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ビタミンおっちゃんの歴史さくらブログ

STU48 音楽、歴史 などいろいろ

◎「幸福論(第3部)」より 1

2014-07-05 09:55:51 | 歴史 本
「幸福論(第3部)」より 1

「幸福論(第3部)」(ヒルティ 岩波文庫)より少し抜き書き 1

・人間の心にやどる最も深遠な思想や感情は、苦難のなかから生まれる

・力と健康というこの2つの宝は、まったくしごく容易に失われるものであり、絶対に間違いなく衰えるべき運命にある

・この世の最も気高い心根の人であっても、ひたすら愛情にのみ身を委ねるならば、必ずそのために破滅する
 愛情は心の底にしみとおる幸福ではあるが、あらゆるものを破壊する不幸ともなりかねない

・世間の人たちは、自分に都合のよい、信じやすい理屈さえついていれば、どんな空想家の説でもやすやすと信ずる

・どんな人でも、それ自体真実らしくないことを、かず限りなく信じている
 何かを、いや、多くのことを、信じているのでなければ、およそ生きることも不可能だ

・人間は生きる勇気の支えを何かに求めなければならない


◎ヒルティは(神の)「導き」と表現しているが、キリスト教の信仰の功徳ととらえられる部分を少し抜粋します
 これは、宗教の違いにかかわりなく、信仰の功徳と考えれば興味深いものと思います

・しばしば、ちょうど必要な、適当な時期に、書物や、個々の言葉に、ときには人間にも出会うこと

・進んではならない道が、ちょうど茨の垣根をめぐらしたように閉ざされていることもあり、その反対に、大きな困難が突然とりのぞかれることもある

・何事かをなすべき時がくると、前には欠けていた必要な勇気がわき起こってきたり、以前は隠されていた問題の核心が見透せたり、思想や能力や、ときには知識や洞見までも、自分のうちに見いだされたりもする

・事をなすのに、早まりすぎることも、また、手おくれになることもなくなる

・事を行なうのに今までよりもずっと落ち着いた気持ちですることができるようになる

万事について待つことができるようになる

なすべき事が、いつもちょうどふさわしい時に思い浮かぶこと

・正しい時期に、人間が遣わされることもある
 これは、しなければならぬ事なのに、自分からそれをするだけの勇気も決心もまるで起こりそうにないときに、その事を要求し、あるいは命令するためである

◎「幸福論(第2部)」より 4

2014-06-29 05:22:20 | 歴史 本
「幸福論(第2部)」より 4

「幸福論(第2部)」(ヒルティ 岩波文庫)より少し抜き書き 4

生命の継続を信じない者の生涯は、すべて深い悲しみに終るのである

・人の事業は死後に残るとか、「肉体は塵に帰しても、偉名は後世に伝わる」などと考えても、人生そのものの無常はやはり慰められない

死の問題は、すべての人生問題のうち最も重要なものである

 この問題についてのその人の考え方を常に知っておけば、そこから彼の人生観の全体をきわめて明瞭に推定することができるであろう

・死に対する恐怖は、あらゆる哲学のこの上ない試金石である
 死の恐怖に克ちえない哲学は実際的にも、勿論たいした価値あるものではなく、哲学としての目的を十分に満たすことはできない

・もし死後に再び目覚めることはないと仮定しても、現世において再生を信じた者が、その思いちがいによって困るということはない

信仰を抱いている人は、万一その信仰が誤っていても、信仰を持たない人よりも現世でも死後でも不利にはならないし、またその信仰が正しい場合には、いっそう利益をうけることになる

・生命の継続についてのわれわれの希望は、どこまでも1つの希望であって、証明されうる確実な事実ではない
 だが、それは根拠のある確信である
 まず第1に、それは次ぎのような根拠に基づく
 すなわち、人間にはさまざまの素質や能力が与えられているのに、それらを十分に伸ばすには人間の一生はあまりにも短かすぎる
 だから、それらの能力が死後さらに発達するのでなければ、それらは目的のないものになろう

