ヒーメロス通信


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山口健一「十一月の飛べない鳥たち」詩誌『龍』139号2012年4月20日発行

2012年04月14日 | 同人雑誌評

山口健一「十一月の飛べない鳥たち」。詩誌『龍』2012年4月20日発行
小林 稔


ちっちゃな子供たちの遠足
かわいいアヒルの行進のように
心地良いざわめきが通り過ぎる
          「十一月の飛べない鳥たち」冒頭の3行

私たちは良い市民になることが最大の幸せであるといわんばかりに、子供たちを調教する。
子供たちの翼は親たちによってもぎ取られ、豊かな生活を送るように親たちは子供たちの教
育に力を注ぎ、子供たちは「夢の空を飛べない鳥」にさせられてしまう。

 こんなになってしまったのは
 度々手を上げる父親と
 深爪を心配し未だに
 ひとりでは切らせてくれない母親のせいです
          「同」10行から14行

 会社人間になって子供のことを母親に委ねてしまう父親と、密着しすぎる過剰な愛情で子
供を自立させない母親のもとでの、「水面に歪み映る姿に嫌悪を催する目に余る言動を大人
たちは鋭いまなざしで戒め」るのだ。やがて子供たちは、オーデンセの即興詩人、ハンスク
リスチャンの悲しい「原案の筋書き」を現実生活の中で知らされてしまうと山口氏は書く。

 それでもやがて立ち上がり
 それぞれの幸福を探そうと羽ばたきはじめる
あの闇に隠れた湖に光が射し
緑色透明の水面に生命の飛沫が迸り輝く
いつか見た光景と希望の未来とが
寂莫とした薄暮に量なる
         「同」最終部6行

「量なる」は「重なる」の意味だろうか。一体どのような希望があるのだろうか。この詩を
読んだとき、私は私の考える詩人像を思い描いてしまった。大人たちに反抗の牙を向ける子
供たちだ。やがて反抗は世界への反抗に向けられるだろう。ボードレールの唱える詩人とい
う存在や、「生の変革」を叫ぶランボーの熱狂を私は思い起こす。
 今日、私たちの詩は自己から遠ざけられた表現で書かれるようになってしまった。例えば
この詩を書く山口氏は、今どのような境涯に立たされ苦悩しているかを書かない。言葉は一
般的なことを書く、客観的に書くことには適応しやすいものだが、詩人自身の個別な思いを
表現するには適応しにくいという特質をもつ。言葉のもつ普遍性を自分のものにするには、
自己の激しい感情や体験が必要である。ほとんどの詩人はその不可能性を避けようとする。
それは現代において詩が消滅する危機と感じられる一因ではないだろうか。