の未来へ」と題する赤坂憲雄と小熊英二の対談による総括の第2部から構成されている。
第1部の個別的テーマの分析報告は、山下祐介「東京の震災論/東北の震災論――福島第一原発事故をめぐって」、佐藤彰彦「全村避難を余儀なくされた村に〈生きる〉時間と風景の盛衰」、本多創史「再帰する優生思想」、仁平典宏「〈災間〉の思考――繰り返す3・11の日付のために」、大堀研「「大きなまちづくり」の後で――釜石の「復興」に向けて」、小山田和代「核燃•原子力論の周辺から描く東京/青森/六ケ所」、茅野恒秀「多様な生業戦略のひとつとしての再生可能エネルギーの可能性――岩手県葛卷町の取り組みを手がかりに」、山内明美「〈飢餓〉をめぐる東京/東北」と続く。
東京と東北の歪んだ関係をこれ以上ないほどに赤裸に露出させたのは、東京電力の福島第1原子力発電所のきわめて深刻な溶融事故である。山下祐介は、その原発事故で見られる構造は地震災害のみならず東北の日常のあらゆる面に存在し、人々を苦しめていると指摘し、それを〈擬似原発論〉として論じようとする。
今回の原発事故は単なるアクシデント(想定外の事故)とはとうてい言い難い、と筆者は考える。東北人は「騙された」のである。そもそも絶対安全などというものは科学的にありえないのだから、それを信じていたのが馬鹿なのだという言い方もあるかもしれない。が、現実的には、たとえ不安は感じたにしても、東北人には信じる以外の道は残されていなかつたのである。それほど、仕掛けられた言説の網の目は堅く巧妙だった。 [山下祐介、p. 25]
プロセスが東京発であること、利益が東京と地方で分配されること、しかし失敗の責任は地方がすベて負うこと、こうした非対称の関係は、今回の原発事故の問題構造とまるっきり同一だ。そしてそこで生じていた、「騙し」の構造もまるっきり同じである。こうしたものを原発に似たもの、〈疑似原発〉と呼ぶなら、疑似原発は、今述べた大規模公共事業やハコモノのみならず、実は地方の暮らしのあらゆるところに潜んでいる。 [山下祐介、p. 29]
そして、原発事故の問題は、原発が安全か危険かなどという科学技術の問題にあるのではない、として次のように結論する。
しかしこの問題の本質は技術の水準にあるのではなく、(地方)自治の水準にある。東京がもたらしてくる計画に内在する虚妄性、絶対大丈夫と無責任に持ちかけてくるものの欺瞞性こそが問われなければならない。マインドコントロールが解け、自立した地方の暮らしが期待できるのならば、そもそも誰も原発など望むはずがない。今後の原発受け入れも、財政的に逼迫し、将来を絶望し、自暴自棄になった自治体のみでしか、起こりえないだろう。 [山下祐介、p. 33]
いわば、東京の植民地経営としての原発立地からの脱却は、東北の自治体の「魂の脱植民地化」によって可能になる、と言うのだ。「魂の脱植民地化」とは安冨歩の『原発危機と「東大話法」』 の中で述べられている言葉 [1] であるが、田中角栄に主導されて植民地経営の如く原発が経済後進地に建設されていく機制は、それに続く著作『幻影からの脱出』 [2] に詳述されている。
強度の放射能汚染によって全村避難を強いられた福島県飯舘村民の抱く不安について、佐藤彰彦は次のように描写している。
……目の前の現実は……放射能汚染の状況や仕事、子どもたちの将来……さまざまな不安材料や制約が村民に選択を強い、対立を生み、これまでの国の対応への疑念が広まっている。
まずひとつは、放射性物質の除染をめぐる問題だ。除染自体は復興に欠かせない作業だが、効果的な方法が確立されていない。したがって、過去の実験結果に対する検証がされないままに進みつつある一連の政策は「土建業者への利益誘導とそれに伴う表面的な経済復興をアピールするものにすぎない」という、主張だ。また、セシウム134の半減期の影響により除染の効果如何にかかわらず2年間で相当量の線量低下が見込まれることから、それを「除染による効果」として世界的にアピールし、国がメンツを保とうと画策していると考える人も少なくない。そして村民がもっとも恐れているのは、当初の帰村目標であるおおむね2年から数年の間に、表向きの除染成功によって仮設住宅や県借上げ住宅などの支援が打ち切られ、就業•雇用問題や健康・疾病対策も解決されないまま長期的な低線量被ばくを伴う帰村を強いられることである。 [佐藤彰彦、p. 77-8]
