ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

グラナダの夕日、小林稔第五詩集『砂漠のカナリア』2001年(旧天使舎)以心社刊

2012年07月08日 | 小林稔第5詩集『砂漠のカナリア』

「アンダルシアの岸辺」詩集『砂漠のカナリア』(旧天使舎)以心社2001年12月刊行より。
小林稔


第三章 アンダルシアの岸辺(前編)

 一 グラナダの夕日
 坂道を昇っていくと白い土塀の続く道がある。その道を横断する狭い道をさらに昇り、荷を積んだ驢馬の綱を引く老人とすれ違う。深い皺を顔に刻んだ小柄な男であった。
 土塀の落とす細長い影が背を丸めて寝入った犬を包み込んでいる。今度は厚化粧をした女とすれ違った。私は、かつてのアラブ人の居住地区アルバイシンの路地を、窓を飾る白い円柱の美しさに魅せられ歩いていたのである。もうサクロモンテの丘に来てしまったのだろうか、と見上げると、ジプシーが住んでいたという洞穴がいくつも見えた。すると若い男が、どこからか私を待ち伏せていたように姿を現わし、立ちはだかった。フラメンコを見ないか、と思い首を横に振った。私はこれ以上、丘を昇り続ける気がそがれ、来た道を避け別の道を辿って降りていった。
 視線をもう一方の丘に注ぐと、アルハンブラ宮殿が夕日に映えて浮かび上がっている。先ほど宮殿を訪れたのだが、そこで過ごした夢のような時間をゆっくりと反芻しながら、その時と同様の足どりで私は歩いた。

 樹木の枝が張り出し伸びた、宮殿の裏手の傾斜した道を昇っている。神社の参道を思わせる道である。裁きの門と呼ばれる宮殿の入り口を抜けいくつかの暗い部屋を過ぎ、真っ先に視界に飛び込んできた光景。それは真昼時の、眩い光に照りつけられた青いプール、中庭いっぱいにしつらえた矩形の人工池であり、白いアーチと蒼穹にそびえ立つ塔がその下の水面にさかしまに相似な姿を映している光景、コマレス宮と銘打たれ、刺殺され自らの宮殿で息を引きとったグラナダ王、ユーフス一世の宮殿であった。池のこちらの岸から対岸に視線を投げると、対岸からこちらに返される視線の気配がある。ここは天人花、すなわちアラヤーネスと呼ばれる中庭なのだ。何と近しい空間だろうか。砂漠から砂漠を彷徨い、ついに見出した泉の表象である。亡くした友に再会したような懐かしさを覚え、歩みを進めるたびに内省的になっていく私を知る。日本を離れ、スカンジナビア半島から南下してすでに三ヶ月が過ぎていた。旅が日常になり、人生の一部である自覚を持ち始めたころであった。ヨーロッパの放射状の美とは異質な、閉じられた空間の美であり、水と光が大切な構成要素になっていると思った。このシンメトリーの構図は、見る者は見られる者という鏡の世界に迷い込んだような気持ちを起こさせる。足許に湧き出る泉、静かにあふれ出る泉は、地下からこぼれ出てくるかのように設計されている。泉は池に注がれ、満々と水を湛えた池があり、かすかな水の音でさえ訪れる人の耳に伝える静寂がある。彼方からの呼びかけがあり、その彼方に神がいる。その見知らざる者への加担を続けながら生きていこうとする、その距離を充たすもの、それが沈黙ではないだろうか。水の流れる音だけがここを通り過ぎて行く。沈黙を続ける精神の内部には、あふれるまでにとどめた心がある。アラビア人の美意識が、旅をする私に訴えてくるのは、距離の感覚に旅の概念が織り込まれているからではないだろうか、と思った。

      アルハンブラ狂詩 一

    池の対岸には、左に右に行き交う人々の群れに阻まれて立ちすくす少年の
    姿があった。少年の眼差しは人々の背に遮られ、私の眼差しも遮られて探
    しあぐね、ついに私の眼差しに真っ直ぐにとどいた。私の心の闇に日が射
    して、弦楽が奏でられた。私を見つめる少年の面(おもて)は、太陽の光
    線に輝き、喜びに満ち、限りなく優しい眼差しを私に贈っている。胸に満
    ちる潮は心の琴線を弾き、曳いて行く潮は惜別の思いに裂かれ、別々の歳
    月を歩んでいた二つの道がここに出逢った。
    アラーヤネスの庭の水が、空を奪い底深く沈めて、二人の影を逆しまに捉
    えた。それぞれの足許に湧き立つ水が、掘割を伝い池に注ぎ込む。時に絡
    め取られ、生きることは悲惨であった。君に逢えないことは悲惨でさえあ
    った。もう離れることはない。私は君で、君は私なのだ。


少年の私は無知であった。雨に打たれ、全身ずぶぬれで、泥だらけの道を
転げ廻り、犬のように歓喜の声を上げた。一番高い木に登り大声で歌った。
少年の私は孤独であった。心の絆を結ぶことに不器用で、太陽を掌中に収
めるほどに困難であるとは知らずに、友情を恋と取り違え胸を焦がした。
私は絶望した。時が、私を青春の岸辺に打ち上げた。それは少年時への永
訣であった。切断された片足を見つけるように、少年の裸形を追い求めた。
橋から橋を渡り、路地から路地を彷徨った。
いま想いは遠くへと誘われ、水の音に眼差しを奪われ、衣服を脱ぎ棄てる
ように、我を喪失していく。すると、私の眼差しは対岸から私に還された。
私は見つけた、私の少年を。放浪に身をやつした青春の一時期を顧みれば、
このコマレス宮で見出した少年の幻影こそ、私自身であり、この世に生を
授かる前に私の魂が見た美の似姿であった。


 私は少年をひきつれ、通路で結ぶライオンの宮に歩みを移して行った。
 
 父ユーフス一世の遺産を継ぎ、十七歳で即位したマホメット五世、彼の建築したライオンの宮に足を踏み入れると、ただならぬ気配を感じた。

 大理石の列柱から中庭に視線を転じれば、十二頭のライオンの石像の背が支える水盤があり、そこから昇る水のゆるやかな動きに陽光があふれている。水盤に視線を据え、距離を保ちながらゆっくりと廻廊を廻った。重なり合う大理石の林から、一人の少年が垣間見えたが、列柱の隙間に消えた。歩みを止めることなく進んで行く。すると柱の向こうに少年が再び現われ私に視線を投げた、と思うつかの間、林の後ろには深い闇があった。


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