城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

◆山田城と深大寺城の幾何学設計

2022-12-12 22:59:46 | 関東の城 ビイスタ工法

◆山田城と深大寺城の幾何学設計

◆関東人

武蔵深大寺城などは古様の

関東城郭で言うイメージ所謂

ふるき郭の印象あがりますが?

天文1537年上杉朝定は難波田

弾正広宗に命じて深大寺城を

増築したとされてますからね!

▼深大寺城 主郭中央ビイスタ

◆長谷川

縄張図などの印象から古様な

る坂東の城の印象を受けます

が私は深大寺城の中核部とは

かなり高い測量技術を用いた

繊細な縄張であると考えてい

ます。本丸には中央ビイスタの

測量痕跡を読み取れまた主郭

副郭にも幾何学的な放射測量

を実施していると感じる城です。

▼深大城扇型ビイスタ工法

◆関東人

おっつと!そんな城郭研究手法

私は生まれて初めて聞く違和感

そして斬新性や研究の進歩性も

同時に感じているところですよ!

希代の城郭研究家とか隠れ氷山

の長谷川氏と一部で評価が高い

長谷川さんから見て関東の城で

高度な縄張技術を感じる関東の

城とは何城なのでしょうか?

 

◆長谷川

栃木県矢板市の山田城です。

この城は寒けがする程縄張の

レベルが高い緻密な城郭です

▼栃木山田城図

◆関東人

違うな!まったく私の感性主観

と長谷川さんの主観と切り口が

異なりその意見の断層に驚く!

例えば栃木山田城に中央から

計測した縄張技術あるのかね?

 

◆長谷川

山田城にも深大寺城にも両城

中央ビイスタが存在致します。

▼深大寺城 中央ビイスタ

▼山田城 中央ビイスタ

◆関東人

しかし山田城は原形を欠損

してるし 両城の縄張自体

が類似してるとは考えられな

い研究視点と言うかアンタの

平面図形咀嚼力がスゴイよ?

まあ構図的には類似してる。

◆関東人

まさかまさか?山田城には扇型

ビイスタ工法なんてシヤレた技

使ってないよね!?山田城は

俺なんかスゴイ城の部類には

入ってねえんだよなこの城は

 

◆長谷川

いいえ

北赤色ビイスタ

南黄色ビイスタ

とかなり巧妙な

設計技術です。

◆長谷川

これ相対型ビイスタと言います。

◆関東人

もうそれでビイスタは無いよね?

◆長谷川

いいえ

それが

東西からも赤青で測量して

内郭を縄張しておりまして

山田城には中央ビイスタ1

相対型ビイスタを複数で

使っていると言えますね。

下総根戸城のビイスタ工法

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我孫子市の優れた縄張の城2城

2022-12-12 22:15:01 | 関東の城 ビイスタ工法

◆電話連絡者の声

突然気付いた事を電話します。

日本や海外の歴史学者と遺跡

に同道してもだれもこの遺跡

はどの様に設計測量された事

を解説する人は皆無なのです。

しかし長谷川先生と遺跡へと

到着すると遺跡の設計ライン

ビイスタが存在しますと淡々

と飄々と解説される事が普通

だと思ってました。ところが

私は大変な事に気付いた遺跡

の設計測量点を解説してくれ

る熱心な学芸員や学者さんは

皆無に近い事、そう考えると

城郭ビイスタ論が如何に人類

の歴史にとり重要重大な事か

と突然事の重大さに気付いた!

 

◆長谷川

興奮しないで下さい。私個人

にとってビイスタ論は城や庭

や遺跡を考える時普通の基本。

 

◆対談者

長谷川先生の城郭ビイスタ論は

①広範性、地域や国に関係なく通用

②普遍性、時代や地域関係なく通用

③設計論、土木建築プラニング解明

に優れた理論である事が判明して

参りました。動画再生数も4000回

を超える破竹の勢いに驚いてるわ

こら令和の城郭「新研究」の本命。

 

◆反論者

城郭ビイスタ論なんぞ絶対見るな!

城郭学とは保守的閉鎖的を最善と

する事が鉄則だ!学問の進歩など

してはならん!俺こそが権威だぞ!

