ヒーメロス通信


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「戦後詩を読む」 小林稔評論集『来るべき詩学のために(二)』2015年より

2016年01月19日 | 戦後詩を読む

個人詩誌「ヒーメロス」7号(2004年)からの記事
小林 稔


第十一回、詩のワークショップ「ひいめろすの会」平成十五年八月天使舎の報告

戦後詩を読む
 今回と次回で戦後詩を読み、明治の「新体詩抄」から出発した近代詩の概要を終える。われわれは「現代詩の源流を求めて」というテーマのもとで詩の歴史を辿ってきたのであるが、戦後詩の定義とは何か、を考えてみた場合、おそらく戦後詩の終わりを想定しなければならないだろう。九十年代にあわられた詩人たち、野村喜和夫と城戸朱理の編集した「戦後名詩選」(思潮社二〇〇〇年発行)の解説、「戦後詩展望」(野村)によればポスト戦後詩と呼ばれる八十年代までとする。戦後詩の始まりはもちろん第二次世界大戦後の「荒地」からである。今回、戦後詩を読むうえで、吉本隆明の「戦後詩人論」をよりどころに考えてみることにする。
 吉本によると「日本の戦後詩は、まず、戦前のモダニズム詩とプロレタリア詩の欠陥を、どう克服するかという課題を技術と内容の両面から解決することを強いられた」という。近代詩の出発から引きずり、いまだ現在においても影を落としている課題である。言い代えれば「自我意識を現実経験によって深めながら、そこに詩の態度をすえ、しかも如何にして日本の表現にまつわる非論理性、平板性、無思想性を超えうるかという点」に「荒地」の詩人たちは努力したということである。結果として残した「最大の功績は、内部世界と現実との接触する地点で、未だ、無限に詩の表現の領域が存在していることを啓示してみせた点にある。日本の現代詩は、内面性を拡大したことは疑いを容れない」と吉本は分析する。
 グループ「荒地」は、昭和二十二年、鮎川信夫を先導者として詩誌「荒地」を創刊し、参加者に、田村隆一、黒田三郎、北村太郎、木原孝一、三好豊一郎らがいた。今回は、七十年代に詩を書き始めた私「小林」が、多少慣れ親しんでいた田村隆一の詩を会員といっしょに読み進めた。詩が垂直に屹立している印象を当時、強烈にもったように思う。一般的に言って、詩人の感じたものを言葉にする詩ではなく、言葉そのものが前面に押し出されている詩であって、傍若無人であった私に、ある種の「かっこよさ」として映っていたものであった。今回「幻を見る人」を朗読した。再び吉本の分析を引用させていただくと、「十月の詩」に対して次のようにいう。「意味はそのまま内部世界の様相としてあらわれ、メタファは一義的に確定している。自己の内部世界と表現との関係について明晰な省察と位置づけが行われている。日本の現代詩が、衣裳でない、真の意味の思想性を獲得するためには、内部世界と、外部現実と表現との関係についての明晰な自覚が必要であった。」このように書き出して私は、詩というものの普遍的な定義に触れている、これからもほんとうの詩はかくあるべきであろうという想いに駆られたのである。
「荒地」に少し遅れて「列島」の創刊が昭和二十七年に行われた。野間宏、長谷川龍生、井手則雄、安東次男、黒田喜夫、関根弘らが主要メンバーであった。「荒地」が「モダニズムを継承することによって反モダニズム」(吉本)であるように、「列島」は、プロレタリア詩運動を継承し、その欠陥を乗り越えようとしたと言えよう。戦前のモダニズムには、大正十三年、野川孟・隆兄弟、安西冬衛、北川冬彦がいる。シュールレアリズムに引き継がれ、北園克衛、稲垣足穂、さらに引き継いで春山行夫、北川冬彦、西脇順三郎らが、昭和三年創刊した「詩と詩論」があった。プロレタリア詩では大正七年創刊の「民衆」があった。福田正夫、白鳥省吾らがいる。大正九年、根岸正吉、伊藤公敬の「労働詩集・どん底で歌ふ」に始まり、「文芸戦線」が大正十三年に創刊された。中野重冶、西沢隆二、伊藤信吉らが後に「プロレタリア詩」を刊行した。吉本が最も関心を引くという、昭和初年の不定職インテリゲンチャの詩人たち、小熊秀雄、岡崎清一郎、山之口獏、草野心平らの動向もこれらと関連して興味があるところだが、今回は省略し別の機会に譲ることにした。
 先に述べた「戦後詩選」の野村氏の解説によると、情報化社会は「言語の砂漠化」へ進んでいる、意味の表層化が見られ、そのような意味でも、「数行の言葉が世界と釣り合ってあやうくバランスをとっているかのような」戦後詩は人々に必要とされ、世代を越えて変遷していった詩が一巡(詩の領土の回復とその限界地点、脱領土化)を終え、絶対的な始まりに向けて「ポエジーを再び産み出そうと試みる」ことが二十一世紀の現代詩の課題」であろうと述べている。
 われわれの「ひいめろすの会」の二回目で、「現代詩はなぜ一般から敬遠されるか」を考えた時、「四季派」の詩人たちとの比較で、戦後詩の存在が大きく関与していることを了解した。「観念の動きについても、初発の自然性にすべてをゆだねてしまう」(吉本)ことで大衆性を獲得した四季派の詩人に比べて、「現在の重さのために詩において永続的なものからそれていかざるを得ない運命を、不可避的に辿らされているのが戦後詩人の生きざまである。」(吉本)思想性を打ち出した戦後詩とそこから変貌していった現代詩が、一般から難解ゆえに敬遠されてしまったのではないだろうか。結論として言えば、四季派の「現在性の欠如」と戦後詩の「永続性があるか否か」という問題が今後問題になるということでもある。先にも述べたように八十年代に入って、戦後詩が終焉を迎えたという認識が流布されている。言わば古典という位置を獲得したということである。「永続的に流れる時間的なものとそれから滞留する現在的なものの二重性がいつでも生きていなければならない、ということが詩とは何かの問いである」(吉本)とするならば、現在の詩人が選択するであろう経緯に関る問題である。次回は「戦後詩を読む」の第二回、鮎川信夫の詩を読み、戦後詩の今日的意味について考えてみましょう。




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