チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

関西弁の主

2005-10-06 23:14:02 | 大切な人
 人が育つ場面に立会うこと、そして人が育つのを実感することは私にとってたいへんな喜び。私だけでなく教育にたずさわっているものは皆そうだろうと思う。
そして、教育という言葉を意識していてもいなくても、全てのリーダーは皆こんなことを喜んでいると思う。

 電話の向こうから聞こえてきた懐かしい関西弁は、私にそんな経験をさせてくれた人。

 私がその人に会ったのは6ヶ月前。営業の最前線でたいへんな実績を挙げているいる人だった。
人の印象は数秒で決まるというが、ほとんど瞬間的に、その人がとても親しみがもて、人間味があり、そして信頼できる人だと感じることができた。営業の最前線で多くの人を直接動かして、成果をあげる一流のリーダーであることを感じることができた。

 その一方で感じたことは、表現は難しいが、何か自分に枠をはめているような感覚だった。リーダーという点でとらえると、もっと素晴らしいリーダーになる可能性があるのに、それに枠をはめているように感じた。

 このリーダーの成長にとって私が役にたてると感じ、それから毎月このリーダーに、他のリーダーとともに学ぶ場に来てもらった。

 最初は、それこそ自分自身にはめた枠やいろいろな遠慮からか、もてる力を十分に発揮できず、受身でいるように見えた。それが環境になれるに従って、またさまざまな知識を得て他のリーダーと交流するに従って、次第にリーダーとしての実力を見せ、それが強化されているように感じられるようになった。

 本質を見抜きシンプルにものごとをとらえる思考力、何が大切か自分はどうしたいのかを瞬時に迷わず判断する意思決定力、正しいと思ったことをすぐに実行する行動力、そして常に前向きで楽しい雰囲気をかもし出す人間力、これらはもともと持っていたものではあると思うが、それらに磨きがかかっていった。ともに学ぶリーダーに強い影響力を発揮するようになった。

 さまざまな領域のリーダーが集う研修という学びの場は、ある面非日常的な場かもしれない。そこで得られるような学びや、自分の発言に対する周囲からの反応といったものは、日常業務の場でなかなか経験することができない。

 日常業務に戻ると、自分自身は成長したはずなのにそのことが疑わしく思えたり、現実に繰り広げられる泥臭い場面の中で、いつしか学びを忘れてしまう。
「あれは研修の場だけの話、現実には通用しない」と思ったりもする。
 
 でも、きっとここがより素晴らしい本物のリーダーになるか、これまで通りのリーダーでいるかの分かれ道のように思う。

 本物のリーダーは決して学びを無駄にせず、どのように活かせるかを模索する。現実は確かに厳しいから、上手くいかないこともあり失敗することも、転ぶこともあるかもしれない。でも決して転んでもただではおきあがらない、より素晴らしいリーダーになって起き上がってくる。そう私は思っている。

 関西弁の声の主は、今こんな現実に立ち向かっている。新しい環境で、どのように周囲に影響を与えられるのか、それまでよりも広い範囲の人に、立場の違う人に直接に影響を与えるだけでなく、間接にそしてさまざまな仕組みを使ってどのように影響を与えられるのかを試されている。

 こんな状況の中で、このリーダーは以前に比べると少し元気がなかったように感じた。

 でもこのリーダーは現状にとどまる人ではない、かならず現状に変化をおこし、さらに素晴らしいリーダーになる人。
このリーダーと一緒にいる時間を過ごした多くのリーダー達が疑っていないように私はそのことを全く疑っていない。