・死によって無に帰することがないとしたら、必ずやそれぞれの人が、その人の本質的に属する要素のなかに生きつづけるであろうし、そしてその要素は、今や反対の性向に妨げられることなく、十二分にそれ自身をのばしきることになるであろう

生命それ自身が突然中断するなどということはありえないことで、生命は必ず存続する


慈悲の心は一般に人間に対する「愛情」と呼ばれているのとはまったく別なものであり、はるかにまさったものである

 またそれは、われわれの本性にはまるで存在しないものであり、学ばねばならぬものであって、しかも普通、後年になって、非常に苦しい道を経たのちに初めて知ることができるのである

・人間の苦しみの大部分は明らかに、純粋に非利己的な、あらゆる感傷をはなれた慈悲という黄金を掘り出して、その鉱滓や混り物をすっかりのぞき去って精錬するという目的を持っているのである

・財産を生活の最大事、努力の最大目標と考えたり、財産の多寡によって人間や身分を測ってはならない

できるだけ金の勘定などしないこと、そして、いったいに職業や生活環境にとって必要な秩序を乱さないかぎり、金銭などに心をわずらわされないこと

・名誉は、多くの人にとって、黄金崇拝と同様に、強い枷となるものである
 名誉をあまりひどく気にしたり、また、人に尊敬を払わせるような高い地位を得たいと心を砕くことは、いずれも心の自由をしばる枷である

・仕事はあらゆる悪から人間を救ってくれる最良の方法であって、仕事がなければ悪はたえずいろいろな仕方で人間をとりかこんで誘惑する

人間は自分のいのちを投げ捨ててはならない


自叙伝も、たいてい、著者の虚栄心によって汚されていて、時には、伝記のなかで最も真実の少ないものとなっている

・人間はその生涯の真の成果を主として自己教育に負うのであって、他人が彼のためにしてくれる一切のものも到底それには及ばないのである

・人間は自分の持って生まれた素質とまったく違ったものにはなれない

青春の夢は軽んじてはならない

 それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、したがってまた、その人の使命とも一致することが多い

決してうしろをふり向かないことである

 最後の瞬間まで力いっぱいの活動を持続することが大切である
 老年期の生活目的は実を結ぶことであって、休息することではない

・どうしたら年をとってもなお若々しさを失わずにいられるか
 それに対する精神的方法として最も大切なものは、「常に新しいことを学び」、とにかく何ごとかに興味を持ち、たえず何か前途の計画を立てていることであろう

◎祈りと脳

2014-06-25 22:57:13 | 歴史 本
◎祈りと脳

「脳科学からみた「祈り」」(中野信子、潮出版社)より抜き書き(趣意)

・人の不幸を祈るようなネガティブな祈り(「呪い」にちかいもの)は、自分自身に悪影響を及ぼす

ポジティブな「よい祈り」は、「脳内快感物質」(「ベータエンドルフィン」や「ドーパミン」や「オキシトシン」など)と呼ばれる物質が分泌され、祈っている当人の脳にもよい影響を与え、幸福感を与える

・敵の成長や幸せを祈るのは難事であるが、敵の失敗や不幸を祈るのではなく、大きな心で相手の幸福をも祈ることができたとしたら、それは「よい祈り」となって、自らの幸福にもつながっていく

