ヒーメロス通信


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「繭の糸」 小林稔詩集『白蛇』より

2016年01月08日 | 小林稔第3詩集『白蛇』

小林稔第三詩集『白蛇』(旧天使舎)以心社1998年11月発刊より

    繭の糸
    小林稔


        高島田が うしろ向きに廊下に置かれてあった。それを見
       
       た男の子は、ぎくっとした。わめき、泣いたが、家の人はど
       
       こかに消えていた。
       
        男の子は八畳間に 逃れた。障子に頭をぶつけ、唐紙に全
       
       身があたった。唇がひきつり、ゆがみ、歯をくいしばる。涙
       
       とよだれが混じって、顎(あご)のくぼみをしめした。
       
        姉が駆けつけた。男の子を見て驚いたが、日差しの射した
       
       廊下に視線をやると、微笑んだ。部屋の奥で しりもちをつ
       
       いている男の子に近づき、両腕の中に男の子の顔をうずめた。    
        
        顔を上げ姉を見た。白粉(おしろい)が塗られた姉の顔が
       
       あった。いつもとは違っていたが、瞳の奥から浮かんでくる
       
       花びらのような優しさに安堵(あんど)を覚えるのだった。
       
        廊下に目を向けると、首筋に丸みをもたせた高島田が、ま
       
       だあった。もう一度、頬を姉の胸に凭(もた)せかけた。
       
        姉は 男の子の位置を確かめるように、彼女の裾(すそ)
       
       を引いて 抱いては離し、また抱きかかえてみた。
       
        もう、怖れることはないのだ。男の子は笑顔を浮かべる。
       
       すると姉の白い指が 男の子の鼻すじを伝い、そこに一本の
       
       白粉(おしろい)が走った。
       
        母親ほど齢の離れた姉に抱かれて、男の子の指から 力が
       
       抜けていった。
       
        いままでもそうだったし、いまも こうして姉に身をあず
       
       けていられる。揺りかごに揺すぶられるようにして、やがて
       
       男の子は眠りについた。
       
        石のように重くなった男の子は、姉の両腕から離され、布
       
       団の上に置かれ、幌蚊帳(ほろがや)を被せられた。
       
        まどろんでいる男の子の脳裏に 足音が現われて、また消
       
       えていった。そして、もう現われなくなった。
       
        午睡から醒めて、蚊帳の外に出た。部屋から部屋を廻り歩
       
       いて、襖(ふすま)を開けて覗いてみたが、姉の姿は なか
       
       った。



    



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