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チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

教えることは学ぶこと

2005-04-12 23:27:40 | 気づき
 「人に教える機会を持つことは、自分自身が学ぶ上でとても有効な機会になる」ということを昨日、今日とあらためて実感した。

 今回は、新入社員を対象とした研修の講師。170人を前にして話すのはとてもいい経験になる。

 昨年に引き続いての経験だが緊張していないと言えば嘘になる。でも心地よい緊張感で、ワクワクした感覚がある。

 同じ内容を1度ではなく2度できるというのも大変いい。1度目に上手くいったこと上手くいかなかったことを2回目にいかせる。といっても私の場合は1度目に向けての努力も2度目に向けての努力も少し足りない。

 今回一緒に講師を務めるエバタさんやヨッシーはとても頑張った。エバタさんは原稿を丸暗記するくらいまで頭に入れている。それに刺激を受けたヨッシーも2度目では、原稿を見ずに話していた。
これまで何度も見てきた、人が話をするのを聞いてきた内容だが、あらためて自分が話をするためにたいへんな勉強をしたようだ。教えることは学ぶことだ。これがとても大切だ。

 他にも、プレゼンテーションについて私自身学びがあった。プレゼンテーションの上手い下手はその内容そのものや技術で決まる部分も大きいが、プレゼンテーションする人の気持ちも大切だ。
自分に自信を持つとともに謙虚な気持ちを同時に持つ。自分の熱い気持ちを伝えたいという思いと、相手に理解してもらえるやり方(声の大きさ、抑揚、速度、口調)を考える。他にもいろいろあると思うが、こんなバランスが大事だと今回あらためて感じた。

教育に目覚める

2005-04-07 21:37:18 | 気づき
 教育に興味の無かった人間が教育の大切さを実感している。

 会社の業績が悪くなると真っ先に削られるのが教育費用。そして業績が低迷している企業が教育予算を増やすということは珍しい。まずは儲けることに専念し、儲けた後に教育費用を増やすというのが一般的なようだ。

 私の組織は少し違っていた。業績が低迷している時に、それまで実施していなかった教育、しかも多額の費用がかかる教育を始めた。この教育にはお金だけでなく時間もかかるが、トップマネジメント自らがこの教育のために自分の時間を費やすとともに、マネジメント層を巻き込み、全社員をこの研修に巻き込んだ。

 教育担当者として、とても重要な取組に携っているとの意識はあったものの、「やめてしまえ」という人が2人に1人いる状況では心の葛藤も大きく、「私は本当に正しいことをやっているのだろうか」と悩むこともしばしばであった。

 もともと私は教育には興味がなかった。教職課程をとったが、教育に興味があったわけでなく教育実習に行きたかったからだ。現在の教育部門に異動したのも、教育に興味を持ったからではなく組織に変革をおこせる機会があると思ったから。 

 でも今は少し確信めいたものがある。教育は即効性のあるものではないが、しっかりとした教育はあとでじわじわ効いてくる。大切な教育、中身のある教育を続けることが組織を変革する上でとても大切だ。

朝型か夜型か

2005-04-05 21:12:00 | 気づき
 「私は夜型」
 「私は朝型」

 勉強や仕事をする時に夜か朝のどちらでやるのが得意かは人によって違うようだ。そして夜型か朝型のどちらになるかは朝起きるのが得意がどうかで決まっている。朝起きるのが得意な人は朝型の場合が多い。

 「考え事をする時に、夜考えると真剣になり過ぎる。朝考える方がごちゃごちゃ考えないからすっきりとした答えがでる」と話す友人もいる。
 
 私もこの考えに同意する。夜11時から考えるよりは、その分早く寝て朝5時に起きて考えた方がよい場合もある。夜はいろいろなことを考えすぎてしまったり、熱くなりすぎることあるからだ。また意識が集中しにくいこともよくある。

 「試験を受ける2時間前におきないと頭が十分に働かない」という話をよく聞く。実際朝5時に起きて考え事をする時には頭が100%活発に動いているようには感じられない。ただ、そのために逆に複雑に考えなくて済んでいる気がする。

 「人間の脳は強烈な速度で思考している。脳の中には次から次にいろいろな考えが浮かんできて消えていく」といわれている。考えていることがある程度整理され言語化されることで表出されるが、それは考えていることのほんの一部に過ぎない。脳が持つ能力のほんの一部分しか使われていないというのはよく言われていることだ。

