ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

「髀肉之嘆一、二」 小林稔詩集『遠い岬』より掲載

2015年12月19日 | 小林稔第8詩集『遠い岬』

小林稔最新詩集『遠い岬』の一部を紹介します。全編がⅠ~Ⅴで構成されています。今回の紹介する詩はⅤ「脾肉之嘆」(一~八)の一と二を抜粋してみました。



髀肉之嘆(ひにくのたん)
            小林 稔
  
  一

遠い日の木霊であった貧者の私は、恐竜の背骨が崩落する音を聴い
たように思う。昔日私は一頭のライオンを引きつれ砂漠を旅した。
凍てつく夜と灼熱の白昼を耐え忍んだ。砂に埋もれた獣の骨は数知
れず、日日に彷徨う陣営でそれらを蒐(あつ)めては祭壇を築き、か
つて髀(ひ)の国の王であった父のたましひを鎮めるために祈った。

不穏な日のことであった。虚空を曇らせる一羽の鷲が頭上高く旋回
した。蓄えの肉を狙うのかと訝り瓦礫を投げつければ、二発目に命
中する。私の唯一にして高貴なる盟友ライオンはその肉に敏捷に喰
らいついた。傍らで私が読み耽る書物は乱丁ばかりであった。

砂の丘を越えた地平に集落があり、その背後には波が縁取る海があ
った。動きを止めた海は一幅の絵であったが、歩み寄れば激しい波
音がしきりにして思考不能に陥るのであった。廃屋の立つ一隅に古
い井戸があり黒い布に身を纏う数人の女たちがいた。私の盟友は見
えないらしい。彼女たちの声が波音に消され唇の忙しない動きは鳥
のそれであった。どちらから来られたのですか、という声を直覚し
た私は、髀の国より来たという声を意中に収めて伝え退散した。

天に聳え立つ石塔に絡みつく老木があった。ねじ伏せるように螺旋
を巻きながら昇る幹は干からびて枝葉もない蛇。石に刻まれた朱色
の文字は尖端に這い上る蛭のようであった。渚では二頭の牛が波に
遊ばれた舟を男の引く綱で陸へ牽引しようとするが、激しい風で舟
は水際に動こうとしない。

私の歩みは追憶に過ぎぬのであれば足跡と呼びうるものをうしろ向
きに消していくことであろう。盟友ライオンの誘導に身を託し、砂
の造る流線が左から右から落ちる谷を彷徨うことしかあるまい。風
に舞う砂が私を激しく打って通り過ぎた。

幼年の退却を待ちながら宿命からの遁走は私の歎願すべきことと悟
って、昔の饗宴の謎を解くために十七歳の私は祖国を放擲した。私
の旅立ちを父はよしとしたが、まもなく隣国の四つ辻で父の訃報を
耳にしたのである。出立とは我が現世(うつしよ)との永訣と心得て
いた私は冷酷にも祖国に向けて踝を翻すことなく砂漠に足を向かわ
せた。

惜別の日から数えて十三年目の朝、砂塵が舞い上がり、その奥から
砂埃を破って吼え立てる一頭のライオンが姿を誇示するかのように
現われた。吃驚(びっくり)した私は直ちに卒倒した。気がつくとラ
イオンの獰猛な顔が私の眼前にあった。臥して鬣(たてがみ)を振り
顔を横に向け大きな口を開け遠吠えをした後、比べようのない悲し
い表情を見せた。すぐさま立ち上がった彼は、しめ縄のような尾を
立て私を促し勇壮に歩き始めた。以後において私は彼の影と交錯し
ては旅をつづけた。

脳髄を一陣の雲が次から次に流れた、すばやく巻きもどされたフィ
ルムのように。雲は始原へと立ち急ぎ水になり土になる。雲に映写
された私の幻像があった。みるみる若さを奪還しついに胎児の形に
丸くなり、さらに様々の生き物が進化を遡行し地球から投擲された。

春の陽光が庭の花弁に射すころ、寝屋の暗がりにて赤子の悲痛なる
泣き声があった。なんという時空の長さを曳いて私はこの砂土に立
っていることか。祖父に背き母に背き姉に背き父に叛いたのは一途
に真の生を追い求めてのことであった。

