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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

岸和田の古墳を歩く⑤ ~摩湯山古墳・馬子塚古墳~

2022-01-21 23:10:17 | 史跡を歩く

 久米田池公園で一服していたら、目の前にある運動広場で、つむじ風が巻き起こっていた。長い人生であんな見事なつむじ風を初めてみた。動画にも撮ったんだけど、残念なことに、このブログでは掲載席ないのだなあ。

 てなわけで泉州地方の前期古墳としては、最大の古墳、摩湯山古墳を目指して歩いていく、主屋の屋根の軒のところに大きな家紋のある住宅などもあって、この辺りは旧村なのだろう。

 30分ほど、歩いて緩い坂道をだらだらと歩いていくと、池の向こうに摩湯山古墳の墳丘が見える。

 

 さらに坂道を登っていくと、古墳の前方部にあたる。

 

 これは素晴らしいとしか言いようがないのだが、大阪といった都市部の古墳で、周りに住宅などが全くない古墳って非常に珍しいし、墳丘と周濠がフェンスなどまったく遮るものもない状態で見れるというのは感動ものである。

 
 
 これだけでもう一見の価値はあるというもの。
 さて、この摩湯山古墳であるが、4世紀の後半に築造された前方後円墳であり、全長は200m、後円部径127m、前方部幅100mを測る。正式な発掘調査がなされていないが、墳丘は三段築造で、葺石が施されており、円筒埴輪や鰭付円筒埴輪が並べられていたと考えられている。
 埋葬施設についても、発掘調査等が行われてないため不明だが、盗掘抗や結晶片岩などが後円部から採集されていることから、竪穴式石槨を採用しているのではないかと言われている。
 
 
 
 周堤と墳丘の間に渡土堤があるが、これを渡って墳丘には入ることはできなさそうであった。
 渡土堤から後円部の方に行こうにも、これまた藪になっていて、前に進むことは困難であった。
 また、ちょうど渡土堤がある場所の反対側に、馬子塚古墳と呼ばれる方墳がある。
 
 
 
 近くから見ると、藪だらけで墳丘も何も見えないが、少し離れて、摩湯山古墳の周濠から見ると、田畑の中に方墳の四角いラインが見える。
 
 
 
 馬子塚古墳は、摩湯山古墳の陪冢と考えられており、摩湯山古墳とそう変わらない時期に築かれたと考えられている。墳丘は、後世の土取りなどによりかなり改変が加えられているとのこと。ただ、斜縁二神二獣鏡や管玉などが出土している。埋葬施設は、粘土槨であったと言われている。
 
 
 
 再び前方部に戻って、反対側に行くと、バス停の近くに摩湯山古墳の説明の石板などがある。
 
 摩湯山古墳は、昭和31年に国の史跡に指定されており、平成22年には、指定範囲の追加ということで馬子塚古墳も史跡指定がなされている。そうなるとかえすがえす土取り等による破壊が残念ではある。
 
 
 
 なお、古墳のすぐそばに道路が通っており、そこからも全体を見ることができる。このあたりだと摩湯山古墳が丘陵の一番端のほうに、地形を利用して造られていることがわかる。

 

 摩湯山古墳とこれまで見てきた久米田古墳群との関係で言うと、久米田貝吹山古墳の方が築造されたのは古いそうだ。そして、摩湯山古墳とが築かれた後も久米田古墳群の築造は継続しているので、直接の関係はないような気がする。摩湯山古墳の埋葬者が成り上がったけど長くは続かなかったということなのかな。

 この後は、和泉市の観音寺山遺跡を見に行くこととしよう。

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