「オキシトシン」は愛(いと)おしさの感情を生み出す元になる物質でもあることから「愛情ホルモン」とも呼ばれる

 大切な誰かを思うとき、心がその人への愛情にあふれるとき、脳内にはオキシトシンが多量に分泌されている

 大事な人が幸せになってほしいと祈るとき、脳によい影響を及ぼすものとなっていく

・祈りは、病気の改善・治癒にも大きな力を発揮する
 祈りの結果、脳内に天然の「良薬」が生まれ、副作用が出ることもない

・平穏無事な人生より、困難が次々と襲ってくる人生のほうが、それを乗り越えるたびに深い幸福感を感じることができる

 苦難の連続のような生涯を送った人は、脳科学的に考えれば、その人たちの人生は身の震えるような幸福感に満ちていたはずである

・脳細胞は成人後に新生しないのではなく、大人の脳内でも新しい神経細胞が生まれ、成長していくことができる

・脳を若く保つには、適度に困難な課題を乗り越えていくことが必要

学びつづけることが、脳にとっての幸福である

リーダーがメンバーの成長を願い、日々そのことを祈り、行動していくならば、脳内にはオキシトシンが満ち、幸福感につながっていく

・脳は「利他の行動」で快感を覚える

 人類が生き残ってこれたのは、共に助け合ってきたからである



★私見

 祈りのない人生と祈りのある人生とではどちらがより幸福だろうか?

 祈りによって幸福度が増すのは確かである

 ゆえに、祈りのある人生のほうが幸福である

 誰かの幸せを祈れるということはとても幸せなことだと思います







◎「幸福論(第2部)」より 3

2014-06-23 23:07:54 | 歴史 本
「幸福論(第2部)」より 3

「幸福論(第2部)」(ヒルティ 岩波文庫)より少し抜き書き 3

・高貴の反対は「卑小」「狭量」「小市民的」とか、あるいは、生活の小さな目標だけしか念頭になく、それも自分自身か、自分の身近な周囲だけしか考えないことである

・気高い人間はつねに京楽を超越していて、決してそれに溺れることがない

・贅沢に満足を感ずるのは成りあがり者の特徴である

高貴な魂は、根本的に厭世的な気分に陥ることのないものである

直ちに、最高のものをめざして努力しなさい

 第1に、それは最も確実にして最上のものである
 第2に、それはあらゆる努力目標のうちで最も満足の得られるものであり、その他の目標はすべて多くの苦渋と幻滅とを伴うのである
 最後に、それは同じ勝利の栄冠をめざして人々と競争しながらも、友情と互助とが行なわれる唯一の目標である
 そして君がいよいよその目標に到達したとき、君を迎えるものは、羨望者やひそやかな敵ではなくて、誠実な友人や同志、つまり高貴な魂ばかりである

○私は、キリスト教徒ではなく、この書に書かれているキリスト教的な部分について全面的に賛同してわけではありませんので、そのような部分はさけています
 したがって、抜き書きといっても偏りがあります
 キリスト教徒でなくても大事だと思う部分を抜き書きしています

 しかし、私はキリスト教そのものに対して全面的に否定しているわけではありません

 宗教は人間だけが持つ高度な精神文化というか、人間には必要不可欠なものと考えます

◎飛行機 20 ライト兄弟 12

2014-06-23 19:29:42 | 歴史 本
飛行機 20 ライト兄弟 12

1903年 動力付き飛行機フライヤーの完成

1903年の飛行機

直径2.6mの2枚のプロペラを左右にとりつけ、互いに反対方向に回転させるようにした

 エンジンは下翼の、機体のセンターから右にずらしてとりつけられ、プロペラは鎖歯車とチェーンでエンジンにつながれた

 片方のチェーンだけねじってプロペラを反対方向に回転させる(右のプロペラが時計回り、左のプロペラが反時計回りに回転する)

 プロペラは翼の後方にとりつけられた

 右側が重くなったので揚力を増すために、右翼は左翼よりも約10cm長く作られた

 操縦者は機体のセンターから左の位置に乗る

 エンジンの回転数は毎分1000回で、プロペラの回転数が毎分330回程度になるようにエンジンとプロペラのギア比は23:8とした

○1903年の機体では、翼の前縁は固定され、翼の先端の後縁だけがたわむようになっていて、現代の飛行機の補助翼と同じ機能をもつようになっていた

○こうして完成した動力付き飛行機をライト兄弟はフライヤー(飛行機械)と呼んだ

○ライト兄弟は1903年9月23日、デイトンを出発し25日にキティホークに到着した