日常性を喪失した暮らしの中で開かれる住民懇談会は、住民が失われた「民主主義」を問うことから始まったりする。それは、将来の生活に対する不安というよりも、置かれている現状そのもの、肌に直接触れてくる政治状況への絶望として表象されているもののようだ。住民懇談会といいながら、ことごとく住民の意見は拒絶され「国家意志」としての決定の強要の場と化しているのだ。
そして、佐藤は次のように結論する。
明治維新以降、この村は中央を起点とする政治的変革の波及を常に受け身で捉えざるを得ず、現代にいたるまで、日本資本主義のなかでかえりみられることもなく、日本経済のひずみやゆがみからくる打撃のみを被ってきた。福島第一原発事故以降、この村で起きている出来事に直面していると、まさにそうしたひずみ・ゆがみが、政治的•政策的な思惑のもとに繰り返されながら、さらに拡大している気がしてならない。 [佐藤彰彦、p. 82]
放射能汚染、放射能被爆は、また、人間社会におけるきわめて深刻で避けがたい人権に関わる問題を惹起する。本多創史は、水俣病によって生じた被害者としての病者への差別と同じように、東電原発による放射能被爆者への差別(それはヒロシマの被爆者も同じであるが)と、「放射能汚染という事態によって隆起され、人々を激しく動揺させ、混乱させた「優生思想」」 [本多創史、p. 107] について論じている。
優性思想は、深く、解きがたい課題を人々に与える。それは東電福島第1原発事故が惹起した類としての人間の困難、不可能性ですらある。
障害児や先天異常(奇形)児は生まれないほうがよい、生みたくない、という優生思想は、人々の意識に深く浸透しているが日常の生活においてはさほど表面化することはない。一般に、優生思想が姿を現すのは、例えば子どもを授かったカップルのいずれかの親族に障害を持つ人がいたり、あるいは薬害が疑われたりする場合などであろう。障害児や先天異常(奇形)児が生まれるのではないかという「不安」は、ある程度、このように個別の事情によって表出されるか否かが決定されると言える。
ところが、フクシマでは、そうした「不安」が県単位もしくはそれを超えた範囲にまで広がり、観察されているのである。他地域には見られないこの「不安」の広がりこそ、フクシマだけに負荷がかかったことを示すものである。その第一義的原因は、「東京の人」のために電気を作り続けてきた福島第一原発が起こした事故に求められなければならない。つまり、フクシマとは、原発事故による放射性物質の集中的飛散が引き金となり、優生思想が出現した場、である。 [本多創史、p. 119]
このような著作を読む面白さは、明晰な社会分析によって教えられることが多いということもあるが、社会を見通す上でのまったく新しい(私にとって)手法、概念を見出すことができるという点にある。
仁平典宏の著述はその典型のようだ。まず、「〈災間〉の思考」がその一つである。これは、ネオリベラリズムが多用した災「前」の思考を否定するところから出発する。
ナオミ・クラインによると、1970年代以降、市場開放・規制緩和・民営化を進めるネオリベラリズムは、惨事=厄災を利用しつつ一気呵成に進められてきたという。これまで積み重ねられてきた合意や規範が暴力と恐怖によって宙づりにされ、例外状態の中で改革が進められる。その結果、一時期は経済が上向くものの、貧富の格差が増大し社会不安が加速する。クラインはこれを、「惨事資本主義disaster capitalism」と呼ぶが、そこでのメッセージは、「この改革を受け入れないと、目の前に迫るより大きな惨事=厄災に見舞われる」というものである。
