抗生物質との闘い

2024年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム
 抗菌剤(抗生物質)は細菌を壊したり、増殖するのを抑える薬です。
 その作用機序は大きく分けて、細菌の1)細胞壁の合成を阻害する、2)たんぱく質の合成を阻害する、3)核酸(DNA、RNA)の増殖を阻害する、4)(核酸合成の原料になる)葉酸の合成を阻害する、5) 細胞膜機能を障害する、の5つです。
 人間の細胞には細胞壁はありませんので、「細胞壁合成阻害薬」は細菌のみを攻撃して、人間の細胞には影響を及ぼさない薬です。ペニシリン系、セフェム系などがこの系統の薬になり、選択性が高く比較的安全といえますが、標的になる菌種の範囲が狭いという弱点があります。
 細胞は葉酸を合成し、葉酸を原料に核酸を合成し、核酸の情報からたんぱく質を合成して増殖します。これはヒトの細胞も細菌も同じです。また細胞膜はヒトの細胞にも存在しますので、2)~5)の抗菌剤は、作用機序的に宿主側(ヒト)の細胞にも影響を与えてしまう可能性がありますが、どの細胞にも基本的な増殖様式の各過程を攻撃するため、幅広い菌種に対応できる利点があります。核酸合成阻害薬であるニューキノロン系の抗菌剤は、肺炎、感染性腸炎、泌尿器感染症などの多くの菌に切れ味のよい効果のある抗菌剤で、悪く言えばあてずっぽうに使っても効いてしまうのですが、ヒトのDNA、RNA合成にも影響する恐れがあるため、私は成長期にある子供には使いません。

抗生物質との闘い1
 細菌は人間の投入する抗菌剤の攻撃に甘んじているわけではありません。細菌は様々な方法を駆使して生き延びようとします。細胞膜を変化させて薬の流入を防ぐ(外膜変化)、細菌内に入ってきた毒を細胞外に汲み出してしまう、自分のDNAやRNAの変異させ、抗菌剤の作用点を変化させる、化学反応で分解してしまう、バイオフィルムを形成するなどで、抗菌剤に対抗策しています。そして得られた対抗能力を自分のDNAに組み込んで次世代に伝えていきます。また抗菌剤を投与することで、標的の菌が退治されると、それまで少数派だった「その抗菌剤が効かない菌」が増殖しやすい環境が作られます。こうして抗菌剤の効かない菌、いわゆる薬剤耐性菌が出来ます。
 人間も薬剤耐性菌に対して、新たな抗菌剤を開発することで戦ってきました。そんな病原菌と抗菌剤のいたちごっこが続いてきたのですが、近年抗菌剤の開発力が落ちてきています。
 近年の新型コロナウイルスの流行からもわかるように、感染症の疾病構造は細菌感染からウイルス感染にシフトしています。
 細菌の細胞増殖を抑制する抗菌剤は、細胞を持たないウイルスには効きません。細菌は光学顕微鏡で見えますが、ウイルスは電子顕微鏡でなければ見えません。光学顕微鏡で黄熱の研究をしていた野口英世は、1927年に黄熱で亡くなりました。世界で最初の電子顕微鏡 はその3年後、1931年にベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカが開発しました。黄熱がウイルス感染であることを突き止め、ワクチン開発に成功したマックス・タイラーは野口没の四半世紀後、1951年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。
 また先進国においては衛生環境の改善で、環境由来の細菌感染が減り、抗菌剤の需要が低下、反対に生活習慣病の治療薬や抗がん剤の需要が増えています。投与期間が短い抗菌剤に対して、降圧剤や血糖降下薬などは長期にわたって服用します。抗がん剤は1回投与で100万円以上の高額薬価の薬も少なくなくありません。
 現在、世界中の製薬メーカーの新薬開発努力は、抗菌剤よりも、抗ウイルス薬、生活習慣病治療薬、そして抗がん剤に振り向けられ、新規の抗菌剤が出にくい状況です。
 薬剤耐性菌にとっては、人間からの新しい武器による攻撃のない、我が世の春を迎えています。