 

◆質問者

さて今回は関東地方我孫子市に存在

する遺跡には先生の城郭ビイスタ論

が適応通用するか是非我孫子市の更

る発展祈念も含め解析して下さい。

◆長谷川

先ず初めてブログ御覧になる

方の図の各種測量方法一覧表

を見て下さい。先ず最初には

我孫子市羽黒前遺跡の城館跡

の図面を御覧下さい方形居館

と書かれていて多くの歴史好

家の方は正方形に設計された

城館と文字解釈誤認してしま

う事が多いです。本当に正方

形か考察検証する事が重要。

▼我孫子市 羽黒前遺跡図より

◆長谷川

日本の織田信長の城郭安土城

は扇型のビイスタ工法で縄張

しています。▼近江国安土城

▼近江国 安土城

◆長谷川

同時代にインドで築城された

アーグラ要塞も扇型ビイスタ

工法を用いて築城されてる。

世の古今東西の城は測量に

よって形成されております。

日本では縄張と言い

中国では経始と言い

西欧でプランニング

と表現しております。

▼インドのアーグラ要塞

 

 

◆質問者

我孫子市の羽黒前遺跡図の城館

ビイスタ工法を使ってますか?

 

◆長谷川

測量起点を設けて繊細に放射状

に縄張しています。下図は別の

方向からも扇型に縄張してます。

 

◆みんな

オーツすげえな!城郭ビイスタ

論は我孫子市でも的中している。

如何にこの理論がスゴイのか!

 

◆質問者

扇型の縄張を重複させたビイス

工法を読取る事も可能ですか?

 

◆長谷川

下図の如く赤と青の重複ビイ

スタ工法を読取る事が可能!

◆城郭愛好家

連郭式縄張  梯郭式縄張
輪郭式縄張  並郭式縄張
渦郭式縄張  階郭式縄張
円郭式縄張  群郭式縄張

とは違うまた新しい城郭

分類定理が城郭ビイスタ

論と言う事を知りました。

50年城研究して初めて知

る新知見に驚きを隠せず

 

◆質問者

我孫子市には根戸城なる

優れた縄張の城があるが

この城にもビイスタ工法

が該当し通用しますか?

▼我孫子市 根戸城図

◆長谷川

扇型ビイスタ工法が存在します。

◆みんな

素晴らしい!城郭ビイスタ論とは

本物の新しい令和の城郭理論だよ

長谷川先生は本物の研究家の証!

 

◆長谷川

遠隔型ビイスタ工法も存在します。

◆長谷川

重複型ビイスタも存在します。

根戸城は様々な城郭築城技巧

を駆使して築城された城郭!

 

◆一般者

長谷川先生の城郭ビイスタ論は

①広範性、地域や国に関係なく通用

②普遍性、時代や地域関係なく通用

③設計性、土木建築プラニング解析

など優れた特性をもつ城郭理論です。

長谷川先生と先生の理論を理解され

咀嚼されている知性ある理解者の方

々には敬意を払います。

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比企郡 杉山城 小倉城のビイスタ工法

2022-12-12 22:08:59 | 関東の城 ビイスタ工法

▼日本 秋田城 ビイスタ

▼渤海国 クラスノキ土城 ビイスタ

◆対談者

いやはや日本国の秋田城

渤海国の城の比較研究論

として城郭ビイスタ論を

用いられた意義が大きく

巷間では大反響です何と

言う希代の研究家だろう

と驚愕する人々多数です。

◆対談者

私城郭通と豪語してましたが

日本国の城郭が以下様式にて

測量されていた事などは全く

知らなかった事が現実です!

