さいきんの流星光
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■芸術とは何か



駅前の広場に、一つの彫刻がある。

芸術だ。

駅ビルの6回と7回の吹き抜けの中央に
大きなモニュメントがある。

それも芸術。

玄関のドアノブに、わずかな彫刻がほどこされている。

おや、芸術か?

部屋のドアを開いた時、ドア上部にひっかけるタイプの
ハンガー掛けがある。
くるりんと飾りがついていて、猫の飾りも。

芸術…?

あ、話が反れてしまった。
こんな事が言いたいんじゃない。



■判断するのは観察者



その物体を芸術かどうかと判断するのは、それを見る人間だ。

それを見る人間の社会通念、
周囲は、それを芸術と認めるだろうかという忖度が働いているんじゃないかと思う。

ピカソが生み出した数々の作品を芸術だと人は言う。
岡本太郎の作品も、芸術だ。

しかし、それらを、未開のジャングルで暮らす人たちの前に持って行ったら
「芸術」として価値のあるものだと言うだろうか。

岡本太郎の
自然界で見た事のない、面白い形をした巨大なモニュメントは、
感覚的に神がかったものを感じるかも知れない。
その結果、大切に扱うかも。

だがそれは、物珍しさや大きさによるものが大きい気がする。
我々が芸術作品に対していだくような、不定形の畏怖の念のようなものはない。



■芸術は、ちょい足し



ラスコーの洞窟に壁画が描かれた時代。
ピカソやダ・ヴィンチや岡本太郎がいたら、
同じような作品を描いただろうか。
『ゲルニカ』や『モナリザ』を描いただろうか。
『太陽の塔』を作っただろうか。

芸術とは、芸術家が、彼らの人生で、生まれてから目にしたものを
模倣して作ったものにすぎない。

人間は、ゼロからイチを生み出すことは出来ない。
僕らの常識では、それは、コンピューターに当てはめられる言葉だった。
しかしあえて言おう。
人間だってそうだ。
真っ白の状態から、何かを生み出すことは出来ない。

芸術とは、作者が過去に目にしてきたいろいろなものを
脳内でこねくり回して吐き出した吐しゃ物のようなものだ。

なので、どこまで芸術に入れるのかと問われたら
僕は「すべて」と答えよう。

絵画であれ、文章であれ、ただの文字であれ、物体であれ、
造形物であれ、歌であれ単なる声であれ叫びであれ、
何かしら不明瞭なものであれ、etc…

それらは、作者の脳内でこねくり回された結果飛び出してきた何かであって、
それを我々は「芸術」と呼びましょう、と決めた。

明文化されていなくとも、そんな考えを
誰もが心のうちに持っている。



■芸術はお金と同じ



つまり、お金と同じですよ。

これからは、この紙を、金(GOLD)と同じ価値があるものとして流通させましょう
と、決めた。

この紙を、金(GOLD)を持っている証明書として、発行しましょう。

この紙の取引によって、金(GOLD)をやり取りしているのと
同じ意味にしましょう、と決めたのだ。


「芸術」

と言った瞬間、人の行動が、すべて許されるのはそのためだ。



■結論



人間は、初めて見るもの、珍しいものに価値を見出して、ありがたがる傾向にある。

過去に受け取った情報をこねくり回した結果生まれたものでも、
何か新しい要素を加えたり、
見る角度を変えてみたりしていることが興味を引く。


どう違うか。

それを競い合う遊び。



それが「芸術」の正体である。

と僕は結論づけた。





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長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました! <(_ _)>



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