抗生物質との闘い2
 薬剤耐性菌は、細菌と抗菌剤のいたちごっこの結果です。
 我が国の抗菌剤の使用量は2000年からの10年間で、2.5%から4%減少しており、EU諸国と比較しても少ない部類です。しかし、日本人が服用している抗菌剤は、抗菌スペクトルの広い、新しい世代の抗菌剤が多く、世界的に昔から最も多く使われているペニシリン系が少ない。例えて言うなら海外では旧式の安い兵器を上手に使って敵基地をピンポイント攻撃をしているのに対して、日本軍は新型兵器で無差別攻撃しているイメージです。新型の無差別攻撃は一時的には効果があるものの、そこを生き延びて増殖した菌は、より強くなって襲ってくる。抗菌剤の使用が減っているにかかわらず、我が国の薬剤耐性菌の検出率は世界的にも上位であり、特に肺炎球菌ペニシリン非感受性率は48%で世界1位、黄色ブドウ球菌メシチリン耐性(MRSA)率は51%で、米国、韓国などに次いで5位です。
 私の専門分野でも、マクロライド系抗菌剤の効かないピロリ菌が増えていて、1度目の除菌治療で成功しない例に多く遭遇しています。日本の抗菌剤使用量の25%以上をマクロライド系が占めています。マクロライド系は副鼻腔炎や中耳炎など耳鼻科系の感染症で多く使われ、その影響で、ほとんどがウイルス感染である風邪症状でも安易に投与されています。細菌の細胞増殖を抑制する抗菌剤は、細胞を持たないウイルスには全く効きません。効かないだけだけでなく、人間に潜んでいるたくさんの菌に、薬剤耐性化の影響を及ぼします。
 これは私たち医師の責任です。かつて抗菌剤は製薬メーカーを支える主要営業品目で、新しい抗菌剤がどんどん開発されていました。新薬には高い薬価がつき、その特許は10年間守られ、メーカーはその薬を独占販売できます。逆に10年経つと薬価が下がり、特許も切れてその薬はどこのメーカーでも製造販売できるようになります。いわゆるジェネリック医薬品です。製薬業界は新しい抗菌剤を開発して10年間で元をとらなくてはならず、医療現場で新薬を使わせるために、医者を接待漬けにしました。私もこの悪しき商習慣の恩恵を受けた最後の世代で、ちょっぴりワインに詳しいのはそのおかげです。メーカーの戦略に乗った医者が、どんどん新しい抗菌剤を使ってしまったために、病原菌の薬剤耐性が進んでしまったのです。2001年に製薬会社の医療機関に対する利益供与に規制が掛かり、2012年以降はメーカーによる医者の接待はほとんどなくなり、(そのため?)我が国の抗生物質の使用量も減り続けていますが、すでに進んだ菌の薬剤耐性化は元に戻りません。
 薬剤耐性菌の問題に直面するのは、加齢や他の病気によって宿主(ヒト)の免疫力が低下したときです。
 元気な時は自分の免疫力で抑え込んできた菌が、免疫力が下がってきたときに暴れ出したとき、その菌が薬剤耐性を持っていると抗菌剤が効かないのです。切り札を濫用した結果、本当に必要な時に切り札たり得なくなる。そして構造的に新しい切り札が出にくくなっている。MRSAの院内感染で、感染症以外で入院した多くの患者が側杖を食って、命を落としています。高齢者の肺炎の原因菌で一番多い肺炎球菌のペニシリン耐性化が世界一進んでいることは、高齢化が進んでいるわが国では重大な問題です。
 近年腸内細菌が宿主(ヒト)の免疫に重大な役割を担っていることがわかってきています。免疫を高める作用のある乳酸菌サプリメントなども多数販売されています。抗菌剤は標的の菌だけでなく、腸内細菌にもダメージを与えます。特にカバーする菌種の多い新しいタイプの抗菌剤ほど、腸内細菌を痛めつけてしまいます。
 抗菌剤の安易な使用は、本人にとって、そして社会にとっても大きなダメージとなるのです。

抗生物質との闘い3
 「抗生物質はいただけますか?」、「私には〇〇という抗生物質が効きます」、「私は抗生物質を飲まないと治りません」というご依頼を、患者さんからしばしば伺います。ゴールデンウイーク中も診療していたので、この1週間は当院に初めて来院されるかぜ症状の患者さんが多く、このご要望を頻回に承りました。ご持参されたお薬手帖をみると、確かに他院で頻繁に抗菌剤が処方されています。
 当院かかりつけの患者さんには折に触れて、上述したような抗菌剤を処方しない理由をご説明しているのですが、一見さんにそれを繰り返すのは本当にしんどい。
 いわゆるかぜ症候群、鼻腔から喉頭までの気道の非特異的カタル性炎症の原因は 80%~90% がウイルスで、ライノウイルス(約30~40%),コロナウイルス(約 10%)が多く、その他RSウイルス, インフルエンザウイルス,パラインフルエンザウイルス,アデノウイルスです。「細菌の細胞を破壊する、細胞増殖を抑える抗菌剤(抗生物質)は、細胞を持たないウイルスには効きません」これは、家がなければ、家を壊されることがないのと同じです。
 さらに良くないことに、無用の抗菌剤を飲むことで、耐性菌を作り、ご自身の将来だけでなく、社会全体に悪影響を及ぼします。また良い腸内細菌にダメージを与えて免疫力を下げてしまいます。抗生物質はあなたに効くのではなく、菌に効くものです。あなたに効いたら大変なのです。これまでは、たまたま病気の症状が改善したときに、抗生物質を飲んでいたのであって、抗生物質を飲んだから病気が治ったわけではありません・・・。こんな禅問答まともに付き合ってくれる患者さんはほとんどいませんし、私の気力も続かない。
 「いつもの先生は出してくれるのに」と食い下がられると、じゃあ、その先生を叩き起こして処方してもらいなさい!と言いたいのを我慢して、説明を続けます。
 ようやく納得してもらったとおもって、笑顔で診察室から送り出し、次の患者さんの診察していると、受付から「先ほどの××さん、お願いした抗生物質が入ってないと苦情をおっしゃっています」との連絡。
 私と抗生物質との闘いも当面続きそうです。