かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ベルリン国立美術館展 ―学べるヨーロッパ美術の400年』 国立西洋美術館

2012年09月04日 | 展覧会

 大混雑の東京都美術館での「マウリッツハイス美術館展」は、昼過ぎまでかかって見終えた。上野の山を下って遅い昼食、ふたたび山を登り(エレベーターを使ったが)、西洋美術館に向かう。じつのところ、「ベルリン国立美術館展」は明日の予定にしていたのだが、二つの展覧会の対比に少しばかり惹かれての予定変更である。

 ポスターがあからさまに主張するように、「マウリッツハイス美術館展」の目玉はフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》であり、「ベルリン国立美術館展」のそれは同じくフェルメールの《真珠の首飾りの少女》である。「耳」と「首」の勝負なのである。日本人のフェルメール好きはどれほどのものか、想像するのが難しい。
 私もフェルメール好きではあるけれど、あまり煽られないように、できるだけフェルメールに力点を置かないように気を遣って観たし、観るつもりである。

  
  アンドレア・デッラ・ロッビア《聖母子、通称アレッキアの聖母》、15世紀後半、彩釉テラコッタ、
           63×58×9.5 cm、ベルリン国立美術館彫刻コレクション [1]。

 ベルリン国立美術館展の展示は、15世紀の宗教絵画、彫刻から始まる。当然のように聖母子像が多く、その彫刻が3つ並んでいる。そのうちの一つ、アンドレア・デッラ・ロッビアの《聖母子、通称アレッキアの聖母》のマリアの表情の美しさに足が止まる。

 そのすぐ後に聖母子像の絵があって、そのマリアも美しい。西洋絵画には圧倒的な数で聖母子像が描かれていて、それを観る機会も多い。しかし、今日のようにこんなにもマリアの美しさが気になったことはなかったように思う。

       
        ベルナルディーノ・オイントゥリッキオ《聖母子と聖ヒエロムニムス》、1490年頃、
        
テンペラ・板(カンヴァスに移替え)、49.5×38 cm、ベルリン国立絵画館[2]。

 鑑賞の基準が、マリアが美人かどうかなんて、どういう審級なんだ。そんなことをうだうだ考えながら会場を進んで行くと、「わぁ、きれい」という女性の声がする。また、美人の登場である。その女性ではなく、その人の前の婦人の胸像が、である。グレゴリオ・ディ・ロレンツォ・ディ・ヤコポ・ディ・ミーノの《女性の肖像》の繊細な感じが美しい。
 この胸部肖像は、おそらくこの展覧会のもうひとつの目玉らしく、図録には前後左右から撮した写真が併せて5枚も収録されているという特別扱いである。

    
       グレゴリオ・ディ・ロレンツォ・ディ・ヤコポ・ディ・ミーノ《女性の肖像》、1470年頃、
         ストゥッコ、50.5×47×22 cm、ベルリン国立美術館彫刻コレクション [3]。

 《女性の肖像》についての作品解説を見ておこう。

1460年代および1470年代におけるグレゴリオの様式は、デジデリオやミーノ・ダ・フィエーゾレ(1429-1484)の作品と非常に結びつきが強く、彼の理想美はこうした彫刻家に由来する。引き伸ばされた首、強い正面性、眉・鼻・口の明快な輪郭が特徴の整った横顔にそれは顕著である。………こうした胸像は、美しい肉体に宿る有徳の魂、すなわち外見と内面の美しさの関連性をめぐるルネサンス期の主題をよく示している。つまり、こうした形式の肖像は像主の女性の純潔と貞節を讃えているのである。 [4]

 「16世紀:マニエリスムの身体」という彫刻を主とする展示がある。「マニエリスム」も、じつは私にとって分かるようでいて判然としない美術概念である。「ああ、そういうことか」と言葉で理解したつもりにはなるのだが、具体的な作品で「マニエリスム的要素」を峻別できない。そうして、いつのまにか「マニエリスムってなんだ」とすっかり戻ってしまうのである。

       
       アレッサンドロ・ヴィットリア《アポロ》、1550年頃、ブロンズ、高さ28.9 cm、
              ベルリン国立美術館彫刻コレクション [5]。

 アレッサンドロ・ヴィットリアの《アポロ》には、確かにマニエリスムの特徴である「長く延びた人体と、手足の長いプロポーション、そしてさまざまな方向へのねじれや回転を含んだ動きやポーズ」 [6] が顕されている。またまた、作品解説による勉強である。