 脳の状態は、例えば夜は400馬力のスポーツカーで日本の一般道を走っているような状態で、朝は45馬力の軽自動車で走っているような状態かもしれない。400馬力は力をもてあましストレスを感じる。走りながら違うことを考えてしまう。45馬力だとそれを全部だしきろうとする。結果的に非力な45馬力のほうがスイスイ走れるのかもしれない。

 結論としては、朝か夜かは朝起きるのが得意な人でも、使い分けがよいように思う。朝やることと、夜やることをわけて考えることがいい。

 話は変わるが、スポーツカーの話から頭に浮かんだことは、朝型、夜型の話にとどまらず、力の劣る人が、力の強い人にどのようにして対抗するかについて考えているようにも思う。
そういえば、こんなことを考えたくて、中国の古典を読もうと考えていたことを思い出した。

 これは朝読むのがよいのか、夜読むのがよいのか...

日本語を使う

2005-04-04 23:56:40 | 気づき
 2週間ほど前に見たNHKスペシャル『シリーズ 明治 プロローグ 今、「明治」に何を学ぶか』で、「明治日本は翻訳によって西洋の制度と技術を消化した。翻訳を通じて、日本文化における意味合いを考える作業を行い、このおかげで日本文化の独立を保った」という話を聞いた。

 翻訳の重要性を訴えている番組にしては、番組名にカタカナが多いことに気になった。これがカタカナが気になりだしたきっかけだった。

 「プレゼンテーションはタイミングが重要なのと同じくらい、リスナーのフィーリングにフィットするコンテンツかどうかが重要」

 カタカナ言葉多用の極端な例ではないと思う。これに近い頻度でカタカナ言葉が使われている状況を最近よく目にする。

 日本語にすると微妙なところまで表現しきれないということからか、適切な日本語が見当たらないということからか、英語をカタカナにしてそのまま使っていることが多いようだ。

 私自身も無意識のうちにカタカナ言葉を多用していたように感じる。これを反省し最近は意識してカタカナ表現ではなく日本語表現を使おうとしている。

 それで気がついたことは、カタカナ言葉で理解していつもりだったたことの中には、正確に理解していない内容が多くあるということ。

 私自身の理解のためだけでなく、私が内容を伝えていく人の理解ためにも、できるだけカタカナ言葉は使わず、日本語を使おうとあらためて感じた。

超一流の選手

2005-03-30 23:28:00 | 気づき
 サッカーの日本対バーレン戦を見た。私はサッカーのことはよくわからないが、中村俊輔や三都主がドリブルでディフェンスを翻弄し、抜き去っていく姿はみていてすごくかっこいいと思う。
 
 中村や三都主だけでなく、この試合に出ている日本代表メンバーは皆日本の超一流の選手ばかりなので、全員がものすごい能力を持っているんだろうと想像する。

 サッカーの名門校市立船橋高校で活躍していた2人組の漫才コンビ(名前は忘れた)が、自分達のサッカーの技能を紹介する番組を見たことがある。素人の私からみれば2人とも素晴らしい能力を持っていたが、日本代表メンバーは、彼らとも比べものにならないもっとすごい能力を持っているんだろうと想像する。

 そんな素晴らしい能力を持っている選手、日本の超一流選手で代表選手だと思ってみているとがっかりすることがある。それは相手選手のファールがあった時に芝生に倒れこんだり、過度にいたがったりする仕草をすること。本当にいたいのなら仕方がないが、すごく痛そうにしていた選手がフリーキックを得るとけろっとして攻撃に加わる。こんなシーンを試合中に何度も見ているととても興ざめする。

 確実に審判からファール判定を得て、失ったチャンスを回復したりチャンスを拡大する、また、自分自身や自チームの選手の疲労回復のための時間かせぎをする、過度な仕草の裏にはさまざまな戦術や戦略があるのだろうとは想像する。

 しかし超一流の選手にはそんなことはして欲しくない。めちゃくちゃなことをいっているかもしれないが、相手からファールを受けてもそれを跳ね飛ばしてでもプレーを進める、疲労回復をしないでもすむような体力をつける、超一流の選手ならばそのようにして欲しい。

 相手からファールを受ければ、試合を中断する過度なアピールをすることがあたりまえのようになっているのはどこかおかしいような気がする。