ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「飴玉」 小林稔詩集『白蛇』より

2016年01月09日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月発行より


飴玉
小林稔

        ふぞろいに並んだ 丈の低いガラスのケースのすきまから、

       くねくねと 細い坂道が空に昇りつめている。店の奥の椅子

       に腰を降ろした姉は、向かい合わせに座った 男の子の背中

       を支えるが、両足を姉の胴にからめ、上半身を そり返らせ

       るので、男の子の髪が地面に触れる。すると、そこに嵐のよ

       うな風が巻き起こるのだった。

        店先の方へ視線を投げると、見慣れているはずの町並みが

       一転して別の世界になる。そして 腹部に力を込めて起き上

       がろうとしたとき、口の中で転がしていた大きな飴玉が、男

       の子の咽喉(のど)に ぴたりと止まった。

        あわてふためいたのは 姉であった。男の子は頭部と手足

       を だらりと垂らした。苦しさに瞳を開けたまま、もがいて

       みたが 力がなかった。
 
        電信柱の陰で さっきから覗いていた男がいたが気づかな

       かった。真向かいの肉屋に吊るしてある 皮を剥いだ何頭か
       
       
       の豚と、その隣りの雛人形店に飾られていた 大きな羽子板

       が、輪郭を失い色の流れになって 渦を巻いていた。男の子

       の視界に虹の滝が逆流している。姉は青ざめている弟を抱き

       背中をしきりに たたいた。

        すんでのことに死神が、ひとりの少年を小脇に抱え 隠し

       去ろうとした。そのとき、咽喉(のど)にはまった飴玉が、

       おそらくは 熱で溶け出したのだろう、すぽんと落下し、飲

       み込んだ。男の子は あわてて息を吸った。たちまち生気が

        よみがえった。母と姉の顔が はっきり見えた。

       男の子は手の指を動かした。とても不思議なことに思うの
       
       だ。もう一度、ゆっくりと息をする。関節につながれた肢体
       
       が別々の生き物のようだ。
        
        動け、右足。次は左足だ。魂を吹きかけられた セルロイ
        
       ドの人形にするように 自分の体に命令するのだった。
       
        飴玉のように夕日に染まった小砂利の坂道を、男の子は踵
       
       を宙にさまよわせ 踏み出した。



コメントを投稿