ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

二つの詩・小林稔

2017年06月08日 | ヒーメロス作品

二つの詩

小林稔

 

1.枯葉の道

 

 家の裏手の小高い丘を、子犬を連れて散策している。道が木立を這

うようにつづいて木洩れ日が射しそこだけ明るい。

歩みを進めると、先日の大雪で折れた大振りの枝が私の行く手を遮

る。腕で押しのけ、まだ積雪の残る枯葉の道を踏み分け入る。丈の

低い墓石の十数個が雪と枯葉に埋もれているところで道は終わった。

 

風が起こって枯葉が浮き上がる。すると子犬がその後を追い銜えて

はまた別の葉に跳びつく。四十年以上前の旅の記憶が命を得ようと

枯葉のように舞い上がり、若かった日の夢と失意に痛めた胸が、抜

けない棘のように存在を主張する。数知れぬ記憶が落葉のように堆

積し腐蝕し土に還っていくのだろうか。若木は腐植土から養分を授

かるように、記憶に刻まれた言葉が、生まれてくる新鮮な肉に宿る

こともあるだろう。樹木は春を迎え新しい葉を茂らせようとするが、

やがて老いて風に倒され死ぬだろう。人間もまた一つの肉体が滅び

ると共に世界は終わる。私が消滅した後のこの世界に何の意味があ

るのだろうか。だが作曲家が鍵盤を這う十指から、彼の想いを、空

気を震わせ現存させるように、私の言葉が若い肉に鮮やかに宿るこ

とを願うのだ。経験から刈りとった莟みを開花させるのは今この瞬

間をおいて他にない。世界に初めて触れた感動を記さなければなら

ない、人生が覚めてみれば一夜の夢に過ぎないとしても。

 

旅から帰ったとき、時間という道を一人歩いている自分がはっきり

見え始めた。踵を返して追憶という終わらない言葉の旅を、未来を

解き明かす道のように辿りつづけるのである。

 

2.警鐘(サイレーン         

 

薪が火を吹いて音立て、燃え殻の破片を撒き散らし、霧が立ち込めたかように

煙る室内、ピアノの湾曲する側面に焔が野火のように映り揺れている。窓枠の

向こうの夕暮の空に一陣の風が湧き立ち灰色の雲を一吹きで舞い上げ、ためら

い、停止し、再び息を吐くのであった。鍵盤に両手の指を置いて最初の七小節

を明示するバラードの主題の旋律は、記憶の淵から純化された音そのものが立

ち上がるようであった。風に誘われ心の水際に波紋がひろがっていくが、激し

い動きを覚えながらも感情の表出を抑えて水煙が立ち始めるのであった。均衡

を失うほどのものではなく随所から姿を現わそうとする線が交差するが形象に

至らず、悔恨に似た想いがたゆたい、静寂が一瞬、辺りを支配した。不意打ち

をかけ虹が水面に架かる。水底に顫動が起きて砂塵が上がっては消え、振幅は

さらに大きくなっていくので、手綱をしっかり握ったはずの理性が、もう一方

の駿馬の手綱に強く曳かれ振り廻されたが、危うく命をつなぐのであった。

 

気がつくと小さな光が地平線の在りかを指差している、すでに夜明けである。

生まれようとする命が薄暗がりで仰向けのまま手足を伸ばしている。ピアニシ

モでゆっくりと終盤に反芻される主題が絨毯の縦糸を手繰り寄せる指先から辿

られていくが、河のようにゆっくりと流れる時が闇のヴェールを曳いて森の外

れに倒れた。身を翻す魚たちが水面を乱すと金色の光が反射して眩く、ついに

水鳥が水際を滑走し羽搏き始め、軽やかな上昇が昨日の夢のように顕れ、空気

が奮え水面が静かに揺れている無垢の時の流れに、薄墨を射したような線が見

え隠れしている。夜明けに奏でた主題が力強く存在を主張する。大胆に誇らし

げに、足取りは軽く、向こう見ずの若さにあふれ真昼の陽射しを身体に受け背

に翼が蘇生する予感を感じながら足早に進んで、緩やかなスロープの音階を昇

りつめ、一気に雪原を滑り降りてくるように落下する。火で焼けた胸中をさら

に燃え立たせ、逸る心を旋転させた青春の泥まみれの栄光の具現である彼の動

きが蛇行を繰り返して、天を突き刺す雷霆のように世界に亀裂を走らせるが、

突然降った警鐘のサイレーンが彼の後を追い消してしまう。だが何の警鐘だと

いうのだろうか。鍵盤の左端の、楔を打つようなラ音の連打で終わるプレリュ

ードを想起させる。

 

暖炉に焚かれた薪から焔が消えた。身を寄せ合った炭火が息づいている。半音

階のうねりは空の高みから一気に転がり落ちて、揺るぎない青春の栄光に満ち

た凱歌が強靭な旋律で繰り返される。スケルツオの、波のように寄せる切なさ

を、抉られた湾に抱きとめる主題が脳裏で甦り重奏される渦中に、〈 彼〉はた

めらうことなく闊歩し、時に急ぎ足で疾走する。またも内省の声に怯えたが、

プレストで明確に叛き、白馬に跨った彼のギャロップに全身を躍動させる。虹

の橋を疾駆して姿を消したと見えた、が今この時を感受しようと天より一気に

駆け降り大地に立った。

 

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1 コメント

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こんにちは (たにむらこうせつ)
2017-07-06 16:35:19
ご訪問ありがとうございます。
良い文章ですね。
詩とも違う。
素敵だと想いました(^-^)

所で私の詩如何でしたか?
私のブログ如何でしたか。
失礼を承知の上でお願いがあります。
もし私のブログが気に入って頂けたのなら
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よろしくお願いしますm(__)m
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