私に撒(ま)かれた種子たちが場(コーラ)を与(くみ)し花ひらくため
に、記さねばならぬ、衰退の傾斜を私の腑が転がり終えるまでに。



  二 テーレマコスの航海

波頭の見えない静かな海が三日つづくと、決まって四日目に強風が
吹き荒れ、転覆の危機が訪れる。船の真ん中にある帆を降ろしたマ
ストによじ登っているので、大きな揺れで嘔吐をこらえなければな
らなくなる。

操舵室に入る男の背中をいく度となく見たのだが、円型の覗き窓に
は船長の姿がなく、私ひとりを乗せて船はひたすら進んでいる。

穏やかな海の日は船底に身を横たえて本を読む。一冊の哲学書『テ
―レマコスの航海』を三十七回読んだ。読むたびに知らなかったこ
とを発見し狂喜する。私に航海の解釈を示唆してくれるのだが、例
えば七百七十一頁には「真理、すなわち神の到来を待つ主体の聖性」
について記述されている。霊性が自己をこの上もない高みに引き上
げるには、宇宙の孤独を耐えなければならぬとある。

私をおいてあらゆる事象を崩壊させることが必要である。連続性を
否定することとは瞬間の実在のみを信じること。記憶は何ほどでも
なく、死すべき私たちに未来は不確かである。現在は砂山が崩れる
ように未来を巻き込んでいる。

世界の陸地を一巡りした思い出は、得体の知れない一匹の生き物の
ように変貌を終えることがない。郷愁のような想念に捉えられる一
夜、脳裡には若年の私が抱いた瞑想がよみがえり不思議な交感(コミ
ュニケーション)が始まる。例えば、不思議な砂漠の王の館、十七歳
の王を襲った厭世の想いが色濃く映し出された内庭に私は佇み、大
理石の柱と柱の隙間から見遣る泉を越えて、鏡に嵌められたシンメ
トリー空間に、自己が呼び止められた。

土地を離れ、想いを遊ばせた建築物を棄て、やがて死が記憶さえ携
えることを許さないならば、一刻も早くそれらから身を遠ざけるべ
きではないだろうか。波に洗われていた断崖が小さくなり、ついに
視界から消えていく。私は記述する、精神のスクリーンに流れる一
片の雲また雲を。それが神に由来するのか、あるいは血筋にか、そ
れとも神学と哲学から剥がれ落ちた、詩(ポエジー)と呼び得るもの
に由来するのかは定かでないとしても。

私はどこにいるのか。夜の大海原では一片の塵に等しい私は、すべ
てから逃れるため、老いを加速させ、事物から遠ざけた。事物の価
値を正しく見定めるため、世界との負債から勝ち得なければならな
かった。ゆえに、流れ行く想念を記述し定義していった。唯一残さ
れたのは、自己からの自由ではなかったか。鏡に写る等身大の自分
に視線を注ぎ込むこと。こうしたすべての努力は、知において自己
に回帰することであった。神の(もし存在するならば)理性に授か
ることであり、世界の構造を探り出すことである。

もしも神が存在するとするならば! 神は退却したが、理性は消滅
したわけではあるまい。無限に遠くから、詩(ポエジー)が私たちに
訪れるとき、神の気配を嗅ぎとることができる。理性によって私た
ちの変貌が可能であるからである。

アレクサンドリアの港を出港してから数ヶ月が経った。この危険に
満ちた航海を私が難なく終えたらのことであるが、気象現象と健康
に委ねられた航海は、どこに向かって曳かれているのであろうか。
私の思考が船の操舵を導いていることは推測された。真理というも
のこそは、航海が辿るべき最後の港であろう。



 詩集『遠い岬』は初版二百部限定の発行です。定価2000円(税別)で後払い、送料はサービスになります。購入を希望される方はまず下記のe-mailに住所,氏名、電話番号をお書きの上、送信してください。在庫の確認をし折り返し連絡いたします。 Eメールアドレス tensisha@alpha.ocn.ne.jp まで。



コメントを投稿