この「目前に迫る危機」という発想は、時に熱狂を招き寄せる。「死を思うことにより今ある生を輝かせる」というのは俗流の実存主義的人生論に典型的なものだが、この種の気分は容易に決断主義と結びつく。危機に「断固」立ち向かう強い意志への憧憬、その流れの中で充実した生を燃やすことへの甘美な誘惑――。これは現在の日本では、災後の被災地以上に、遠く離れた大阪において極端な形で現れている。 [仁平典宏、p. 124-5]
そして、「〈災間〉の思考」とは次のようなものだという。
第一に、厄災が何度でも回帰しうるということを前提にする。その上で、それに耐えうる持続可能でしなやかな社会を構想することを求める。
……
第二に、「災間の思考」は、個人に強さを求めない。 [仁平典宏、p. 126-7]
「個人に強さを求めない」ことについて、仁平は弱者(障害者、被害者)が弱者として規定されないような社会構築に論を進める。その理路の中で紹介された「障害学でいう「社会モデル」」が私にとっての二つめの新しい概念であった。
湯浅誠は、貧困を、個人が様々な経済的・精神的なゆとり(=溜め)を累積的に失った状態と規定する。この「溜め」概念は、アマルティア・センの潜在能力(capability)概念のイメージで捉えられることがある。だが、湯浅の「溜め」概念が個人に帰属するものに焦点を当てるのに対し、センの潜在能力アプローチは、障害学でいう「社会モデル」に近い。「社会モデル」とは、障害が個人ではなく社会に帰属していると捉えるものであり、健常者を中心に設計された社会が孕む障害/障壁(disability)こそが、多様なニーズを持つ人々を、「無能力化された人々(disabled people)」にしてしまう。例えば駅に階段しかない場合、車いすの人は「障害者」として表象されることになるが、エレべーターがあれば誰の助けを借りずとも電車を利用することができる。公共施設のエレべーターは人々(妊婦や高齢者、傷病者も含まれる)の潜在能力を引き出す社会資源であり、そのような配慮に充ちた社会を「溜め」がある状態ということができる。………
このように考えると、確かに今回の被災地の多くでは、「溜め」を剝奪され、「貧しさ」を――現在進行形で――押しつけられてきた地域だったと言える面がある。 [仁平典宏、p. 128-9]
障害者は、彼自身の存在のありようによって障害者なのではない。私たちが無自覚に抱いてきた人間概念をベースとして構築された社会システムによって障害者として規定されているのだ。そう考えることは、道に引かれた1本の線の意味を、まったく異なるものとして提示するにちがいない。
大堀研は、新日本製鉄の企業城下町として栄えていた釜石市の新日鉄高炉の廃炉後について、また、小山田和代は、経済後進地として核燃料処理施設を引き受けてしまった青森・六ヶ所村について報告している。そのなかで小山田は女性研究者らしく、次のような興味深い視点を披露している。
一部の推進派には、日本の原子力の推進は途上国の女性を家事労働から救い,自由にするという大きく飛躍した主張もあった。だが、本質的に原子力は関与する人に性的差異を求めるという問題を見過ごしている。つまり、生殖機能への影響から、女性は原子力を管理できずに、一方で男性に放射線の被害を強いるということである。福島の事故は多くの女性を不安に陥れ、家庭環境を崩壊させている。エネルギーの安定供給は利便性をもたらすために女性を家事労働から解放させ、女性に社会参画の機会を提供するかもしれないが、原子力の推進とエネルギーの安定供給についてはまさに疑問が投げかけられている点であるし、ましてや原子力の推進と女性の自由は短絡的な議論で結び付けられるものではない。 [小山田和代、p. 216]
魂を植民地化させつつ東京を受け入れてきた東北は、これからどこへ向かうべきなのか。茅野恒秀はその一つの例示として岩手県葛卷町の取り組みを紹介している。
多くの自治体が推進してきた企業誘致、あるいは独自の企画に見えながら実質は中央資本による事業は、結局、利益のほとんどは東京に吸いあげられ、リスクあるいは事後処理コストを押しつけられることに終わる。そのような企業誘致、事業は本来のその土地特有の産業の1部を犠牲にして遂行されるので、二重のリスク、負担を引き受けざるを得ない。
