人は、なぜ感動するのか。
そして何に対して感動するのか。
考えてみた。
■僕が感動して泣いた作品
僕が今までで感動して泣いた作品は2つほどあります。
ドラマ『北の国から'92巣立ち』と
アニメ映画『魔女の宅急便』です。
でも、だからといって、
いきなりその泣いたシーンだけ見せられても
感動とかはしません。
泣くほど感動するためには、たぶん
しっかり物語に引き込まれて共感する事が必要なんです。
かと言って、物語に引き込まれていたとしても、
今の今まで完全に脇役で名前もなくて、
セリフもなくて、顔すら覚えていない
ショッカーみたいなヤツが、
いきなり死んでもポカーンですよね。
いや、ポカーンというよりは、無視?
何も感じないとか、どうでもいいとか、そんな感じでしょうか。
その精神状態って、どんななんでしょう。
だって、脇役とはいえ、物語の中で、人が一人死ぬワケですからね。
その人にも人生があったワケで…。
一人の人の死を、観客はスルーします。
なんか…なに気にザンコクですよ観客って…。
あ、話が反れた。orz
■犬が死ぬシーンにも涙したことがる
犬が登場する映画でも泣いてしまいました。
人間の家庭で生まれた子犬が成長して大人になって、
子犬を産んで年老いて死んでゆく物語です。
その犬の最期のシーンでも泣きました。
それは、その犬の成長をずっと追ってきたからです。
いきなり犬のご臨終のシーンが映し出されたり、
仏壇を見たら犬の遺影があって
「モン太、死んじゃったのよー」
なんて言われてもポカーンですよね。
■事情を知ると感じ方が変わる
結末だけ見ても人はまったく感動しない。
大学の合格発表会場で
涙ながらに大喜びしている受験生を見ても、
彼のがんばりをまったく知らないので感動はしません。
しかし、彼が苦労して勉強していたり、
どうしてもこの大学に合格したい理由なんかをまとめた映像作品を
見たあとなら感動するでしょう。
結局、ストーリー作りって、それなんですよね。
■担当刑事「ご確認お願いします」
それと同じ現象が、
殺人事件の被害者が遺体安置所に寝かされていて、
遺族に本人確認してもらうシーンにも見られます。
白い布をとって、顔を見たとたんに泣き崩れる遺族。
しかし立ち会っている刑事たちはポカーンです。
いや…(^^;)さすがにポカーンではないか。
ただ温度差はあるでしょうね。
しかし、被害者の人生を思い、
この人にも夢や希望があったのだろうなとか、
遺族の奥さんや子供の顔を見て暮らしぶりを想像したりすると、
立ち会う刑事たちの目にも涙が浮かぶってもんですよ。
つまりポイントは想像力や共感力。
それは、
自分の人生と似たところを探す作業に似ているのかも知れません。
それが感動の分母になっているのでしょうか。
人は感動する時、自分自身を見て感動している…?
感動の対象は自分自身ってこと?
自分の人生を振り返って感動して泣いているという事でしょうか。
■サイコパスは感動しない
ということは…共感力がないサイコパスは、
感動しないということなのでしょうか。
ググってみました。
[引用]
自分は反社会性人格障害いわゆるサイコパスと呼ばれる障害を持っていますが、
感動し涙を流すことは全くありません。
他人に関心がないので映画で共感、ましてや涙を流すことなどありません。
ですがサイコパスは大抵隠して生きていたりします。
中には演技で泣いて他人の共感を誘いその操作する感じがたまらにという人もいます。
なので実際結果論としては涙を流します。[ここまで]
(Yahoo!知恵袋)
サイコパスと呼ばれる人間は、人との別れや、映画や音楽などで感動し涙を流すことはないんですか?(Yahoo!知恵袋)
サイコパスは感動しないらしい。
■まとめ・感動のストーリーをつくるには
では、感動するお話を作る場合、どうすればいいか。
共感させることです。
読者が、主人公と自分を重ね合わせられるよう仕掛けを作る。
読者の実生活とリンクするような最大公約数を配置しておく。
その上で、架空の話で振り回し、疑似体験してもらう。
それが、コツなのではないでしょうか。
以上。
今日の戯言でした。
流星光Twitter
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長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました! <(_ _)>
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