この「抒情的で繊細なアポロ像」(ヴァイラウフ)を、ブラーニシヒは「ヴイットリアのマニエリスムによる規範」と称した。「マニエリスム時代の“フォルツァート(強制力)”、つまり人物表現を決定的に支配する、様式観念におけるぎこちない形態、装飾的な輪郭線は、ここでは様式主義という言葉とともにその最良の体言者として私たちに立ち現われている」。
 ………
 ベルリンのアポロ像は、その長く伸ばされた、ほっそりとした手足や小さい頭部表現によって、16世紀中頃にヴェネツィア芸術で理想と見なされ、また当時享受された芸術理論において理想的美と広く説かれた、マニエリスム的人物タイプを表わしているのである。 [7]

 いずれ、同じような作品を前にして「マニエリスムってどんなだ」と悩むことになるとしても、一応今日のところは少しだけ「マニエリスム」が分かった、ということにしておく。 

       
        ヤーコブ・ファン・ロイスダール《滝》、1670-1680年頃、油彩・カンヴァス、
                  69×53 cm、ベルリン国立絵画館[8]。

 「17世紀:絵画の黄金時代」の展示では、ベラスケスやジョルダーノの人物画、ルーベンスの歴史(風景)画などビッグネームが並ぶ。しかし、ここではロイスダールの風景画を挙げておこう。《滝》である。マウリッツハイス美術館展にもロイスダールの風景画が数点展示されていた。日頃、ロイスダールは良いと言いつのっているのに、ホッペマの風景画に気をとられてしまって、なんとなく気がかりだったのである。

 ヤン・ステーンもまたマウリッツハイス美術館展で展示されていた。いつものように、物語性がわんさと詰め込まれた風俗画である。カードプレーヤーの喧嘩の様子ではなく、その場所に集う人々の姿形、庭前の様子など、見ていて楽しい。 


   ヤン・ステーン《喧嘩するカードプレーヤー》、1664-1665年頃、油彩・カンヴァス、
              90×119 cm、ベルリン国立絵画館[9]。

 ロイスダールの風景画やヤン・ステーンの風俗画は、いろんな美術館で見かけるような気がする。いつもモティーフは同じなので、取り立ててこの一点というものもないけれど、見慣れたというかよく眼に馴染んでいる。
 これは余計なことだけれども、ロイスダールを初めて観たのはウイーンかどこかヨーロッパの美術館で、そのときRuisdaelを「ルイスデール」と読んで、ずっとそう思い込んでいた。

       
        フェデリコ・バロッチ《《キリストの割礼》のための祈る天使と手の習作》、
          1581-1590年頃、黒色天然石・赤色天然石・白墨・青染紙、
             285×221 mm、ベルリン国立素描版画館[10]。


 最後に、大量の素描が展示されていた。その中の一点、フェデリコ・バロッチの《《キリストの割礼》のための祈る天使と手の習作》は、どこか廊下の壁かなんかに飾れたら素敵だろうと思える作品である。なにより、天使以前の天使というのがいい。
 祈りの手は別として、手だけの素描というのは特別な雰囲気がある。物語を秘めた深い表情があるようでいて、限定的な物語はけっして示されない。存在論的な表情とでもいうのだろうか。ごく最近、アンドリュー・ワイエスの手だけの素描を見たときもまったく同じ感慨だった。

 美術展を1日に二つも見るというのは、意外にきつい。足に来る。

 


[1] 『ベルリン国立美術館展』(以下、図録)(国立西洋美術館/TBSテレビ、2012年)p. 51。
[2] 図録、p. 53。
[3] 図録、p. 101。
[4] シュテファン・ヴェッペルマン(友岡真秀訳)「《女性の肖像》作品解説」図録、p. 100。
[5] 図録、p. 125。
[6] 図録、p. 119。
[7] フォルカー・クラーン(深田麻理亜訳)「《アポロ》作品解説」図録、p. 124。
[8] 図録、p. 167。
[9] 図録、p. 169。
[10] 図録、p. 289。