葛巻町の風力発電もまた事業主体である電源開発がその利益のほとんどを持ち去るのだが、重要なことは従来の葛巻町の基幹産業(酪農や林業)を犠牲にすることなく、むしろ産業の多様化として考え、「地域振興の「起爆剤」「金のなる木」」などと過剰な期待をしない点にある。そのような姿勢を茅野は「きわめて現実的」と評価している [茅野恒秀、p. 249-50] 。
山内明美の論述は、上記のものとは少し毛色が変わっていて、東北の置かれた歴史的状況についてである。たとえばそれは、天皇制における大嘗祭を取りあげる。
天皇の代替わりの最も重要な儀式である大嘗祭の悠紀に、はじめて東北が登場したのは、1990(平成2)年の秋田県である。それ以前には、東北が大嘗祭に伴う斎国に選定されたことはなかった。あえて天皇儀礼という観点から言ってみるならば、天皇の身体の一部へ東北が摂取され、東北が名実共に天皇の領土としての食国になったのは、20年そこそこの歴史なのである。 [山内明美、p. 256]
天皇制を維持する日本という国家における東北の扱いはその程度のものである。六ヶ所村や大熊町・双葉町のように「まつろわなかった」ことはないにもかかわらず、である。
また、次のような記述も目を引く。
宮澤賢治に注目が集まったのは、当時の社会状況の中で、宮澤の生まれ故郷である岩手の農村における疲弊が著しかったことが挙げられる。岩手は、国内で最も貧しい地域のひとつに数えられていた。 [山内明美、p. 292]
そのような東北のありようは、じっさいには「仕事のないたくさんの人々、貧困、止まない自殺……」という形で東京に浸透しているのではないかと、山内は指摘する。そして次のように結ぶ。
東京の中の〈東北〉、東北の中のさらなる〈東北〉。世界に遍在する〈東北〉。〈東北〉は膨張してゆく。それならいっそ、東北から、この〈辺境〉からはじまればいい。
右肩上がりの宴のあとで、人間の基本的な暮らしの中に立ち返る時なのだろう。 [山内明美、p. 297]
まとめとしての赤坂、小熊の対談の中で、小熊はそれまでの議論を受けて、太平洋戦争以前の「植民地と勢力圏を中心としたアウタルキー(自給自足)経済」が敗戦によって破綻した後、国内でアウタルキー経済を目指した時代に東北が「米どころ」になった、と指摘する [小熊英二、p. 315] 。
文字通り、戦後の東北は旧植民地の代替機能を負わされたのである。
原発の問題に関して言えば、次のような小熊の発言に注目した。
とはいえ、ゆり戻しがあっても短期的で、長期的には原発推進はありえないでしょう。
原発というのは、権威主義体制•計画経済の産物であり、工業化時代の産物なんです。アメリカは79年のスリーマイル事故以降新規に原発が建つていないと言われますけれども、じつはそれ以前から立っていない。オイルショックでアメリカの製造業が衰退に向かい、工業化社会から転換したころからです。そのとどめとして、スリーマイルが来てしまっただけなんです。
そのあともつくっていたのは、国策で計画的に推進していたフランス、権威主義体制のロシアや中国などだけです。工業化社会ではなくなったところや、自由市場で民主主義の政治体制のところでは、みんな,止まっている。これから原発は、発展途上国の象徴になるでしようね。
日本でも90年代から製造業が衰退し始めて、もう増設のぺースが落ちていたあと、とどめで事故が来てしまったわけです。経済の自由化も、政治の民主化も進んでいるし、政官財界の「鉄の三角形」も弱っている。たしかに、森喜朗を自民党の総裁に選んだときのような、旧体制の揺れ戻しはありうるでしょうが、長期トレンドとしては無理だと思います。 [小熊英二、p. 321]
これを楽天的と言わずに、確実な推察、事実として受けとっておきたい。そうであって欲しい、という期待を込めて。ただし、当分の間は「ゆり戻し」に悩まされるだろう、とは思う。そして、「当分の間」がどの程度なのか見通せないし、その「当分の間」に多くの人が傷つけられるのではないか、と危惧している。
[1] 安冨歩 『原発危機と「東大話法」』 (明石書店、2012年)。
[2] 安冨歩 『幻影からの脱出』 (明石書店、2012年)。