◆一般者

織豊時代=織田信長/豊臣秀吉

織豊といいますが天下制覇を

目前にした織田信長の安土城

にビイスタ工法がある事に私

は仰天した長谷川先生の学問

の視点や切り口は常人と異な

ると一種の衝撃を受けました。

▼安土城 ビイスタ工法

◆長谷川

織豊政権の仕上げととも

言える太閤秀吉つまりは

豊臣秀吉の肥前名護屋城

もビイスタ工法なのです。

▼肥前名護屋城 ビイスタ工法

◆関東様

関東第一、東国随一の傑作

縄張の城郭、武蔵比企埼玉

の杉山城をビイスタ解説を

された投稿の時も読者の皆

は長谷川先生の非凡さや

城郭遺跡の測量的観点から

見た優れた杉山城論を語ら

れて関東では話題の嵐です。

▼武蔵 杉山城ビイスタ工法

◆関東様

今回は埼玉県比企郡小倉城

にもビイスタ工法があるか?

是非とも御指導教示願います!

 

▼以下ウイッキペデイアより引用

「小倉城(おぐらじょう)は、埼玉県比企郡

ときがわ町にあった日本の城山城)。戦国

時代の関東の城では珍しい石塁を随所に用い

ている。城主は、後北条氏の重臣であった

遠山光影とする説と松山城上田氏とする

説がある。主郭の発掘調査では染付、天目片

等が出土、基づく城跡の年代推定は16世紀で

ある。」

 

◆反論者

城跡ってのは自然地形です!

そんなビイスタ工法などは

存在しません!自然地形だ!

▼比企郡小倉城測量図

◆長谷川

確かに山城が築城される以前

は自然山尾根つまり自然地形

です。しかし城郭は「地取り」

をして人工的に削平や土塁や

堀切や竪堀を人為的に測量的

に人工的の工事を施した土木

工事の跡が『城郭遺跡』です

「自然地形」と「人口地形」

これをセパレーション分離し

て看破分析出来る城郭遺跡観

察力をつまり遺跡を見る力量

をスキルアップさせる事こそ

現代日本の城郭研究に必要な

事案だと考えています。否定

から入れば検証する考察する

人間本来の分析力は発揮され

ませんセパレーション分離は

わきまえる事「分析」です。

この比企小倉城非常に縄張

技巧に優れた城郭遺跡です

幾何学測量を用いて竪堀、

堀切、土塁、曲輪を緻密に

幾何学配置しております。

①②③とビイスタ工法腺を

つまり測量腺が読み取れま

す城は人口的構築物にして

土木測量の技術を駆使して

築城された人工物と言う認

識持つ事が重要と思います

ざつくり、アバウト、適当

に作られてはいません城郭

は戦乱から身を護る機械で

あり機構であり施設ですよ

 

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彦根城天守と備中松山城天守の正しい正面 彦根附け百閒橋の謎

2022-12-12 17:35:51 | 城址見学会予定 

◆長谷川

この投稿は最後まで是非

宜しくお読みください。

 

◆対談者

情報によりますと令和四年

12月17日毎日彦根城周辺を

常時散歩している方も彦根

城解説に参加されるとの事

 

◆反論者

ふん!何が城郭ビイスタ論だ!

ふん!何が城郭講師長谷川だ!

俺は城郭の道に入って50年だ!

城郭Vista論動画なんぞ絶対に

見てはならん絶対に見るなよ!

◆対談者

『城郭ビイスタ論』動画視聴数

が本当にジリジリと日本中の人

を粘り強く引きっけています!

 

◆一般者

兜の正面の前立ては誰もが知る

天守正面もシャチホコ見える事

これ日本人の常識日本人の基礎

    正面▼          正面▼

◆質問者

彦根城天守って東から見ると

粋さな櫓にしか見えないわ?

◆世話人様

もっと素朴素直に歴史や

戦国史を学びましようよ!

兜の前立てや鍬形は日本

人ならどちらが前か必ず

わかりますこれ常識です!

お城の天守閣シヤチホコ

2対が見える場所がこそ

が天守閣正面だと誰もが

当然知ってる訳ですね!

彦根城なら当然これが

彦根城の顔で正面です。天守閣

シヤチが見える場所が城の正面

◆長谷川

当然の事と言えば当然の基本で

この方向から見た天守こそ

荘厳重厚だと言えますね。

楼閣自体もその景観十二分

に計算したビイスタ工法!