『オランダ・フランドル絵画の至宝 マウリッツハイス美術館展』 東京都美術館

2012年09月04日 | 展覧会

 すごい人出である。人の列は、地下1階の入口から地上に上がり、さらにぐるりと建物の2辺を囲むように並んでいる。「1時間待ち」ということだ。これもひたすらただひとつの絵、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を観るためである。
 うんざりしたが、仙台に引き返すわけにも行かないので、熱暑の中を並んだ。東京はいつも、人、人、人である、と言いたいところだが、昨日の国立新美術館の「具体」展はとても静かに鑑賞できた。まったく対象的である。

 さて、なかなかその名前を覚えられなかった「マウリッツハイス美術館」のことである。図録には次のような解説がある。

マウリッツハイス美術館の非凡な特色は多岐にわたる。17世紀にハーグ市中に建設され、1822年より美術館のコレクションを収容しているその素晴らしい邸宅は、建物そのものがオランダ古典様式建築の精華といえる。由緒正しいコレクションの基礎は、オランダ総督オラニエ家歴代当主の収蔵品にあり、それが美術館の公式名称である「王立絵画陳列室マウリッツハイス」の由縁となった。南北ネーデルラントで17世紀に描かれた絵画を中心とするコレクションにはレンブラント、フェルメール、フランス・ハルス、そしてルーベンスなどの傑作が含まれる。それに加え15世紀、16世紀の巨匠ロヒール・ファン・デァ・ヴエイデン、ハンス・ホルバイン(子)も名を連ねる。マウリッツハイス美術館を訪れれば、巨匠の傑作はもとより、知名度は劣るにせよ、名匠には変わらぬ画家たちの作品との出会いが待っている。マウリッツハイス美術館のユニークさは、親しみやすい、私邸らしい建物に、きわめて上質のコレクションを収蔵している点にある。 [1]

 展示の構成は、I.美術館の歴史、II.風景画、III.歴史画(物語画)、IV.肖像画と「トローニー」、V.静物画、VI.風俗画という6部から成っている。

 「I.美術館の歴史」は、オラニエ家の肖像画や美術館の建物、その内部の絵画である。

 「II.風景画」では、やはりヤーコブ・ファン・ライスダールの絵が2点含まれていて目を引いた。私の思い込みだが、ライスダールの風景画はいつ観ても「西洋の風景画の典型」のような印象を受ける。同じ風景画家としてサロモン・ファン・ライスダールというヤーコブの叔父に当たる画家がいるということを今日初めて知った。


メインデルト・ホッペマ《農家のある森》、1665年頃、油彩・カンヴァス、88×120.7 cm [2]。

 印象に残った風景画を一点だけ挙げるとすれば、メインデルト・ホッペマの《農家のある森》である。とくに、5,6本の木立の向こうの陽の当たる広場と木陰の明暗が際立った印象を与える。そんなに大きくない絵に、農民や馬、犬などが細密に描写されている。眺めていて飽きない絵である。


  レンブラント・ファン・レイン《シメオンの讃歌》、1631年、油彩・板、60.9×47.9 cm [3]。

 「III.歴史画(物語画)」の部では、レンブラントの《シメオンの讃歌》に強く惹かれた。広く大きな会堂で演じられるドラマを、観客としての私が離れた場所から鑑賞しているような構図である。シメオンと幼子イエス、そして聖母マリアにだけスポットライトが当たっている。高い天井をもつ広い空間に広がる闇はきわめて効果的で、シメオンの讃歌とともにしだいにイエスの放つ光が満ちてくるのではないかという予感さえするようだ。

 次の「IV.肖像画と「トローニー」」の部に《真珠の耳飾りの少女》が展示されている。《真珠の耳飾りの少女》は肖像画ではなく、「トローニー」である、という。「トローニー」と《真珠の耳飾りの少女》について、次のような解説がある。

1665年頃にフェルメールの描いた数点の「トローニー」のなかで、マウリッツハイス美術館を訪れる誰もがお目当てにするこの少女が、最も名高いことに疑問の余地はない。オランダ語で「顔」を意味する「トローニー」は人物の胸から上、あるいは顔を描き、モデルの素性を明らかにするのではなく、ある種の性格のタイプの表現を試みるもので、17世紀のオランダ絵画ではこのジャンルが人気を集めた。少女の理想化された顔だちと風変わりな衣装があいまって、作品は時代の枠を超え、神秘的な性格を帯びる。絵は静寂と調和の気配に包まれ、時の流れがしばし停止したような印象も与える。かすかに唇をひらき、肩越しにこちらを振りかえる少女の視線を浴びて、我々はあたかも少女の夢想を妨げたような気分を味わう。 [4]


左:ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》、1665年頃、油彩・カンヴァス、44.5×39 cm [5]。
右:フランス・ハルス《笑う少年》、1625年頃、油彩・板、直径30.4 cm [6]。

 いまさら、私が《真珠の耳飾りの少女》についてあれこれ言を費やすのは気恥ずかしいくらいのものである。強いて言うことがあるとすれば、フェルメールの中でもっとも好きな作品は「デルフトの眺望」とか「デルフトの小路」のような風景画であり、次に好きなのは「トローニー」に分類される《赤い帽子の女》、《少女》、《真珠の耳飾りの少女》であり、その次に、したたかに物語性を詰め込んだ風俗画群である、という私の好みのことぐらいである。

 フランス・ハルスの 《笑う少年》もまた、小品ながら「トローニー」の傑作である。具体的なモデルをもたない人物画である「トローニー」は、対象の人物にとらわれずに絵画としての美を追究できる。そういった意味では、いったん抽象化作用を経るために、一般化された、あるいは普遍化された人物像に迫ることができているということだろう。

 レンブラントも多くの「トローニー」を描いている。《老人の肖像》は、具体的なモデルが特定されていないものの「肖像画」として扱われている。しかし、この絵の徳は、「トローニー」的感性をつぎ込んで描いたことにあるのではないかと想像している。名声や富、社会的しがらみに拘束されずに人物を描きうること、「トローニー」を描くときには常にそうであったことがこの傑作を生みだしのではないか。

    
  レンブラント・ファン・レイン《老人の肖像》、1667年、油彩・カンヴァス、81.9×67.7 cm [7]。

 「V.静物画」の部では、問題なくアードリアン・コールテの《5つのアンズのある静物》がもっとも強く惹かれた1枚であった。5つという数、枝と葉の配置、壁の色、台の上の光と影、そして何よりもアンズの色。台から転げ落ちそうな不安定感さえ「美」のために必要ではなかったか、と大げさに思ってしまうほど気に入ったのである。「気に入った」というのが私の中のこの美の価値である。

       
         アードリアン・コールテ《5つのアンズのある静物》、1704年、
              油彩・カンヴァス、30×23.5 cm [8]。

 さて、最後の「VI.風俗画」の部では、私の好きなヤン・ステーンの絵を挙げようとおもったが、人物ではなく風景に注目して《デルフトの中庭(パイプを吸う男とビールを飲む女のいる中庭》を挙げておこう。理由は、「フェルメールの《デルフトの小路》の左手に描かれている木戸を開けて入っていくと、この絵のような中庭に出るのではないか」という想像を喚起してくれたためである。

      
     ピーテル・デ・ホーホ《デルフトの中庭(パイプを吸う男とビールを飲む女のいる中庭》、
           1658-1660年頃、油彩・カンヴァス、78×65 cm [9]。

 それにしても、フェルメールの《デルフトの眺望》を所蔵しているのはまぎれもなく「マウリッツハイス美術館」である。それなのに、この「マウリッツハイス美術館展」には《真珠の耳飾りの少女》の絵の手前に《デルフトの眺望》の写真が飾ってあるだけであった。我が家の居間には、額装の写真複製を飾ってあるほど、好きな絵だというのに。
 

[1] レア・ファン・デァ・フィンデ「マウリッツハイス美術館の歴史とコレクション」『オランダ・フランドル絵画の至宝 マウリッツハイス美術館展』(以下、図録)(朝日新聞社、2012年)p. 13。
[2] 図録、p.57。
[3] 図録、p.75。
[4] カンタン・ビュヴェロ、アリアーネ・ファン・スヒテレン「ヨハネス・フェルメール作《真珠の耳飾りの少女》―オランダのモナ・リザ」図録、p.27。
[5] 図録、p.83。
[6] 図録、p.89。
[7] 図録、p.105。
[8] 図録、p.89。
[9] 図録、p.105。