◆長谷川
この投稿は最後まで是非
宜しくお読みください。
◆対談者
情報によりますと令和四年
12月17日毎日彦根城周辺を
常時散歩している方も彦根
城解説に参加されるとの事
◆反論者
ふん!何が城郭ビイスタ論だ!
ふん!何が城郭講師長谷川だ!
俺は城郭の道に入って50年だ!
城郭Vista論動画なんぞ絶対に
見てはならん絶対に見るなよ!
◆対談者
『城郭ビイスタ論』動画視聴数
が本当にジリジリと日本中の人
を粘り強く引きっけています!
◆一般者
兜の正面の前立ては誰もが知る
天守正面もシャチホコ見える事
これ日本人の常識日本人の基礎
正面▼ 正面▼
◆質問者
彦根城天守って東から見ると
粋さな櫓にしか見えないわ?
◆世話人様
もっと素朴素直に歴史や
戦国史を学びましようよ!
兜の前立てや鍬形は日本
人ならどちらが前か必ず
わかりますこれ常識です!
お城の天守閣シヤチホコ
2対が見える場所がこそ
が天守閣正面だと誰もが
当然知ってる訳ですね!
彦根城なら当然これが
彦根城の顔で正面です。天守閣
シヤチが見える場所が城の正面
◆長谷川
当然の事と言えば当然の基本で
この方向から見た天守こそ
荘厳重厚だと言えますね。
楼閣自体もその景観十二分
に計算したビイスタ工法!
スワリと言う安定感が抜群
◆長谷川
下図正中腺は中央の赤線です。
この正中腺に彦根城天守閣が
位置決めされおります。天守
は東西11間南北7間の専門的
に言うなら南北から彦根天守
を見て栄えがするように設計
してる『南北栄え』の天守閣
なのですよ。この見栄えこそ
ビイスタと言う意味ですよね。
◆長谷川
青腺の彦根城大手門口の橋も
必ず斜向して設計されています
ビイスタ設計に従っています。
何故?大手門口の橋が斜向して
るのかもこの理論で解るのです。
◆反論者
素人のくせしやがって生意気だ
長谷川理論なんぞ誰も聞かんわ
◆世話人様
そうですか?正直純粋真面目な
全国の方々がビイスタ論動画を
次々とビイスタ論動画見始めて
既に4700回の予想外の視聴数を
見てらっしやる令和の城郭とは
城郭ビイスタ論が日本全国地域
の各地城郭に存在する事ですよ
中国や海外の城さえビイスタ論
は通用する『世界城郭通用論』
なのです▼中国南京城ビイスタ
▼ギリシャ ミーケネ城のビイスタ
▼彦根城ビイスタ
◆長谷川
彦根の松原内湖側からも
城郭ビイスタ構造がある。
玄宮園その為に扇型です。
勿論北から天守閣望んで
もバッチリ鯱が見えます
格段の重厚な景観ですね!
◆質問者
松原内湖のどこから天守を
ば臨んだのでしょうか?
◆長谷川
百閒橋より天守閣を見た事
でありましよう。
◆質問者
百閒橋とは真っすぐな橋では
有りませんでした不思議です?
◆長谷川
彦根浜御殿「元松原城」
松原屋敷から百閒橋見事
なるビイスタ設計応用し
て左から石ケ崎町、大洞
弁財天、後の彦根龍潭寺
元芹川河口、船町などを
ビイスタ設計したものだ
と思います。従って百閒
橋もビイスタ設計です。
都市計画町割りなのです。
◆長谷川
百閒橋は重複型ビイスタ理論
の手法で町割りが設計された。
◆みんな
すげえ!ビイスタ論すご過ぎ!
◆質問者
備中高松城天守閣は最上階にも
一階屋根にも天守があります?
これはどちらも正面と言う事?
◆長谷川
当り前の基礎知識なのてすが
殿閣仏閣の起源はとして鯱の
起源は「しび」と呼ばれます
ですから鯱が見える方が基本
として建物の正面なのです。
◆質問者
備中松山城の天守や二重櫓
は赤線から見た方が立派に
見える事でしょう、従って
この方向に城郭ビイスタが
存在したと、私は読み解き
ます。自分はそう思う事こ
そが歴史解釈に自分を持っ
事なのですよ。私は世の中
の流れには流されない確固
とした良い意味の自我確率!
◆長谷川
素晴らしい「柔軟性」と
「応用力」を私の見学会
や講座に参加して身に付
けられました自己確立!
備中松山城には見事な
城郭ビイスタが存在する
のです。備中松山城石垣
はこの様にビイスタ工法
で設計縄張されたと冷静
に遺跡を観察する事大事!
◆みんな
すげえ!ビイスタ論すご過ぎ!
やっぱりビイスタ論は正論だ!
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