スワリと言う安定感が抜群

◆長谷川

下図正中腺は中央の赤線です。

この正中腺に彦根城天守閣が

位置決めされおります。天守

は東西11間南北7間の専門的

に言うなら南北から彦根天守

を見て栄えがするように設計

してる『南北栄え』の天守閣

なのですよ。この見栄えこそ

ビイスタと言う意味ですよね。

◆長谷川

 青腺の彦根城大手門口の橋も

必ず斜向して設計されています

ビイスタ設計に従っています。

何故?大手門口の橋が斜向して

るのかもこの理論で解るのです。

◆反論者

 素人のくせしやがって生意気だ

長谷川理論なんぞ誰も聞かんわ

◆世話人様

そうですか?正直純粋真面目な

全国の方々がビイスタ論動画を

次々とビイスタ論動画見始めて

既に4700回の予想外の視聴数を

見てらっしやる令和の城郭とは

城郭ビイスタ論が日本全国地域

の各地城郭に存在する事ですよ

中国や海外の城さえビイスタ論

は通用する『世界城郭通用論』

なのです▼中国南京城ビイスタ

▼ギリシャ ミーケネ城のビイスタ

 

▼彦根城ビイスタ

◆長谷川

彦根の松原内湖側からも

城郭ビイスタ構造がある。

玄宮園その為に扇型です。

勿論北から天守閣望んで

もバッチリ鯱が見えます

格段の重厚な景観ですね!

◆質問者

松原内湖のどこから天守を

ば臨んだのでしょうか?

 

◆長谷川

百閒橋より天守閣を見た事

でありましよう。

 

◆質問者

百閒橋とは真っすぐな橋では

有りませんでした不思議です?

◆長谷川

彦根浜御殿「元松原城」

松原屋敷から百閒橋見事

なるビイスタ設計応用し

て左から石ケ崎町、大洞

弁財天、後の彦根龍潭寺

元芹川河口、船町などを

ビイスタ設計したものだ

と思います。従って百閒

橋もビイスタ設計です。

都市計画町割りなのです。

◆長谷川

百閒橋は重複型ビイスタ理論

の手法で町割りが設計された。

◆みんな

すげえ!ビイスタ論すご過ぎ!

◆質問者

備中高松城天守閣は最上階にも

一階屋根にも天守があります?

これはどちらも正面と言う事?

◆長谷川

当り前の基礎知識なのてすが

殿閣仏閣の起源はとして鯱の

起源は「しび」と呼ばれます

ですから鯱が見える方が基本

として建物の正面なのです。

◆質問者

備中松山城の天守や二重櫓

は赤線から見た方が立派に

見える事でしょう、従って

この方向に城郭ビイスタが

存在したと、私は読み解き

ます。自分はそう思う事こ

そが歴史解釈に自分を持っ

事なのですよ。私は世の中

の流れには流されない確固

とした良い意味の自我確率!

◆長谷川

素晴らしい「柔軟性」と

「応用力」を私の見学会

や講座に参加して身に付

けられました自己確立!

備中松山城には見事な

城郭ビイスタが存在する

のです。備中松山城石垣

はこの様にビイスタ工法

で設計縄張されたと冷静

に遺跡を観察する事大事!

◆みんな

すげえ!ビイスタ論すご過ぎ!

やっぱりビイスタ論は正論だ!

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関東屈指の中世城郭 滝山城のビイスタ工法

2022-12-12 14:06:28 | 関東の城 ビイスタ工法
◆関東屈指の中世城郭 滝山城のビイスタ工法
 
◆ゆさ ひでお
今朝早朝このブログを見て私は
投稿内容の様な城郭ビイスタの
理論を図書で学んだ事がないの
で自分の所持している城関係の
本午前中に75冊全部読み返して
城郭ビイスタ論を調べても全く
存在しない。これは一種SF投稿
幻想投稿かなと思い再度ブログ
の図面の細部チェツクしました
ら全く的を得た事を書いておら
れる事に驚愕しました私は縄張
図も書けるし城の講師もする事
もあるがしかしこんな理論初め
て知って驚いていますが一体誰
からこのビイスタ工法を学びま
たか?
 
