ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎さくらちゃん、いっぱい映ってた

2014-06-26 23:14:15 | HKT48 AKB48
さくらちゃん、いっぱい映ってた

「テレ東!音楽祭」見ました

さくらちゃん、いっぱい映ってたね!

・ヘビーローテーション
○Everyday、カチューシャ
・フライングゲット
○ラブラドール・レトリバー
○メロンジュース
・恋するフォーチュンクッキー

◎存在感があったと

 さくちゃん、さらに強くなったちゃん

◎祈りと脳

2014-06-25 22:57:13 | 歴史 本
◎祈りと脳

「脳科学からみた「祈り」」(中野信子、潮出版社)より抜き書き(趣意)

・人の不幸を祈るようなネガティブな祈り(「呪い」にちかいもの)は、自分自身に悪影響を及ぼす

ポジティブな「よい祈り」は、「脳内快感物質」(「ベータエンドルフィン」や「ドーパミン」や「オキシトシン」など)と呼ばれる物質が分泌され、祈っている当人の脳にもよい影響を与え、幸福感を与える

・敵の成長や幸せを祈るのは難事であるが、敵の失敗や不幸を祈るのではなく、大きな心で相手の幸福をも祈ることができたとしたら、それは「よい祈り」となって、自らの幸福にもつながっていく

「オキシトシン」は愛(いと)おしさの感情を生み出す元になる物質でもあることから「愛情ホルモン」とも呼ばれる

 大切な誰かを思うとき、心がその人への愛情にあふれるとき、脳内にはオキシトシンが多量に分泌されている

 大事な人が幸せになってほしいと祈るとき、脳によい影響を及ぼすものとなっていく

・祈りは、病気の改善・治癒にも大きな力を発揮する
 祈りの結果、脳内に天然の「良薬」が生まれ、副作用が出ることもない

・平穏無事な人生より、困難が次々と襲ってくる人生のほうが、それを乗り越えるたびに深い幸福感を感じることができる

 苦難の連続のような生涯を送った人は、脳科学的に考えれば、その人たちの人生は身の震えるような幸福感に満ちていたはずである

・脳細胞は成人後に新生しないのではなく、大人の脳内でも新しい神経細胞が生まれ、成長していくことができる

・脳を若く保つには、適度に困難な課題を乗り越えていくことが必要

学びつづけることが、脳にとっての幸福である

リーダーがメンバーの成長を願い、日々そのことを祈り、行動していくならば、脳内にはオキシトシンが満ち、幸福感につながっていく

・脳は「利他の行動」で快感を覚える

 人類が生き残ってこれたのは、共に助け合ってきたからである



★私見

 祈りのない人生と祈りのある人生とではどちらがより幸福だろうか?

 祈りによって幸福度が増すのは確かである

 ゆえに、祈りのある人生のほうが幸福である

 誰かの幸せを祈れるということはとても幸せなことだと思います







◎皮ごと食べられるぶどう食べた

2014-06-24 23:32:25 | くだもの
皮ごと食べられるぶどう食べた

「皮ごと食べられるぶどう」(チリ産、種なし、赤)を食べました

・水洗いして、そのまま食べた

 すごく甘くておいしかった!

 まるごと食べるから体によさそう

 皮にはアントシアニンが豊富に含まれているそうな

 フットボールのような形をしているぞな

◎「幸福論(第2部)」より 3

2014-06-23 23:07:54 | 歴史 本
「幸福論(第2部)」より 3

「幸福論(第2部)」(ヒルティ 岩波文庫)より少し抜き書き 3

・高貴の反対は「卑小」「狭量」「小市民的」とか、あるいは、生活の小さな目標だけしか念頭になく、それも自分自身か、自分の身近な周囲だけしか考えないことである

・気高い人間はつねに京楽を超越していて、決してそれに溺れることがない

・贅沢に満足を感ずるのは成りあがり者の特徴である

高貴な魂は、根本的に厭世的な気分に陥ることのないものである

直ちに、最高のものをめざして努力しなさい

 第1に、それは最も確実にして最上のものである
 第2に、それはあらゆる努力目標のうちで最も満足の得られるものであり、その他の目標はすべて多くの苦渋と幻滅とを伴うのである
 最後に、それは同じ勝利の栄冠をめざして人々と競争しながらも、友情と互助とが行なわれる唯一の目標である
 そして君がいよいよその目標に到達したとき、君を迎えるものは、羨望者やひそやかな敵ではなくて、誠実な友人や同志、つまり高貴な魂ばかりである

○私は、キリスト教徒ではなく、この書に書かれているキリスト教的な部分について全面的に賛同してわけではありませんので、そのような部分はさけています
 したがって、抜き書きといっても偏りがあります
 キリスト教徒でなくても大事だと思う部分を抜き書きしています

 しかし、私はキリスト教そのものに対して全面的に否定しているわけではありません

 宗教は人間だけが持つ高度な精神文化というか、人間には必要不可欠なものと考えます