◆長谷川
ゆさ 様コメントを賜り感謝を
致します。書籍にも図書館にも
書いてない事は当然現地の城址
が親切に誠意的に私に教えてく
れます。私は城を城自体から学
びました。昆虫学者や魚類研究
家も必死に昆虫を魚類を観察す
る事が基本です。図書館の蔵書
何千冊読んでも書いていない事
は現地の城跡から私に率直に教
へてくれた事です。コピー模倣
や物真似はコピー機や写真機に
まかせておけばよい事でしよう。
自分は城の何を研究してるのか
自分自身に気付けばよい事です。
それに気づかないと城の本何万
冊も読み古城に一万城行ったと
てもただ城を通過しただけの人
なるのではないかと思います?
 
 
◆対談者
武蔵守護代大石氏また後北条の
北条氏照の関東武蔵 滝山城の
ビイスタ工法是非とも御教示下
さい。またこの城は武田信玄の
攻撃をも退けた名城と聞きます。
 
◆長谷川
規模の大きな中世城郭ですから
ビイスタ解明は難解と思います
 
▼武蔵滝山城図
◆対談者
 江戸時代城郭測量指南書に
以下の様に紹介されてますが
中世城郭滝山城も複数放射状
測量技術「ビイスタ工法が
存在するのでしょうか日本の
城の根源のルーツや奥義など
深い部分を知りたいのです。
武蔵江戸城
◆長谷川
滝山城は中世城郭においてさえ
最初から難しい事を言いますが
トリプルビイスタ読み取れます
◆長谷川
様々な角度からビイスタ測量
をした痕跡も読み取れます。
◆坂東太郎様
このような幾何学的理論に基い
た城郭研究手法を初めて知って
正直私は動揺を隠せませんよ!
こんな研究手法って昭和平成に
も無い新しい令和の研究手法!
 
◆対談者
城郭ビイスタ論話題継続です。
動画視聴数は4700回を超えて
います。重要な城郭理論です。
◆長谷川
城跡は丘陵上の関東ロームの
土質の城で非常に巨大な城郭
遺跡です。先ず中央ビイスタ
型の痕跡が読み取れます。
 
▼中央ビイスタ型縄張 武蔵滝山城
 
◆長谷川
二ノ丸形状は以下の中央ビイスタ
型縄張で位置決めされております。
 
◆みんな
これスゴイ理論だよ!驚きます!
次は扇型ビイスタ工法ですが
導入路や虎口に配慮してます。
▼扇型ビイスタ工法
 
これも扇型ビイスタですが二之丸
の形状や三之丸導入路の縄張位置
をも決定しているようです。
◆質問者
三之丸や家臣屋敷への城道の
縄張のビイスタを御教示を!
 
◆長谷川
見事な扇型ビイスタ工法駆使
して縄張をしております。
 
 
◆長谷川
関東の名城のビイスタを紹介します。
 
▼真壁城ビイスタ工法
 
▼武蔵杉山城ビイスタ工法
 
 
▼相模大庭城ビイスタ工法
 
▼上総 坂田城 Wビイスタ工法
 
 
▼後北条氏 山中城 西櫓
 
▼水戸城ビイスタ工法
 
▼高崎城 ビイスタ工法
 
▼武蔵 勝沼城ビイスタ工法
 
▼武蔵 深大寺 城ビイスタ工法
 
▼武蔵 川越城 ビイスタ工法
 
▼武蔵 松山城ビイスタ工法
▼同上 武蔵松山城ビイスタ工法
▼滝の城 ビイスタ工法
 
 
 
滝山城 以下ウイッキペデイアより引用

多摩川秋川の合流点にある加住丘陵の複雑な地形

を巧みに利用した天然の要塞で、関東随一の規模を

誇ったという。現在、遺構として本丸・中の丸・

空堀竪堀虎口曲輪土橋土塁竪堀

曲輪などが残っており、国の史跡に指定され

1951年昭和26年)6月9日指定)。大部分が

東京都立公園滝山自然公園」となり桜の名所

であるが未だに私有地もあるので公園化されない

部分が多いのも現状である。遺構の保存状態が

よく、かつそれがわかりやすいため、中世城郭の

最高傑作とも言われている[要出典]

コメント (2)
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